松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

〒553-0003 大阪市福島区福島3-4-4
TEL 06-6451-7966 / FAX 06-6458-9959

今月の法話

2024年7月の法話

[7月の法語]

(おこな)いと言葉(ことば)背後(はいご)に 世間(せけん)があるか 如来(にょらい)があるか

The question is whether our words and deeds are based on
the Tathāgata or worldly concerns.

The question is whether our words and deeds are based on the Tathāgata or worldly concerns.

深川倫雄(ふかがわ りんゆう)

[法話]

目覚まし時計を見る。蛍光塗料(けいこうとりょう)が塗(ぬ)られた文字が「3:14」と光っている。昨日は「3:13」に目が覚(さ)めた。最初は、何が起きているのかわからなかった。時間は2週間ほど遡(さかのぼ)る。

当地では、お盆・お彼岸に檀家(だんか)さんのお宅へお参りする。お盆は1カ月間ほどかかるので、なかなかの荒行(あらぎょう)である。終わる頃には、正直ホッとする。大袈裟(おおげさ)なようだが、特にお盆参りは暑くて厳しい。報恩講(ほうおんこう=毎年宗祖親鸞聖人への報恩のために営む法会)で数カ月間お参りする地域があるが、本当に大変だろうと思う。
長期間にわたるお参りが終了する最終日。疲れ切った私を迎えてくれるのは、母が作ったカレーライスだ。私の好物である。

その年のお彼岸。2週間ほどのお参りが終わり、8時頃に寺に戻った。玄関に入った途端(とたん)、カレーライスの香りがした。炊飯器(すいはんき)をあけて、湯気を立てているご飯を皿にこんもりよそう。鍋の蓋(ふた)を開けてカレーをかける。その時、少しおかしいなと思ったが、食卓について理由がわかった。焦(こ)げているのだ。黒い塊(かたまり)が幾(いく)つも浮かんでいる。試(ため)しに口に入れてみたがひどく苦い。疲れもあって、
「母ちゃん、カレーが焦げてる。こんなん食べれん」
と思わず声を荒げてしまった。カレーがかかっていないご飯を漬物(つけもの)で食べて寝た。瞬(またた)く間に眠りに落ちた。

「お兄ちゃん、お腹すいてない」
ドキっとして目が覚めた。ふすまを細く開けて母が立っていて、廊下の明かりが寝室に差し込んでいた。
「母ちゃん、眠たいんじゃ。ええかげんにして」
と再び私は大きな声をあげた。時計を見ると「3:13」だった。

それから2週間ほど後、京都にいた私に、妹から「母ちゃんがアルツハイマー」というメールが届いた。大きなショックを受けたのを記憶している。
それから数日間、3時過ぎに目が覚め続けた。最初は、なぜ3時過ぎに目が覚めるのかわからなかったが、やがて自分の気持ちが理解できた。あの日の「3:13」に戻って、母親にお詫(わ)びとお礼を言いたいのだと。
「大丈夫よ、お母ちゃん。大きな声を出してごめん。カレー、ありがとね」と。

その頃から、私の口から「南無阿弥陀仏」が、よく出るようになったように思う。
怒りや妬(ねた)みが私の心から無くなりはしない。悪い心が常にある。しかし、そこに仏さまがはたらいてくださる。心の裂(さ)け目から怒りが飛びだそうとすると、仏さまが代わりに出てくださる。世間の目を気にして乱暴な言葉を吐かないのではない。良い人になるわけでもない。仏さまが現れてくださるのだ。裂け目から出てくださるので、何とか頑張れている、そんな毎日を送っている。

お念仏が大好きだった母が、仏となって私を導いてくださっている。ありがたいことだ。そう書いたら、またお念仏がこぼれた。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎先月に引き続き今月のご法話も耳が痛い思いですが、痛いだけでなくありがたいお話でもあるのです。怒りが飛び出そうとするこんな私でも「南無阿弥陀仏」のお念仏が出てくるのですから。

合掌

2024年6月の法話

[6月の法語]

いい人 いい雨 いい天気 みんな私中心

Umm, nice person, nice rain, nice weather:
Everything's always centered around me, me, me!

大神信章(おおが しんしょう)

[法話]

 私たちは、何をもって「いい」「悪い」と言っているのでしょうか。それは、何事に関しても良し悪しを決めようとする、私の価値観やモノサシが作用していることに他なりません。このことは日々の様々な場面で直面します。

 私のお寺の境内では2匹の猫を飼っています。その1匹エリーは、2010年、ある方が、「境内で飼ってくだされば、いつでも会いに来られる」とお寺へ連れてこられました。寺はにぎやかなアーケード商店街に面しています。エリーは商店街を堂々と歩いて、日中は近所の行きつけの店を巡回し、夜中も境内を抜け出し、門前でゴロゴロすることは日常で、いつの間にか、ちょっとした「有名猫」になっていました。

 そんなエリーがある日、姿を消しました。連れ去りだったのです。それから約二週間後、奇跡的に救出され無事帰ってくることができました。警察署へ迎えに行った時、毛の艶(つや)もよく、外見は連れ去られる前と何の変化もなかったので、可愛がってお世話してもらっていたであろうことが想像できました。連れ去った人の本心は分かりません。しかし、私たち寺族と、必死で捜索(そうさく)に協力してくださった方々にとっては許されない行為です。

 このことは、全国テレビやネット上でもニュースになり、たくさんの意見が投稿されました。その中には、連れ去りに対する批判だけでなく、外で飼っていたことへの批判もあったのです。元々は境内で飼うことを前提にして、そして多くの方に可愛がられていたので、私としては「いい」と思っていた行いに対しての批判に、ハッとさせられました。

 相手への思いやりのつもりが、逆に迷惑に思われたことは多いにあるでしょう。物事を自分勝手な解釈や価値観だけで判断したときは、他人には受け入れられない場合も往々(おうおう)にしてあります。また、それを指摘されてもなお自分の過(あやま)ちに気づけないこともあります。私自身、今まで気づくことがないまま自分本位の「いい」をしているかもしれない...と思うと恐怖さえ感じます。

人のわろき(=悪い)事は、能(よ)く能くみゆる(=見える)なり。わがみのわろき事は、おぼえざる(=自覚できない)ものなり。
(『蓮如上人御一代記聞書』195・『真宗聖典』890頁)

と蓮如上人(れんにょ=1415~1499 本願寺第八世、本願寺中興の祖と呼ばれる)は教えてくださいました。私たちは誰でも善悪をはかるモノサシを持っています。しかし、人それぞれその尺度(しゃくど=判断、評価などの基準)が違うので、自分の「悪い」ところは差し置いて、他人の悪いところはよく目につくものです。

 このたびの出来事を振り返って、私自身の行いがいいのか悪かったのか、未(いま)だ迷っています。だからこそ、仏さまの教えを聞くご縁をいただき、立ち止まって「自分自身はこれでよいのか」と問い続けることが大切なのではないかと思います。

 今も、猫たちを見に多くの方がお寺をおとずれます。会えるだけで嬉しいと話してくださる方を横目に、エリーは外で自由に動き回っています。「常に私中心」の身である事実を、エリーは教えてくれているように思います。

郡 伸子(こおりしんこ)
1968年生まれ。四国教区松山組圓光寺坊守

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

[註] 大神信章:(1949~2013)浄土真宗本願寺派光林寺前住職

◎最近、雨天の日が多くまた気温差(又は気圧差)も大きいので体調も狂いがちでついつい愚痴も多くなります。これも(今回のご法話から)考えてみれば自分の都合で自然現象に文句を言っているわけでおかしな話です。そのほかにも「私中心」で物事をとらえていることに気づかされます。そんな「私」を救いの目当てにしてくださる阿弥陀さまに「ありがとうございます」と手を合わせお念仏いたしましょう。

合掌

2024年5月の法話

[5月の法語]

仏さまの光に()らされて私の心に(あか)りがつく

When the Buddha shines that Light on me,
oh my whole heart just lights up!

山本仏骨

[法話]

我々は意を決して、漆黒(しっこく=黒うるしを塗ったように黒くてつやがあること。また、その色)の闇(やみ)に足を踏(ふ)み入れた。
1986(昭和61)年7月初旬。大学の早い夏休みが始まろうとしていた。いつもの代わり映(ば)えしないメンツが、学生食堂にたむろしていた。華やかな学生生活を予想していたが、学生の90パーセント以上が男子の大学で、心浮きたつ出会いもなく、至って冴(さ)えない日々が続いていた(もちろん、出会いについては、他の主たる原因もあった)。

この日も各自の講義が終わると、三々五々(さんさんごご=三人、五人というような小人数のまとまりになって、それぞれ行動するさま)学食に集まり退屈と戯(たわむ)れていた。
「皆さん、夏はやっぱりビーチですか?」
オレンジ色のタンクトップ(=ランニングシャツに似た、首と腕とが大きく露出する形の上着)を着たNが言った。誰も反応しない。Nにだけ幼なじみの彼女がいたので、素直に笑えないのだ。
「凡庸(ぼんよう=平凡でとりえのないこと)だな」
と誰かがボソッと呟(つぶや)く。暫時(ざんじ=少しの間。しばらく)の沈黙の後、カーキ色(=黄色に茶色の混じったくすんだ色。軍服などに用いられる。枯れ草色)タンクトップのKが
「夏は肝だめしだろ」
と言った。というわけで我々はろうそくを買い、都心にあるA山墓地へ向かった。185センチ90キロ。巨体を誇るMを先頭に、じりじりと墓地へ入って行った。
まさに深い闇。ろうそくの灯(あか)りに照らされ、時々墓石群が浮かび上がる。コウモリがひらひら舞い、都会の喧噪(けんそう=物音や人声のうるさく騒がしいこと。また、そのさま)が遠ざかり会話も途切(とぎ)れる。全てを吸い込んでしまいそうな闇の中で、土を踏むコンバース(=スニーカーの一種)の音だけが響いた。
突如、予想だにしない悲劇が起きた。先頭のMが「おしっこ」と言って、ろうそくを放り出し、もと来た方角へ一目散に駆け去ったのだ。更に悪いことに、放り出したろうそくが地面に転がり、風に吹かれて消えてしまった。まさにまっくら(気分もまっくら)。
ところが......。僅(わず)か数秒の間に闇は消えた。Mが持っていたろうそくの灯りを凝視(ぎょうし=目をこらして見つめること)していた我々は、月と星が放つ柔らかな光に気づいていないだけだったのだ。我々は、既(すで)に光の中にいた。

自分が手に持つ光は、自身を照らさない。未来とか社会とか他人とか、自分の外側を照らそうとする。それどころか、手元の明かりを強くすればするほど、外からの光に気づけない。自分の力で光らせているものが弱まった時、やっと自分を照らす光があったと気づく。だから、自分の光だけを頼りにしている間は、なかなか仏さまの光(智慧)を素直に受け取れない。
既に仏さまの光に包まれていることに気づかされるのは、自力の光が揺(ゆ)らいだ時だ。その瞬間、仏さまの光は私たちの心に、消えない温(ぬく)もりとして灯(とも)ってくださる。それは弱さや醜(みにく)さも照らすが、同時にあたたかい。仏の救いは、私の努力を求めない。仏さまが欲望だらけの私を受け入れてくれるから、私も自分を受け入れることができる。やっと安心できる光に出遇(であ)える。
あれから35年。私を含めA山墓地探検隊の面々は、今ももがき続けている。時々、深い闇にも出会う。一生それは変わらないだろう。だからこそ、照らしてくれる光が嬉しい。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎ようやく春らしく新緑がまぶしい季節になりました。今回のご法話前半は私の学生時代と重なり懐かしい気持ちになりました。自分でもがいている間は(現在もそうですが)気づかないけれどもふとした時に阿弥陀さまの光に照らされていることに気づく。言い方をかえればどんな時でも阿弥陀さまが見ていてくださる。受け入れてくださる。お念仏一つで一緒にいられる。そんなことを再認識させていただきました。

合掌

2024年4月の法話

[4月の法語]

まことに浄土真宗とは聞法(もんぽう)がいのちであった

To live in the true spirit of the Pure Land,
we need to make Dharma-listening our way of life.

近田(ちかだ) 明夫(あきお)

[法話]

 これは、あるご門徒(もんと)の女性が、懐(なつ)かしく話してくださった昔話です。もう三十年ほど前、私がそのお宅にお参りした折、ご夫婦に対して、お寺の聞法会へのお誘いをしましたら、女性が、
「浄土真宗のお話を聞いたら、苦から救われて楽になれますか」
「いや、特には...」
と私。

「それでは、私はよく腹が立って困るのですが、腹の立つのが治(おさ)まりますか」
と重ねて尋ねられたので、
「いえ、そういうこともありません」
とお答えしたら、お連(つ)れ合いが、
「そんなら何のために話を聞くんや。お寺なんか行かんでもええ」と。

「そういう期待に応(こた)えるご利益(りやく)はありませんが、聞法すると安心して苦労もでき、腹立つことも受け止めて生きる力が与えられますよ」と私は答えたそうです。

 その女性は、それを機に87歳の今日まで、足しげくお寺の行事や聞法会に熱心に参加されるようになったのです。その間に彼女は、家の仕事や家庭の苦労、息子さんの難病、お連れ合いの死、そしてご自身の5回の癌(がん)手術と失明しかかった眼病を抱(かか)えながら、「聞かせていただいてよかった。もし聞いていなかったら、今頃私はどうなっていたやら」と言われ、「老・病・死という厳しい事実を、自分の身体によって教えられています」と実に明るく、よろこんで足を運んでおられます。

 この方だけでなく、聞法を重ねて来られた人に見られる底力、それは人の力を超えた威神力(いじんりき=諸仏が目に見えない形で私たちの仏道の歩みを手助けする力、覚りを実現(経験)させるために働きかけてくる力)というものでしょうか。

 初めのうちは、「分からん、分からん」と言って聞いておられたが、いつしか聞き方が変わってこられました。「分かろう」という力(りき)みが抜(ぬ)け、法話を自分の身に引き当てて確かめるように頷(うなず)きただ聞いておられるのです。

 ここに「聞き方」の転換があります。頭で理解して「分かろう」とか「どう心を持てば」「どのように実践したら」と期待している間は、法は聞けないのでしょう。それは「自分の思い」に当てはめて間に合わそうとしているのであって、「聞」いていないのです。要するに「自我(じが)の思い」で聴いているだけで、「法」を聞いている訳ではないのでしょう。

 「法」は「南無阿弥陀仏」、すなわち阿弥陀様の「本願の声」です。その声は自分の思い計(はか)らいは「間に合わんぞ」と気づかせ、「そのままで引き受ける」と呼んでくださる大悲の真実です。それは、苦難の生活の場で、煩(わずら)い悩む身の、その苦悩の存在の根源から大悲の真実が南無阿弥陀仏となって喚(よ)んでくださっているのです。

 阿弥陀様はどこか遠くにおられるのではなく、「ただ念仏して聞法の座に就(つ)く」その人の身に湧(わ)き出る清浄(しょうじょう)な意欲となって現れてくださるのでしょう。この法語「まことに浄土真宗とは聞法がいのちであった」は、「聞法」こそ自我の妄執(もうしゅう=迷いによる執着)に迷っていのちを忘れ、自己主体を見失って彷徨(さまよ)っている現代の私たちを蘇(よみが)らせる「いのち」といただきます。

藤井 善隆(ふじい よしたか)
1943年生まれ。大阪教区第2組即應寺前住職

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

合掌

2024年3月の法話

[3月の法語]

南無阿弥陀仏が 私の救われるしるしであり (あかし)である

Our saying, "Namo Amida Butsu" is surely proof we will be saved.

(かけはし) 實圓(じつえん)

[法話]

私の名は「ふじまる」だ。なので小学校の頃は、「まる」とか「おまる」と呼ばれていた。

小学生の時だ。1時間目の授業が始まる前に、学年1番のインテリで豆知識王のS田くんが、私のところにやってきた。そして「おまるって便所という意味なんよ。知っとった?」と冷静に言った。途端(とたん)にクラスがざわついた。そして、しばらくは「便所くん」とも呼ばれることとなった。

一応、申し上げておくが、気にはならなかった。だって、お相撲さんに「武蔵丸」とかいるし、カッコイイ船にも「〇〇丸」という名前が多い。そもそも私は便所じゃないし、「牛若丸」なんて強い人もいる。だから、「まる」は全然イケてると思った。それに、しばらくすると、みんなも「おまる」が便所だということをすっかり忘れてしまった。小学生とは、そんなもんだ。

ところが、である。本願寺派の研究所に勤めるようになって、「法名」について説明する機会があり、「名前」について調べていると、(諸説ありますが)「まる」は、古語の「放る(まる)」に由来し、排せつを意味しているとわかった。汚いイメージのする言葉を名前にして、鬼や魔にとりつかれないようにしたらしい。赤ちゃんや子どもの死亡率が高い時代、幼い命をまもるために「まる」を付けたのだ。源義経も、幼い間だけ「牛若丸」と名のったのは、そういう理由だったのだ。

ものの特徴や内容を示すのが「名」だと、私たちはイメージしがちだ。確かに「のこぎりクワガタ」や「金目鯛(きんめだい)」はそうだ。しかし希望や願いを込めて付けられる場合も多い。「まる」がそうであるように、特に人の場合はそうだ。子どもの時に「智雄・哲雄・善雄」というメモを見つけて、親が悩んで私に智雄と名付けたことがわかり嬉しく思ったことがある。願いが尊いと感じる。「南無阿弥陀仏」も、阿弥陀仏の「全てのものを救うぞ」という願いによって、私たちに与えられ、その願いの力が私の上ではたらいてくださっている。

そもそも仏さまのお名前は、救いの「はたらき」であり、ものではない。しかも全てのものを包み込む救いのはたらきだ。だから、「あみださま~」と呼んで、来てもらう必要はない。たとえば声の届かない遠くに私がいる時に、「おまる~」と呼ばれても、私は来られない。しかし、「南無阿弥陀仏」は仏さまそのものなので、お念仏する時には、もう仏さまがそこにいらっしゃる。

だから、念仏するから救われるのではなく、救いの中にいるから念仏が出てくる。順番は逆で、仏さまからの救いが先に届いているから、お念仏が出てくる。

お念仏の一声が出てくることが、まさに今、もうここではたらいてくださっている証(あかし)なのだ。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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◎寒くなったり暖かくなったりと気候不順が続きますがいかがお過ごしでしょうか。
さて今月はお彼岸です。今年は閏(うるう)年なので3月20日が春分の日(彼岸の中日)となり、この日をはさんだ七日間(3月17日~23日)がお彼岸です。「彼岸」とは読んで字の如く、「彼の岸」、つまり「向こう側の岸」のことです。「向こう側の岸」とは「(西方極楽)浄土、阿弥陀如来の仏国土」のことで、「迷いと苦しみ、煩悩のない世界」です。それに対して私たちが生きているこちら側は「此岸(しがん)」といい、「迷いの世界」とされています。「彼岸」という言葉の原語は、昔のインドの言葉、「パーラミター」の漢訳で、意味は「到彼岸(とうひがん)」。すなわち「(此岸から)彼岸に到る」です。「迷いの世界」から「迷いのない世界(浄土)」へと渡ること。仏の国への往生を願うことです。お彼岸の期間を仏教週間ということもあります。お彼岸は仏法に触れるまたとない機会です。ご先祖を偲(しの)び、ご縁として静かに手を合わせお念仏申しましょう。

合掌

2024年2月の法話

[2月の法語]

念仏をはなれて仏もなく自分もない

Neither the Buddha nor the self exists outside the nenbutsu.

金子大栄(かねこだいえい)

[法話]

「葬式って、出んとダメかな?」

 もう何年も前、同級生にこう訊(き)かれました。婿養子(むこようし)として入った地域でお葬式があり、家の代表として参ったそうですが、故人もその家族も他の参列者も、周りは自分の知らない人ばかり。「自分は、本当にこの場所にいなければならなかったのか」。その気持ち、私にはとてもよくわかる気がしました。

 私の地元ではつい十数年前まで、葬儀というものは「みんなで」行うものでした。誰かが亡くなると、たくさんの人が集まってきます。枕元で手を合わせた後、まずは親戚一同、近隣の家々を中心に、葬儀の段取りと打ち合わせが始まります。いつ・どこで・誰が・何をするのか。遺体をきれいに整えることも、棺桶(かんおけ)を作ることも、火葬も、すべて自分たちでやる。一人ひとりに、ちゃんと「やらねばならないこと」がありました。

 けれど今、基本的にはすべてが、専門家に頼んで「やってもらう」ことです。多くの人にとって、葬儀とは、「式の間、そこに座っているだけの場」。コロナウイルス感染症への懸念(けねん)から、という名目(めいもく)を得て、「香典を渡し、焼香だけしてUターン」となるのも無理はありません。参列者は減るばかり...。当然です。「自分たちのことじゃない」のですから。葬儀を他人に委(ゆだ)ねることで、私たちは「死」に対する「自分の居場所」を失ったのです。

 2011年、東日本大震災の後、東京で高木慶子さんからこんな話をうかがいました。カトリックのシスターで、多くの被災者・被害者の「悲しみ」に寄り添ってこられた高木さん。その知り合いのお坊さんが、東北の被災地で、海に向かってお経を読み上げたそうです。すると、たくさんの人が同じように海に向かって、ただ静かに合掌されたのだと。キリスト教では両手の指を組み合わせて祈りますが、日本では手のひらを合わせます。「この祈りの『かたち』がいかに大切であるか、それを僧侶の人たちはきちんと伝えていってほしい」と言われました。

 私たちは、忙しい。日々、生活の必要に迫られ、自らの欲求にふり回されてしか、生きられない。けれど、本当はそれだけではないのです。何を、どれだけ頑張ろうと、自分たちではどうにもならない──たとえば生と死の境(さかい)にあって、それこそ手を合わせてただ「祈る」ことしかできないような──領域が、間違いなくある。今、静かに手を合わせられる場はありますか? 「ナムアミダブツ」と口にする機会は? 葬儀にせよ何にせよ、何事も自分たちの都合のいいように、好きなようにやる、というのであれば、「神仏」は要(い)りません。そこに見出される「個人」もまた、結局は私たちの思い一つ。好きか嫌いか、身内か他人か。「そうじゃない。いのちは、私たちの自己満足で終わっていけるものではない」。そう教えてくれる、具体的な「かたち」が必要です。

念仏をはなれて仏もなく自分もない

 浄土真宗にあって、伝えられていくべき「かたち」とは何か? ただ一つ、「ナムアミダブツ」です。簡単な言葉。けれどここに、私たちにとってのすべてがあると言われます。「あなたは、その『かけがえのないいのち』をどこで受け止めていくのですか」。金子氏の言葉は、現在の私たちに問いかけています。

内記  洸(ないきたけし)
1982年生まれ。岐阜高山教区高山2組徃還寺衆徒

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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◎能登半島地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 1月1日に地震が発生して一ヶ月になります。(1/31現在)テレビ等で被災地の様子を視聴するたびに震災の酷さと生活の厳しさに胸が痛みます。一日も早い復興を心から願います。

合掌

2024年1月の法話

[1月の法語]

帰ってゆくべき世界は 今()う光によって知らされる

To encounter the Infinite Light is to have our hearts turn to that infinite world where we shall one day return: the Pure Land.

To encounter the Infinite Light is to have our hearts turn to that infinite world
where we shall one day return: the Pure Land.

淺井成海(あさいじょうかい)

[法話]

「帰ってゆくべき世界は 今遇う光によって知らされる」は、尊敬する浅井成海師が遺(のこ)された言葉だ。先生は、俳人・尾崎放哉(おざきほうさい)を紹介され、この言葉を記(しる)された。そこで、私も放哉に関する本を数冊取り寄せて読んでみた。

尾崎放哉は1885(明治18)年、鳥取県邑美(おうみ)郡(現在の鳥取市)に生まれ、一高から東京帝国大学法学部へ。生命保険会社に入り若くして支店長というエリート街道を歩む。しかし大学時に覚えた酒癖がひどくなりさまざまなトラブルを起こす。加えて肋膜(ろくまく)炎等も発症し仕事もままならず、1925年夏に小豆島へ辿(たど)りつく。一歳年上の俳句仲間、萩原井泉水(おぎわらせいせんすい)の紹介であった。当地で高野山真言宗・西光寺住職、杉本宥玄(ゆうげん)師の世話を受け、あばらやの南郷庵に身を寄せ、近隣の人びとの支援をいただきながら生活した。しかし病は回復せず、翌年4月に死去する。その間の事情は吉村昭『海も暮れきる』(講談社文庫)に詳しい。

放哉は評判が極めて悪かった。エリート臭が抜けず尊大で、金の無心をする。酒を飲むと悪口が止まず、骨身を断つような筆致で知人を批判した手紙も残っている。エリートだから仕事も選(え)り好みする。他人の施(ほどこ)しを素直に受け入れられない。受け入れれば、自分を貶(おとし)めることになると感じる。また善意の相手を怪(あや)しむ。自らの性根(しょうね)の裏返しであったのだろうか。

しかし島に行き着いた時、既(すで)に働く力も失われ、島の人びとの支援を受け入れざるを得なかった。
放哉は、手紙に、宥玄師の厚意を得た際に感涙したと書き、
「トニ角(とにかく)、此島デ(このしまで)死ナシテ(しなして)貰ヘル(もらえる))事ニ(ことに)ナルラシイデス(なるらしいです)」と添(そ)えている。

よほど安堵(あんど)したのだろう。吉村昭は近隣の漁師夫婦について、
「シゲは、放哉の世話をしてくれているのに、なんの報いも求めない。シゲのみならずその夫である老漁師も魚などを持ってきてくれるが、むろん代価などは要求しない」(傍点、筆者) と放哉が感謝していたことを記している。最晩年、死を意識した句が増えていく。

赤ん坊ヒトばんで死んでしまった
肉がやせて来る太い骨である
春の山のうしろから烟(けむり)が出だした

そして、亡くなる数カ月前の手紙は「南無阿弥陀仏」で閉じられている。

阿弥陀さまの救いは無条件だ。善行の見返りに浄土へ往生できるのではない。阿弥陀如来は、欲望の心や自分中心の考え方を離れられない者を救おうと、今も無私のはたらきに勤(いそ)しまれている。

これが娑婆(しゃば)の価値観では受け入れにくい。自分の力を妄信(もうしん)していると理解できない。しかし、この世界にも、ささやかな無私の行為が起こる。そのささやかな行為が微(かす)かな光となり、仏の救いへと誘(いざな)うことがある。最期の放哉にそれが起きて、念仏が生じたのではないか。浅井先生は、慈(いつく)しみを受ける心を表現した放哉の句を紹介されている。

入れものが無い両手で受ける

何も無くなった手のひらだからこそ、温もりがそのままに伝わってくる。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎あけましておめでとうございます。旧年中は何かとお世話になりありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 年明け早々の1月1日に能登半島で大地震が発生しました。現在(1月3日時点)でも大きな余震が続いています。被害状況も極めて深刻です。被災された方々には何卒ご無事でありますようお念じ申し上げます。(現在詳細が不明なのでコメントは控えます)

合掌

今年の法話(2024年)

[表紙の法語]

光明(こうみょう)名号(みょうごう)がからみ合い(たえ)なる音楽を(かな)でている

When the Light and the Name entwine themselves,
wondrously beautiful music begins to play!

When the Light and the Name entwine themselves,
wondrously beautiful music begins to play!

青木新門(あおきしんもん)

[法話]

西日が沈むと、光は瓦(かわら)の隙間(すきま)に吸い込まれるように消え、夕闇に包まれる御影堂(おみどう)。...御堂の中は光で満ちている。人影がないのに、念仏の声がする。光の中から声が聞こえてくる。光明と名号がからみ合い、妙なる音楽を奏でている。 (『青木新門の親鸞探訪』東本願寺出版)


 晩秋の夕暮れの真宗本廟(ほんびょう)(東本願寺)を訪ねた青木新門さんは、厳(おごそ)かな風景を美しく、有り難く表現されました。御影堂にお参りし親鸞聖人に向き合うと、光の中から念仏の声がするという描写に心が打たれます。


 「光明」と「名号」という表現から、おのずと「正信偈(しょうしんげ)」の「善導大師章」が導き出されます。


善導独り、仏の正意を明かせり。...光明名号、因縁を顕(あらわ)す。 (『真宗聖典』207頁)


と親鸞聖人は讃じておられます。善導大師は、他力の信心を得るには、阿弥陀仏の「智慧の光明」が縁となり、南無阿弥陀仏の「名号」が因となると説かれ、「光明」と「名号」の因縁により信心をいただくことをご教示くださいました。誠に有り難いことです。


 「正像末和讃(しょうぞうまつわさん)」に、


無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ)なり (『真宗聖典』503頁)
(いつ明けるか分からないほどの暗く長い夜の中であっても、私を照らす大きな灯(ともしび)がある。)
とありますが、私たちの深い煩悩により混迷が続くこの時代は、まさに「無明長夜」の世です。そのような中で、ただ弥陀の「智慧の光明」が救いです。阿弥陀仏は、決して遠いところにましますのではなく、私の上に智慧の光明となり、無明の闇を照らしてくださると感謝しています。


 「光明」について、常に思い浮かぶ親鸞聖人のご和讃があります。


智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ(『真宗聖典』479頁)


 〔意訳〕弥陀の「智慧の光明」は無限です。限りある命のすべてのものが、阿弥陀仏の光に照らされています。阿弥陀仏の真実の救いを頼み、信仰に生きよう。


 暗闇の中でさまよう私に、光をあててお救いくださる阿弥陀仏のはたらきには感謝せずにおれません。


 青木新門さんは、晩年まで長年にわたり、フェイスブックに「念仏広場」を開設し、毎日、念仏の仲間たちに親鸞聖人の教えをわかりやすく伝え、共に念仏を喜ばれました。


 特に私の印象に残ったのが、2021年の元旦に、


新年明けまして 南無阿弥陀仏
弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし
─親鸞「正像末和讃」


親鸞聖人の仰せにしたがって私は今年も、お念仏を旨(むね)として憶念の心で書き綴(つづ)っていきたいと思っています。
...皆様からのお念仏の声が何より力になります。昨年同様、お力添(ぞ)えを賜(たまわ)れば有難いです。南無阿弥陀仏


と投稿された文章です。青木さんは晩年まで、念仏の尊さを伝えることを生涯の仕事とされ、感動を与えてくださいました。


 現代社会においては、苦しみ悩む人に寄り添う気持ちの大切さが切に求められています。阿弥陀仏の光に照らされ念仏申す中で、その求めに応えていく生活が開かれるのではないかと思います。


石橋 義秀(いしばし ぎしゅう)

1943年生まれ。大阪教区第21組善正寺住職。大谷大学名誉教授

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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[註]:青木新門(1937~2022)日本の作家、詩人。『納棺夫日記』の著者

2023年12月の法話

[12月の法語]

一人一人がお浄土(じょうど)を (かざ)っていく 一輪一輪の花になる

Each and every one of us, one by one, becomes a flower to adorn the Pure Land.

Each and every one of us, one by one, becomes a flower to adorn the Pure Land.

梯 實圓(かけはしじつえん)

[法話]

何を見て美しいと感じるかは、人によってそれぞれ違うものですが、「花」は、多くの人が美しいと感じるものの一つでしょう。花の咲く植物は、地球上におよそ20万種もあるそうですから、その中のどんな花が好きなのかも、人によってそれぞれ違うでしょう。毎日通る道端(みちばた)のたんぽぽに(いや)されたり、大切な人からもらった花束(はなたば)のバラがやはり大切な花になったり。一方で、花の値段(ねだん)や希少性(きしょうせい=少なくて珍しいこと)にとらわれることもあります。値段の高い花だから美しい、とても珍しい花だから好きだ、というのは少しさびしい気がします。

ここ数年、朝顔を育てています。日当たりの良すぎる窓にグリーンカーテンを作りたかったのですが、まったく思ったようにはなりません。難しいものです。まだツルも出ないうちに、野生のシカに食べられてしまうこともあります。窓の下の地面がコンクリートなので、植木鉢(うえきばち)で育てています。グリーンカーテンを作るほどには大きくならなくても、花が咲くと(うれ)しいものです。かわいい花を楽しんでおりました。

昨年、コンクリートの隙間(すきま)から、朝顔の芽が2本出てきました。こぼれた種からひとりでに出てきたわけです。そのままにしておいたところ、みるみる大きくなり、大きな葉っぱがたくさん出てきて、大きな花もたくさん咲いて、たった2本で立派なグリーンカーテンとなりました。植木鉢の朝顔もそれなりに成長して花も咲いたのですが、勢いの差は一目瞭然でした。やはりなかなか人間の思い通りにはならないものです。もしかしたら、コンクリートの隙間の先には、私たちの知らない世界が広がっているのかもしれない...。

思い通りにならなくてあれこれ考える時がありますが、それはたいてい時間に余裕がある時です。日常が忙しい時には悩む暇もありません。多くの植物は寒い冬の間、ほとんど活動していないように見えます。しかし、寒さに耐えながら根や(くき)は養分をたくわえ、種は次に芽を出す場所を求めます。人間の目からは見えなくても、確実に春に向けて準備をしているのです。冬の時期の水やりが、次に咲く花に大きく影響する植物もあります。きっと人間にとっても、考える時間は準備であり、いろんなことを吸収するチャンスなのでしょう。自分の足元の地面のことですら、よく知らないのですから。

「一人一人」「一輪一輪」という表現には、他人(まか)せにしてはいけないという厳しさと、他人に頼ってもかまわないという優しさの両方を感じます。ぼんやりしている人には「さあ、目を開いて!」と呼びかけ、エネルギーが切れそうな人には休息を与えてくれると感じます。

「一人一人」と呼びかけられるということは、私たち一人一人に対して、別々に呼びかけられているのだと思います。大勢の中の一人ではなく、ただの一人として。その一人がたくさん集まって、それぞれの生き方で、それぞれの花になります。私が私として、一人一人が生きることで、浄土の世界を飾り続けていくのではないでしょうか。

須貝 暁子(すがい きょうこ)
1978年生まれ。山陽教区第4 組善照寺住職

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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◎師走に入り、今年も暮れようとしています。年齢も関係していると思いますが、年々時間の経過が早くなっているように感じます。皆さんはどういった一年だったでしょうか。
今年も明るいニュース暗いニュースと様々な出来事がありました。5月に新型コロナが5類感染症となり規制緩和が進みました。コロナの感染がなくなったわけではありませんが、コロナ渦がようやく収束したことに「本当に長かったなぁ」と今更ながら感じる次第です。
世の中の動きも私たち自身も変化していくのですが、「すべての人を救いとってやまない」という阿弥陀さまのご本願はいつの時代も変わりません。どんな時も阿弥陀さまのお慈悲の光の中で生かされていることに感謝してお念仏申したいと思います。
一年間大変お世話になり、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。来年もよろしくお願い申し上げます。

合掌

2023年11月の法話

[11月の法語]

生の依(よ)りどころを与え 死の帰(き)するところを与えていくのが 
南無阿弥陀仏

Namo Amida Butsu is the authentification of receiving life in this world
and going to the Pure Land after death.

金子大栄(かねこだいえい)

[法話]

本来宗教とは、私たちに正しい生き方を指(さ)し示し、正しい死の受容(じゅよう=受け入れること)を明らかにするよう促(うなが)すものだと思います。

ところが現代社会において、宗教は自分の欲望を満足させるための祈(いの)りであったり、自身の不安や困った状況を自分以外の何かに責任転嫁(せきにんてんか=自分が引き受けなければならない任務・責務を、他になすりつけること)して、それらを排除(はいじょ)していこうとするための手段となっているように思われます。

また仏教も、生き方を問うことよりも死後に重きがおかれ、教えの内容よりも儀式や勤行(ごんぎょう=仏前で、一定の時を定めて行う読経・回向など。お勤め)などの形に偏(かたよ)った、本来とは少しちがう伝承(でんしょう)になっているように感じます。それは当然、伝える側の責任が大きいことは言うまでもありません。今こそ仏教、とりわけ浄土真宗が何を伝えてきたのかを確認する必要があります。

ご門主は、伝灯奉告(でんとうほうこく))法要初日(2016年10月1日)に、「念仏者の生き方」と題したご親教(しんきょう=宗派を代表するご門主様のみが語ることのできるご法話のこと)で、親鸞聖人がご門弟に宛(あ)てられたお手紙を現代語で紹介され、私たちの生き方について、
「(あなた方は)今、すべての人びとを救おうという阿弥陀如来のご本願のお心をお聞きし、愚(おろ)かなる無明(むみょう=真理を悟ることができない無知、最も根本的な煩悩)の酔いも次第にさめ、むさぼり・いかり・おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」とお示しになられています。たいへん重いご教示です。

今日、世界にはテロや武力紛争、経済格差、地球温暖化、核物質の拡散、差別を含む人権の抑圧など、世界規模での人類の生存に関わる困難な問題が山積(さんせき)していますが、これらの原因の根本は、ありのままの真実に背(そむ)いて生きる私たちの無明煩悩(むみょうぼんのう)にあります。もちろん、私たちはこの命を終える瞬間まで、我欲(がよく)に執(とら)われた煩悩具足(ぼんのうぐそく=煩悩のかたまりである人間)の愚かな存在であり、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできません。しかし、それでも仏法を依(よ)りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間になるのです。
と、仏法を依りどころとして生きる大切さを述べられました。

私たちは、阿弥陀さまの「すべての生きとし生けるものを救う」というご本願のお心にふれることによって、むさぼり、いかり、おろかさという煩悩に振り回され、自分や自分に縁のある人の幸福や利益のことしか考えられず、自己中心の生き方しかしてこなかった、恥ずかしい自分であることに気がつくのです。

そこから、少しずつ自分中心から仏さまの教えを中心に生きようとする私に変えられていきます。阿弥陀さまの「すべての生きとし生けるものを救う」という願いは、私の生きる依りどころとなるのです。

「すべての生きとし生けるものを救う」というお心は、言い換えれば「四海のうちみな兄弟」(曇鸞大師『往生論註』)ということです。そこには、敵味方という対立もなければ、怨(うら)み憎むというようなことも、自分の気に入らない人びとを差別し排除することもない。すべてはみな、等しく尊いいのち、阿弥陀さまの浄土へと迎(むか)え取られていくいのちとして、死の帰するところが与えられます。

阿弥陀さまのお心を生きる依りどころとして、本当の人となり、そして、やがていのち終えるときには、お浄土へ往生し仏とならせていただく道があります。その道を阿弥陀さまは伝えようとなさったのです。

中川 清昭(なかがわ しんしょう)
本願寺布教使、仏教婦人会連盟総会講師、福岡教区御笠組願應寺前住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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[註]金子大栄 1881~1976 明治~昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶、仏教思想家