2025年10月の法話
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[10月の法語] |
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塵が塵のままに照らされてひかり輝いている |
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Dust, when it is illuminated, shines and sparkles just as it is. |
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西元 宗助 |
[法話]
半世紀以上も昔のこと、原始仏教を学びたく関東から大谷大学へ入学。最初の高倉日曜講演のご講師が西元宗助先生でした。「自分とはどういう存在なのか。生きる意味はどこにあるのか」を暗中模索(あんちゅうもさく=くらやみの中で手さぐりして捜すこと。転じて、様子がはっきりせず、目的を達する方法が分からないまま、いろいろ探るように試みること)していた頃で、お話の内容は記憶がなく、ただここでやっと求めてきたことが充たされる、空しい放浪を終われるかもしれないという予感で涙が止めどなく溢れたことをいまだに鮮明に覚えています。
幸いにご縁に恵まれて先生のご自宅でお話を伺う機会も増え、ご講演、ご著書を通じて先生から受ける最も大きなことは自己への内省(ないせい=自分自身の心と向き合い、自分の考えや言動について省みること)の厳しさ、包み隠さぬ率直さでした。それが冷静な論理的思考から感情的とも思える激しい自己否定へ突入される流れに私はしばしば息を飲む思いでした。そしてそれは多く親鸞聖人の書かれたものをご自身に引き当てられて一層深められる態(てい=ようす)でした。大学に入って初めて親鸞聖人に触れた私には驚きの連続でした。
先生のお話は昔話ではなく、いつも只今の瑞々しいお気持ちでした。
先生は多くの善知識(ぜんちしき=仏教において、人々を正しく仏道に導く、徳のある友人や師のこと)に恵まれていらして、そういう方々との会話やエピソードを語って聞かせてくださりながら、実は先生ご自身が一番感動なさっていらっしゃいました。
先生にご紹介いただいて、あの時代のお念仏を申す人々にお目にかかる幸いにも恵まれました。それは私にとってお念仏に、あるいは親鸞聖人に別の角度から向き合う機会になりました。
先生は、旧満州からシベリアへ運ばれる貨車の中でこんなに真剣にお念仏を称(とな)えてきたのだから奇跡が起きてシベリアへ行かずに済むはずだと信じ、願っていらしたことを告白されたことがありまし た。
何も起きなかったとき「神も仏もないものか」という心境になられた。しかし様々な困難にあって苦しみ悩んだお陰で、お念仏は自分に都合のよいことを呼び寄せる手立てではなく、どんなに不都合な境地(きょうち=体や心が置かれている状態)に立たされてもそれを受容(じゅよう=受け入れて取り込むこと)できるよう支えてくださるのがお念仏というところに漸く立たせていただいた──私の耳に残る先生のご感懐(かんかい=物事に触れて心が動かされ、ある思いを抱くこと、またはしみじみと心に思うこと)です。
その道程で何度も繰り返しご自身の煩悩(ぼんのう)の深さに打ちひしがれ、まさにそこで慈光(じこう=阿弥陀如来が放つ慈悲の光)に出遭われてこられた先生のご生涯で「塵が塵のままに照らされてひかり輝く」は先生のお念仏の原点と思われます。
私の書棚にある榎本栄一氏の詩集『群生海』を開くと「西元先生に薦められて」と書き込みがあります。先生はこの詩集を絶賛されました。
「ぞうきんは 他のよごれを いっしょけんめい拭いて 自分はよごれにまみれている」(「ぞうきん」)という詩を最初に紹介されましたが、「うぬぼれは 木の上から ポタンと落ちた 落ちたうぬぼれは いつのまにか また 木の上に登っている」(「木の上」)を膝を叩いて共感される先生が浮かびます。そして「塵」の自覚もすぐ消えてしまう私がいます。
渡邊 愛子(わたなべ あいこ)
1946 年生まれ。仏典童話作家
東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
[註]
「西元 宗助」:(1909~1990)鹿児島市出身1932年 京都大学文学部哲学科(教育学)卒業。 京都府立大学名誉教授、ペスタロッチ賞(昭和35年)
「榎本栄一」:(1903~1998)仏教詩人。兵庫県淡路島三原郡阿万町(現南あわじ市)生まれ。浄土真宗に帰依して念仏のうたと称する仏教詩を書く。1994年仏教伝道文化賞受賞。

2025年9月の法話
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[9月の法語] |
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大悲のなかに 大悲のなかに 確かにこの私がいます |
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Embraced and surrounded by great compassion--this is where I surely am. |
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外松 太恵子 |
[法話]
全国各地から京都の本願寺に門徒(もんと=浄土真宗の信者)さんが集まって、3泊4日の研修(門徒推進員中央教修)が行われます。
私もスタッフとして、何度かご一緒させていただきました。
少人数の車座(くるまざ=大ぜいが輪になってすわること)になって、互いに話し合い、聞き合い、頷(うなず)き合うという「話し合い法座」を重ねる中、少しずつ心の扉を開いて、ホンネを語ってくださいます。
お互いの思いを受け止め合ってくださる参加者のおかげでもありますが、その根底には、共に阿弥陀さまのお慈悲に願われ、支えられているのだという、み教えのはたらきがありました。
「私はここにいて良いのだ。ここでホンネをさらけ出すことを許されているのだ」という「本当の居場所」を与えられていると感じるのです。
振り返ってみると、私たちは幼い頃から頑張ることや努力することが大切だと教えられてきました。
時には、自分の主張を押し通したりライバルとの競争に打ち勝つことで、自分の思い通りの「居場所」を手に入れることが大切なのだと信じて、一生懸命に生きてこられたことでしょう。
また、自分の弱みを簡単に見せないように、周りから傷つけられないように、たくさんの鎧(よろい)を身にまといホンネを見せないようにして生きてきたのではないですか。
鎧を着込みホンネを隠して暮らしていく中で、知らず知らずのうちに不満とストレスを溜(た)め込みながら、「つらいなあ、しんどいなあ」とも言えずに過ごしてきたのが、私のありようでした。
上手(うま)くいっている時は自分の手柄(てがら)を誇(ほこ)り、上手くいかない時にはその原因を相手に押し付けて「こんなはずではなかったのに。どうしてこうなってしまったのだろう」と悩み苦しんでいるのが、私のありようだったのです。
自分で掴(つか)み取ろうとする「居場所」には常に不満とストレスがつきまとい、本当の安心を得ることはできなかったのでした。
阿弥陀さまは、「悲しみや苦しみを抱(かか)えたままのあなたを救う仏に、私が成る」
との願いを成就(じょうじゅ)され、南無阿弥陀仏の「名告(なの)りの仏」と成ってくださいました。
「あなたを決して一人ぼっちにはさせないよ。あなたの悲しみや苦しみをそっくりそのまま引き受けるよ。良い時のあなたも、悪い時のあなたも、背を向けはねつけている時のあなたも、追いかけ寄り添(そ)い続けるよ。だから、どうか私にまかせてくれよ。南無阿弥陀仏とお念仏申してくれよ」
阿弥陀さまの大悲に願われている私には、着込んだ鎧を脱ぎ、ありのままの私をさらけ出すことのできる「本当の居場所」が、確かに与えられているのです。
朝戸 臣統(あさと たかつな)
本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、
布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
◎9月になっても酷暑が続いていますがいかがお過ごしでしょうか。夏の疲れも出てくる頃なのでくれぐれもご自愛くださいますようお念じ申し上げます。
さて今月は秋のお彼岸です。9月23日が秋分の日(彼岸の中日)となり、この日をはさんだ七日間(9月20日~26日)がお彼岸です。お墓参りとともにご先祖をご縁として仏法に耳を傾けましょう
合掌

2025年8月の法話
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[8月の法語] |
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仏様にあいたい これにまさる深い願いが人間にあるでしょうか |
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Seeing the Buddha--is there any deeper wish that humans have? |
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寺川 俊昭 |
[法話]
「みなさんは、仏さまになりたいと、ホンキで思っておられますか?」
ある研修会で、ドキッとするような問いをいただいたことがあります。
「そもそも仏さまがどういうお方かわからなければ、なりたいという気持ちも起こりようがありませんね。
仏さまというのは智慧(ちえ)と慈悲(じひ)を兼ね備えたお方、ということなんですよ。お慈悲のお心とは、自分のことを差し置いてでも、他者の幸せを願うことです。他者の幸せがそのまま自分の幸せとなるお方を、仏さまと申しあげるのです。
その仏さまに向き合うことで、私の中に智慧と慈悲のかけらもないことを知らされる。自分が幸せならばそれで良し、他人の幸せは妬(ねた)ましいとしか思えない私の姿が知らされる。そのようなお恥ずかしい私と知らされるからこそ、智慧と慈悲を兼ね備えた仏さまになりたいという、人生の方向性が確立されるのです。
なかでも阿弥陀如来という仏さまは、智慧と慈悲のかけらもない私を何としても仏に成らせたいという尊い願いを成就(じょうじゅ)されたお方です。すべての智慧と慈悲を自身のお名前として仕上げてくださり、南無阿弥陀仏とお念仏申すままが浄土に往(ゆ)き生まれて仏と成っていく道であるとお示しくださるのです」
私の中に智慧と慈悲のかけらもないと言われると「いやそんなことはない」と反発してしまいます。
大きな災害や、戦争・紛争のニュースを聞くたびに「かわいそうだな、何かしてあげたいな」という心を起こすこともあるのです。
でも、半日経(た)ったら「お腹すいたな、ご飯食べたいな」とさっきのことは忘れて、もう自分のことばかり考えている私です。私には末通(すえとお)った(=最後まで貫き通す)慈悲の心などありませんでした。
そんな仏さまと真逆の生き方をしている私は、多くの導きとお育てによってお念仏のみ教えに出遇(であ)わせていただきました。
私には人生を導いてくださった師が2人います。
「仏さまになりたい」などとかけらも思わなかった私を、仏前にいざない、仏法聴聞(ちょうもん)を進めてくださったお2人とも、先にお浄土に往かれました。お浄土からの導きとお育てをいただきながらお念仏申す中で、この私もかならず浄土に生まれて仏と成らせていただくことのありがたさを思います。
私も仏さまと成って、仏さまの世界でまたお目にかかりたい。この願いは私が自分の力で生み出したものではありませんでした。南無阿弥陀仏とお念仏申すままに、仏さまの世界から私を育て導いてくださっているのです。
この願いは、阿弥陀さまから賜(たまわ)った深く大きなお慈悲のはたらきによるものだといただけるのが、南無阿弥陀仏のお心でありました。
朝戸 臣統(あさと たかつな)
本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、
布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
◎今月はお盆です。お盆は正しくは「盂蘭盆(うらぼん)」といいます。浄土真宗では盂蘭盆会(うらぼんえ)のことを歓喜会(かんぎえ=よろこびのつどい)とも申します。故人のご縁によってお盆を迎え、尊いみ教えに出遇うことのできた身のしあわせを喜び、ご先祖に感謝のまことを捧げるのが、真宗門徒のお盆なのです。(真宗協和会「お盆のしおり」より抜粋)
連日大変な猛暑が続いています。熱中症が発生する約4割が住居内で最も多いです。こまめな水分補給とともにエアコンの適切な使用で室温、湿度を調整しましょう。
合掌

2025年7月の法話
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[7月の法語] |
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老いや病や死が人生を輝かせてくださる |
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Aging, illness, and death enables life to shine. |
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湯浅 成幸 |
[法話]
東雲(しののめ=東の空がわずかに明るくなる頃、あけがた)の空に生まれたばかりの太陽も、一日の終わりには西の彼方(かなた)へ沈(しず)んでゆくように、人もまたこの世に生を受けたならば、必ずその命を終えるときを迎(むか)えます。桃のような頬(ほお)のかわいらしい赤ちゃんも、やがて大人になるように、すべてのことは刻々と変化して移り変わっていきますが、同じ変化でも老いや病や死の現実は受け入れがたいものがあります。特に死を予感させるような病や生きていることに空(むな)しさを感じるような出来事に遭(あ)ったとき、「なぜ自分はこの世に生まれてきたのだろうか」「人生に意味などあるのだろうか」という問いが心の中に去来(きょらい)することでしょう。果たして私自身はこの問いにどのように向き合えるのだろうか。老病死の身を引き受けなければいけない事実は、人として生まれたからには誰一人避(さ)けられない問題です。
表題の「老いや病や死が、人生を輝かせてくださる」という言葉の前には「私たちにとっては、老いも病も死も、除(のぞ)かれるもの、不幸なことではなく、老病死によって生の豊かな営(いとな)みを教えられるわけです」という一文があります。「老いや病や死が、人生を輝かせてくださる」とはどういうことなのでしょうか。私はこの言葉を初めて聞いたとき、一昨年の秋に闘病中の母と交(か)わした言葉を思い出しました。
2022年の晩夏に体調を崩(くず)した母は、病院での検査の結果、投薬治療を行うことになりました。二回目の投薬のために入院する際、待合室で一緒に座っていたときのことです。当時はコロナ下にあり、家族は病室へ入ることができず、しばしの別れに不安と寂しさを感じていました。そのとき母は、「74歳になって、この年まで生きてこられて良かった。お父さんと結婚して、子どもも生まれて、孫にも会えて良かった。精いっぱいに生きてきたから悔(く)いはない」と、そして後に続く言葉は、生き死には阿弥陀さんにお任(まか)せして治療に向かうと語っているように聞こえました。
治療によってもし病が癒(い)えて体に力が戻ったら、母の願いはもう一度台所に立って料理をすることでした。ささやかな日常こそもう一度取り戻したいかけがえのない大切なものであることを教えられ、一緒に泣き笑いして過ごしたたくさんの時間が一瞬の出来事のように感じられました。親子として濃密に過ごした日々に生じた様々な感情も、母を看取(みと)るまでの間に解きほぐされ、母に「ありがとう」「ごめんね」と伝えると「こちらこそ」と返事をくれて、お互いにゆるし合う時間が持てたのもまた、かけがえのないことでした。
人間の眼からは、老病死や人生の挫折(ざせつ)は何としても避(さ)けたいことに思われます。しかし、人生を海に、仏の智慧や慈悲をお日さまと譬(たと)えるならば、命の終わる頃、黄昏時(たそがれどき=夕焼けで薄暗い中、景色が黄金色に輝く時間帯)の海は夕日に照らされ金色に輝き、その豊かさと美しさを知ることのできる大切な時間なのではないでしょうか。
別れは悲しい、けれども悲しいと同時にその人の存在と人生とは尊いものであることを知らされる大事な機会であるように思われます。
立島 直子(たつしま なおこ)
1975 年生まれ。富山教区第1組稱名寺衆徒
東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
[註]湯浅 成幸:1930年熊本県生まれ。真宗大谷派山田寺前住職。
現在、熊本刑務所教誨(きょうかい)師。篤志(とくし)面接員
◎暑い日が続いています。先月後半には早くも梅雨明け宣言がなされました。年々暑い時期が長くなっているような気がします。くれぐれも熱中症には気をつけてお過ごし下さい。
合掌

2025年6月の法話
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[6月の法語] |
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何に遇ったのか それによって その人生は決定する |
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Whatever you encounter in life will determine how your life will be. |
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梯 實圓(かけはし じつえん) |
[法話]
「遇(あ)う」とは「ただ顔を合わせるだけではない」と梯實圓(かけはしじつえん)師は言われます。「遇」には「思いがけなく」という意味があります。わたしたちがどれだけ多くの人と出会い、言葉を交(か)わそうとも、自分の言いたいことを言い、聞きたいことを聞くのみであれば、自分の「思い」の中で他者と対面しているにすぎません。「思い」もよらなかった相手の心に触れ、「思い」に覆(おお)われていたわたし自身が知らされる時、「会う」は「遇う」になるのだと思います。
「遇う」ことは、ですから難しいことです。身近な家族であっても、たとえば本当に親が子に遇い、子が親に遇うということは、難しいことではないでしょうか。時には相手が亡くなり、初めて「遇う」ことが始まるということもあるでしょう。
会っていても遇えないのは、わたしたちが自分の「思い」を生きているからです。たとえるなら、お互いが、光でないものを光と思って歩んでいるようなものです。衝突(しょうとつ)するか、無視をしてやり過ごすか。そこに苦しみが生まれます。だからこそ、仏弟子たちは「仏に遇う」ことを課題に歩みました。流転(るてん=生まれ変わり死に変わって迷いの世界をさすらうこと)の苦しみを超えたお釈迦さまに、人生を照らし出す光を求めたのです。では、仏弟子たちはどのように仏と出遇ってきたのでしょうか。次のようなエピソードが伝えられています。
お釈迦さまの時代にヴァッカリという仏弟子がいました。お釈迦さまを篤(あつ)く敬(うやま)っていましたが、病にかかり、お釈迦さまに会いに行くことができなくなります。お釈迦さまはヴァッカリのもとへお見舞いに行かれます。ヴァッカリは「力が衰(おとろ)えてしまい、お釈迦さまのもとヘ伺(うかが)い、お姿を拝見することができなくなりました」と自らの悩みを打ち明けます。そのヴァッカリに対してお釈迦さまは次のようにおっしゃいます。「わたしのこの腐(くさ)りゆく身体を見て何になるのですか。法を見るものがわたしを見るのです」と。
たとえお釈迦さまと同じ時代に生まれ、お釈迦さまを見ることができても、仏陀 (目覚めた人)としてのお釈迦さまを見たことにはならないのです。お釈迦さまが目覚めたところの法(=仏法)を真(まこと)と受け入れること、それこそが仏陀を見ることであり、「仏に遇う」ことなのです。
仏弟子の集(つど)いである僧伽(そうぎゃ)では、お釈迦さまの言葉をたよりにその法が尋(たず)ねられ、仏陀との出遇いが深められていきました。その出遇いがもつ普遍性(ふへんせい=すべての物事に通じる性質)は、法蔵(ほうぞう)菩薩(阿弥陀仏)と世自在王仏(せじざいおうぶつ)の出遇いとして説き出されます。親鸞聖人は法然上人と出遇い、南無阿弥陀仏の教えこそが、お釈迦さまの本当に伝えたかった教えであり、お釈迦さまを仏陀たらしめた法であると頷(うなず)かれました。親鸞聖人は法然上人を通してお釈迦さまに出遇われ、その根底にある阿弥陀仏の本願に出遇われたのです。
その本願は「南無阿弥陀仏」という喚(よ)び声となってわたしたち一人ひとりに届いています。誰の人生においても「仏に遇う」道は開かれているのです。念仏申し、教えの光に照らされればこそ、身近な人と、また亡き人とも出遇っていけるのではないでしょうか。 「つらいこともあり、苦しいこともあり、嫌なこともあったけれども、仏陀に出遇えた私の人生に悔いはありません」。梯師は、わたしたちが「仏に遇う」ならば、このように言うことのできる人生が生きられていくと教えてくださいます。
千賀 貴信(ちが たかのぶ)
1979 年生まれ。大阪教区第20組西德寺住職
東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
[註]:梯 實圓(1927~2014)日本の仏教学者。浄土真宗本願寺派勧学
◎先月は夏のように暑い日があるかと思えば肌寒い日があって不順な気候が続きました。皆様の体調はいかがでしょうか。
もう30年以上前ですが本山にて(今月の法語の)梯實圓先生のご講義を拝聴しました。柔らかな口調でわかりやすく浄土真宗の教えを学ぶことができました。優しいお人柄をお話の中に感じることができました。ご往生されて10年以上経ちますが今となっては懐かしい思い出です。
合掌

2025年5月の法話
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[5月の法語] |
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仏さまというのは向こうから私のところへいつも来ているはたらきです |
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"Buddha" is the dynamic working that comes to me constantly. |
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近田 昭夫 |
[法話]
親鸞聖人は、当時の僧侶の常識を破り、結婚して家庭を持たれました。
妻の恵信尼(えしんに)さまのお手紙や、曾孫(ひいまご)の覚如(かくにょ)上人の伝記によれば、29歳の時に比叡山を下り、六角堂に100日間参籠(さんろう=祈願のため、神社や寺院などに、ある期間こもること。おこもり。)された中、95日目の明け方、夢の中に観音菩薩が現れて、こうお告げをされたのです。
「もしあなたが女性と結婚するのであれば、私がその相手となりましょう。そして一生あなたと添(そ)い遂(と)げたあと、いのち終わる時にはかならずお浄土に生まれる身といたしましょう」
つまり、親鸞聖人にとって結婚相手の恵信尼さまは、観音菩薩の化身(けしん=世の人を救うために人の姿となって姿を現した仏)であったわけです。結婚するということは、パートナーと共にお念仏申す人生を歩むということなのです。そしていのち終わる時には、お浄土に往生する身と成らせていただくのです。
妻の恵信尼さまもお手紙の中で、夫としての親鸞聖人を「観音菩薩の化身」であったとお書きくださっています。
観音菩薩とは、阿弥陀さまの脇侍(わきじ)(左脇に侍する菩薩、脇士とも)であり、大慈悲のはたらきを備えておられます。お経には、苦しむいのちを救うために、老若男女さまざまなお姿になって娑婆(しゃば=煩悩 (ぼんのう) や苦しみの多いこの世。現世)世界に現れてくださるのだと説かれてあります。
人生のパートナーが、お互いを観音菩薩の化身であるということは、私を仏道に導いてくださるお方が、すでに私の目の前におられるということです。お互いを敬い、共に手を合わせ、お念仏申していけるとは、なんて素敵な人生なのでしょう!
親鸞聖人と恵信尼さまは、お互いのいのちの中にご自身をお育てくださる仏さまのはたらきを見ていかれ、菩薩さまの化身と仰(あお)がれたのです。
ただ、どんなに仲の良いパートナーであっても、時にはケンカや仲違(なかたが)いをするかもしれません。どんなに傍(かたわら)に寄り添っている者同士でも、さまざまな理由で離れ離れで暮らさないといけないこともあるかもしれません。
そんなパートナーの存在を「私を仏道に導いてくださる方」と手を合わせていけるのが、お念仏の人生なのです。
そして親鸞聖人は90歳で、恵信尼さまより先にご往生なさいました。「今度は、仏さまの世界から私を導き、寄り添ってくださるはたらきと成られたのだ」と、恵信尼さまは手を合わせお念仏されたのではないでしょうか。
私から離れた、どこか遠いところに仏さまがおられるのではありません。仏さまは、縁あるお方のお姿となって、私を仏道へ導き、お育てくださいます。ありがたいお育てもあれば、厳しいご催促(さいそく)もあるでしょう。そのはたらきは、お念仏申す中で常に私のそばに寄り添い、すでに私のところへ来てくださっているのです。
朝戸 臣統(あさと たかつな)
本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
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◎ようやく春らしい季節となりあちらこちらで新緑が目立つようになりました。
先月、関西大阪万博が開催されました。いまだに完成されていないパビリオンがあるなど波乱含みのスタートとなりましたが連日にぎわっているようです。55年前の万博(EXPO70)開催時、私は小学3年生でした。家族と2回、学校の遠足で1回行きましたが、太陽の塔に入れたこと、延々と続く行列にうんざりしたこと、パビリオンごとに押してもらえるスタンプを集めたこと等々、今となっては懐かしい思い出です。今回の万博も一度は行ってみたいのですがどうなるかわかりません。55年前とはいろんなことがすっかり変わってしまいましたが、行ってみたら変わらないものがあることに気づくかもしれません。皆さんも探してみませんか。
合掌

2025年4月の法話
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[4月の法語] |
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この私のいのちにいつも如来のいのちが通い続けている |
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The life of the Tathagata is a part of my life always. |
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藤澤 量正 |
[法話]
「人生には、三つの『坂』があると申します。一つ目は上り坂、二つ目は下り坂。そして三つ目は『まさか』です」
結婚披露宴(ひろうえん)のスピーチで聞いたことのある「人生訓」ではありますが、私は40代半ばにしてその「まさか」に見舞われてしまいました。
当時の私は、住職として法務をこなし、父親として3人の子どもを育て、大きな大会の実行委員長を引き受けるという「充実した人生」を過ごしていました。
ところが突然、趣味の自転車で大きな交通事故に遭い、病院の集中治療室に担ぎ込まれてしまったのです。病室でモニターに囲まれながら、1週間後の大きな大会も、順風満帆な日常も、握りしめていた私の手から容赦なくもぎ取られていくことを実感していました。
同時に、今までご法話で話していたご法義(=仏法の教義、教え)のお心が本当に「わがこと」として深く味わわれたのです。
「かならず救う、われにまかせよ」
阿弥陀さまの願いは、この私をお救いくださるためでありました。
仕事も、健康も、そしていのちさえも、当たり前だと思い込み自分のモノであると掴(つか)んでいた私。でも私が掴んでいたものは、何一つ当たり前ではなく、末通(すえとお)った(=最後までやりとげる、最後までつらぬき通す、成功する)ものがありませんでした。
ひとたび縁に触れれば、どんなに私が掴もうとしても私の手からもぎ取られてしまう。それが、私のありのままであったのです。
でも「まさか、こんなはずでは」というのは私の視点、私の考えであって、阿弥陀さまは、そのような私であることをすでに見通しておられました。
「あなたを救う仏に、私が成る。あなたのいのちのすべてを、私が引き受ける」
と、阿弥陀さまが願いを起こされ、そのはたらきを「南無阿弥陀仏」というお念仏に仕上げてくださったのです。
病室でお念仏申しながら、不安を抱えた私をそのまま包みこんでくださる阿弥陀さまのお心を、しみじみと味わっていました。
私が人生に行き詰まる前から、仕事や健康をもぎ取られるずっと前から、阿弥陀さまのお慈悲のぬくもりは、ずっと私に届けられていました。
私がお願いしたから救いましょう、おすがりしたから助けましょう、と仰せになるのではありません。それだったらもう私には間に合いませんから、私は救いから漏れてしまうことになります。
私がお願いするより先に、気付くよりもずっと以前に、阿弥陀さまの方から私に寄り添い、お慈悲のぬくもりが届けられていたのです。
この私のいのちに、阿弥陀さまのいのちがすでに通い続け、届いていました。南無阿弥陀仏とお念仏申すなかで、そのありがたさをしみじみと感じます。
朝戸 臣統(あさと たかつな)
本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
[註]藤澤量正 : 1923(大正12)年滋賀県に生まれる。龍谷大学文学部(仏教学専攻)卒業。鉄道道友会講師、伝道院研修部長、中央仏教学院講師を歴任。本願寺派布教使、滋賀県浄光寺前住職。2012(平成24)年7月往生。
◎全国各地で桜の開花情報が伝えられています。3月は初夏のように暖かくなったと思えば真冬のような寒さになったりと不順な気候でした。また2月末に岩手県大船渡市で発生し3月半ばになってようやく鎮圧した大規模な山林火災、3月末にはミャンマー中部で大地震の発生等々、災害の多さに気持ちがついて行けませんでした。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。今月のご法話はだれにでも「まさか」の事態が起こりえること、そしてそれが実はありのままの人生であること、そんな私に気づかせてくださるのが阿弥陀さま(南無阿弥陀佛のお念仏)なのだと教えていただけました。
合掌

2025年3月の法話
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[3月の法語] |
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真の智慧はそのまま大悲でもある |
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True wisdom is itself Great Compassion. |
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上山 大峻(うえやまだいしゅん) |
[法話]
上山大峻氏の言葉に、ある人のことが思い浮かびます。
ある問題で悩んでいたとき、訪ねた人のことです。駅に迎えに来てくれたその人の車に乗せてもらうなり、私は話しはじめていました。だいぶ経(た)ってから名前を聞かれ、そこではじめて、ほぼ初対面であることに気づきました。
いま思うと、私の様子は異様であったかもしれません。言葉が止まりませんでした。ですが、その人は私の言葉をじっと聞いてくださいました。当時の私は「何もわからんくせに」「だまっとれ」「何を言うか」などの言葉を直接間接にたくさん投げかけられていましたから、私の言葉を否定せずに聞いてくださる人がいることに本当に驚きました。
親鸞聖人が大事にされた『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に登場する韋提希夫人(いだいけぶにん)は、息子である阿闍世(あじゃせ)に牢獄(ろうごく)に幽閉(ゆうへい)され、釈尊(しゃくそん=釈迦の尊称)に対して「我、昔何の罪ありてか、この悪子を生ずる」(私に何の罪があって、このような子を生んだのか)と苦悩を打ち明けます。このことはしばしば「釈尊の前で愚痴(ぐち)をさらけだした」と解釈されてきました。しかし私はそう思えません。韋提希はそれまで誰にも話を聞かれていなかったのではないでしょうか。
「この人は私の話を聞いてくれるかもしれない」と思えてはじめて、言葉を語ることができたという経験をした人は少なくないはずです。釈尊との対峙(たいじ) を通して、韋提希は自分の声が誰からも聞かれてこなかったこと、そして自分もまた自身の声を軽視してきたことに気づいたのでしょう。そして韋提希が率直に自身の置かれている現実を語ったことによって、釈尊も「黙然(もくねん)として」(『観経疏』)その訴(うった)えを聞くことになったのだと思います。
韋提希は自分だけではなく、さらに未来を生きる他者も阿弥陀仏の教えに出遇(であ)えるようにと願うに至りますが、それも自分の言葉を無視しなかった釈尊の存在あってのことだったと思うのです。
これまで多くの女性が自分の言葉を「愚痴」と名づけるのを耳にしてきました。「愚痴ばっかりね」「愚痴聞いてもらっちゃった」というふうに。何気ないことですが、彼女たちはなぜ「愚痴」という言葉を用いたのでしょう。仏教における愚痴とは、根本的な無知を指す言葉です。韋提希の言葉がこれまで「愚痴」と捉(とら)えられてきたように、彼女たちにも「愚痴」と名づけられ続け、生まれたそばか ら軽んじられる苦悩が無数にあったのだと思います。
冒頭のある人は「私の身を案じてくれる門徒さんにたすけてもらってきたの」と言われました。私もいま、女性が抱(かか)える苦悩を「愚痴」と決めつけない、互いに話を聞き合える人たちをたよって、たすけてもらっています。
韋提希の物語は、王舎城(おうしゃじょう)という古代インドの王宮で一人の王妃に起きたことが説かれたものですが、同時に韋提希という一人の女性の現実を目の当たりにし、安直に「愚痴」と決めつけない釈尊の物語でもあります。つまり釈尊は韋提希の率直に自らを語る姿にはじめて、凡夫の現実の身にこそはたらく大悲のはたらきを見、このことを教えとして説いたのでしょう。上山氏の法語を通して、私はそのことにあらためて思いを致しています。
西寺 浄帆(さいじ しずほ)
1980 年生まれ。三重教区南勢1組本覺寺坊守
東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
◎寒かった時期も過ぎてようやく春らしい季節になってきました。境内の梅(小さい木ですが)も少しずつつぼみが開き始めました。
今回の法語の上山大峻先生(1934~2022 元龍谷大学学長)は私の父(前住職)の古い友人で、私も大学で先生の授業を受けました。穏やかな風貌(ふうぼう)そのままの語り口で楽しく勉強させていただきました。授業中余談でされた示唆のあるお話は40年以上前のことですが今でも覚えており大変懐かしく思い起こされます。今回の言葉もしっかり心に刻みたいと思います。
合掌

2025年2月の法話
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[2月の法語] |
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「名号」は私たちの地獄に響く阿弥陀のいのち |
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The Name, Namu Amida Butsu, is the working of Amida that reverberates in the hell of my own delusion. |
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高 史明(コ・サミョン) |
[法話]
この法語は、高史明先生のおことばです。一読して、広さと明晰(めいせき)さと確かさを感じます。それはこのおことばの中に、私とは何か、私を救うものは何か、どのように私を救うのかという、人間の救いの根本となる真実が説かれているからではないかと思われます。
私とは何か。「私たちの地獄に響く」とありますように、私という存在の一番奥深いところにあるものが「地獄」と言われています。
源信(げんしん 942~1017平安時代中期の天台宗の僧、浄土真宗七高僧の一人)の『往生要集(おうじょうようしゅう)』に八大地獄が説かれています。敵意をいだいて傷つけ合う等活(とうかつ)地獄。焼けた斧(おの)で刻(きざ)まれる黒縄(こくじょう)地獄などが克明(こくめい)に説かれ、八番目がいちばん底の阿鼻(あび)地獄。その苦しみは第一から七までの苦しみを合わせた千倍もあるのだと。
何を表しているのでしょうか。阿鼻地獄の苦しみは、賜(たまわ)ったご恩を忘れて生きる「五逆(ごぎゃく)」や、仏の大慈悲に背(そむ)き謗(そし)る「謗法(ぼうほう)」の者が受ける苦しみだと言われます。
仏様は私たちを「五逆謗法」の者だと明かされました。これを生み出しているのが無明(むみょう)煩悩(ぼんのう)です。高史明先生は、このおことばの出拠(でどころ)である『悲の海は深く』(東本願寺出版)の中で、仏を忘れ煩悩で自己中心的に生きることの誤りを、深い悲しみと熱い願いの中で指摘されています。
この私たちを救おうと立ち上がられたのが仏様なのです。「阿弥陀のいのち」と表されています。無 量無辺(むりょうむへん=限りないほど広々としていること)の真実です。その真実は動かない真実ではなく、迷い苦しむ私たちに向けて動き出します。そして私たちにはたらきかけ、救いを成立させるのです。
私は仏教に疑問を持っていましたが、学生時代に偶々(たまたま)の因縁で真宗の教えを聞くようになりました。お聞きしてよかったとつくづく思ったことは、阿弥陀は動かないものではなく、自ら私のために立ち上がり、歩み、はたらきかけてくださっていることをお聞きしたことです。自己中心的に生きる者としては考えられないことです。このことを知って仏教に対する私の気持ちはがらりと変わりました。
阿弥陀は南無阿弥陀仏という名号となって私を喚(よ)ぶ。私のほうから仏に向けて「お願いします」ではなく、阿弥陀のほうが、これがあなたを救う私(阿弥陀)という真実のすべてなのだよ。それ「南無阿弥陀仏」で表しているのだよと喚(よ)びかけてくださるのです。
地獄について親鸞聖人が説かれる教えの一つに阿闍世王(あじゃせおう)の物語があります。阿闍世は父を殺してこれを正当化しますが、罪を自覚し始め苦しみます。大臣から釈尊の教えを聞くことを勧められ、途中乗って行く象から落ちそうになり、落ちれば地獄に堕(お)ちるのではと恐れます。
その阿闍世が釈尊に会い、丁寧(ていねい)な教えを聞いて信心を得た時、地獄を恐れるどころか、国王として迷惑をかけた国民を救うためには阿鼻地獄の中におかれてもかまわない旨(むね)を釈尊に申し上げるのです。
南無阿弥陀仏は私たちの地獄に向けてはたらき、地獄を転回軸にして新たな真のいのちを生み出してくださるのです。
岡本 英夫(おかもと ひでお)
1947年生まれ。京都教区石東組德泉寺住職
東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
[註]「名号」:仏・菩薩の名、ここでは南無阿弥陀仏の六字のこと。
◎年が明けてもう一月が経ちました。先月は少し暖かい日が続くこともありましたがまた寒さが戻ってきたように感じます。暦の上では春になりますがまだまだ寒さが続きそうです。何卒ご自愛くださいますようお念じ申し上げます。
合掌

2025年1月の法話
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[1月の法語] |
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いつでもどこでも 誰でも助ける行 それは念仏 |
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The practice that enables anyone, at anytime, anywhere, to become liberated is none other than the Nembutsu. |
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竹中 智秀(たけなかちしゅう) |
[法話]
私は10年以上前に、趣味の自転車で交通事故に遭(あ)い、大ケガを負って2カ月の入院生活を余儀(よぎ)なくされたことがあります。
その時にお世話になった救急医療のありようを通して、お念仏に込められた阿弥陀さまのお慈悲を思うきっかけとなりました。
中国の高僧 善導(ぜんどう)大師は、阿弥陀さまの大いなるお慈悲のありようについて、
「陸の上の人よりも、水の中で溺(おぼ)れている人を、急いでお救いくださる」という「救急の大悲」をお示しくださいました。
「苦しんでいるいのちを、なんとかして救いたい」という救急医療のありようを通して、阿弥陀さまのお心の一端(いったん)を思います。
「いつでも」・・・「夕方6時で受付を終わりますね、年末年始は休業しますね」という救急医療はあまり聞いたことがありませんね。24時間365日休むことなく、苦しむいのちを救いたい、という願いが救急医療に込められています。
「どこでも」・・・都会はいいけど、私が住んでいる飛騨(ひだ)の田舎はちょっとやめときますね、という救急医療も聞いたことがありませんね。どのような場所であっても、病気やケガで大変な目に遭っている人を救いたい、という願いが救急医療に込められています。
「だれでも」・・・救急医療の現場で「あなたちゃんと税金を納めていますか?」「支持する政党はどこですか?」とは聞かれませんね。治療を受ける患者さんに一切の区別・選別・差別をせず、あらゆる人を救いたい、という願いが救急医療には込められています。
ただし実際に救急病棟(びょうとう)に運ばれますと、腰を痛めた年輩の方や、熱を出して泣き止まない赤ちゃんより先に、私がまっさきに治療を受けることができました。
それはなぜなのか。救急医療の現場においては、最も大きなケガや病気を負った患者が、真っ先に治療を受けるべき「おめあて」である、ということなのです。
南無阿弥陀仏のお念仏に込められた阿弥陀さまのお慈悲とは、まさに「救急の大悲」でありました。
「いつであっても、どこであっても、あらゆるいのちを救う仏に、私が成る」との願いが完成され、南無阿弥陀仏のお念仏と成って、私が称(とな)えるまま、聞こえるまま、私の中に入り満ちてくださっています。
そのお心をよくよく味わっていきますと「今、ここで、この私が一番のめあて」と願われていました。最も大きな苦悩を抱(かか)え、最も救われ難いいのちであるこの私こそが、阿弥陀さまのお慈悲のど真ん中に包まれていたのです。
朝戸 臣統(あさと たかつな)
本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、
布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
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◎今回は阿弥陀如来の働きを救急医療のありように例えながらのご法話でした。
ここで私が感じたのは、朝戸先生が大けがをして二ヶ月もの入院生活があればこそのお話でありお気づきであるということです。大過のない日常生活をしていて阿弥陀如来のお救いに気づくことは滅多にありません。気づいたと思ってもすぐに忘れてしまうのがこの「私」です。そんな「私」こそが救いの目当てであると仰せになるのが阿弥陀如来なのです。よくよく考えてみなければと改めて思いました。
合掌

