2025年8月の法話
[8月の法語] |
仏様にあいたい これにまさる深い願いが人間にあるでしょうか |
Seeing the Buddha--is there any deeper wish that humans have? |
寺川 俊昭 |
[法話]
「みなさんは、仏さまになりたいと、ホンキで思っておられますか?」
ある研修会で、ドキッとするような問いをいただいたことがあります。
「そもそも仏さまがどういうお方かわからなければ、なりたいという気持ちも起こりようがありませんね。
仏さまというのは智慧(ちえ)と慈悲(じひ)を兼ね備えたお方、ということなんですよ。お慈悲のお心とは、自分のことを差し置いてでも、他者の幸せを願うことです。他者の幸せがそのまま自分の幸せとなるお方を、仏さまと申しあげるのです。
その仏さまに向き合うことで、私の中に智慧と慈悲のかけらもないことを知らされる。自分が幸せならばそれで良し、他人の幸せは妬(ねた)ましいとしか思えない私の姿が知らされる。そのようなお恥ずかしい私と知らされるからこそ、智慧と慈悲を兼ね備えた仏さまになりたいという、人生の方向性が確立されるのです。
なかでも阿弥陀如来という仏さまは、智慧と慈悲のかけらもない私を何としても仏に成らせたいという尊い願いを成就(じょうじゅ)されたお方です。すべての智慧と慈悲を自身のお名前として仕上げてくださり、南無阿弥陀仏とお念仏申すままが浄土に往(ゆ)き生まれて仏と成っていく道であるとお示しくださるのです」
私の中に智慧と慈悲のかけらもないと言われると「いやそんなことはない」と反発してしまいます。
大きな災害や、戦争・紛争のニュースを聞くたびに「かわいそうだな、何かしてあげたいな」という心を起こすこともあるのです。
でも、半日経(た)ったら「お腹すいたな、ご飯食べたいな」とさっきのことは忘れて、もう自分のことばかり考えている私です。私には末通(すえとお)った(=最後まで貫き通す)慈悲の心などありませんでした。
そんな仏さまと真逆の生き方をしている私は、多くの導きとお育てによってお念仏のみ教えに出遇(であ)わせていただきました。
私には人生を導いてくださった師が2人います。
「仏さまになりたい」などとかけらも思わなかった私を、仏前にいざない、仏法聴聞(ちょうもん)を進めてくださったお2人とも、先にお浄土に往かれました。お浄土からの導きとお育てをいただきながらお念仏申す中で、この私もかならず浄土に生まれて仏と成らせていただくことのありがたさを思います。
私も仏さまと成って、仏さまの世界でまたお目にかかりたい。この願いは私が自分の力で生み出したものではありませんでした。南無阿弥陀仏とお念仏申すままに、仏さまの世界から私を育て導いてくださっているのです。
この願いは、阿弥陀さまから賜(たまわ)った深く大きなお慈悲のはたらきによるものだといただけるのが、南無阿弥陀仏のお心でありました。
朝戸 臣統(あさと たかつな)
本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、
布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
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◎今月はお盆です。お盆は正しくは「盂蘭盆(うらぼん)」といいます。浄土真宗では盂蘭盆会(うらぼんえ)のことを歓喜会(かんぎえ=よろこびのつどい)とも申します。故人のご縁によってお盆を迎え、尊いみ教えに出遇うことのできた身のしあわせを喜び、ご先祖に感謝のまことを捧げるのが、真宗門徒のお盆なのです。(真宗協和会「お盆のしおり」より抜粋)
連日大変な猛暑が続いています。熱中症が発生する約4割が住居内で最も多いです。こまめな水分補給とともにエアコンの適切な使用で室温、湿度を調整しましょう。
合掌