松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

〒553-0003 大阪市福島区福島3-4-4
TEL 06-6451-7966 / FAX 06-6458-9959

今月の法話

2025年1月の法話

[1月の法語]

いつでもどこでも (だれ)でも助ける(ぎょう) それは念仏

The practice that enables anyone, at anytime, anywhere, to become liberated is none other than the Nembutsu.

竹中 智秀(たけなかちしゅう)

[法話]

私は10年以上前に、趣味の自転車で交通事故に遭(あ)い、大ケガを負って2カ月の入院生活を余儀(よぎ)なくされたことがあります。

その時にお世話になった救急医療のありようを通して、お念仏に込められた阿弥陀さまのお慈悲を思うきっかけとなりました。

中国の高僧 善導(ぜんどう)大師は、阿弥陀さまの大いなるお慈悲のありようについて、

「陸の上の人よりも、水の中で溺(おぼ)れている人を、急いでお救いくださる」という「救急の大悲」をお示しくださいました。

「苦しんでいるいのちを、なんとかして救いたい」という救急医療のありようを通して、阿弥陀さまのお心の一端(いったん)を思います。

「いつでも」・・・「夕方6時で受付を終わりますね、年末年始は休業しますね」という救急医療はあまり聞いたことがありませんね。24時間365日休むことなく、苦しむいのちを救いたい、という願いが救急医療に込められています。

「どこでも」・・・都会はいいけど、私が住んでいる飛騨(ひだ)の田舎はちょっとやめときますね、という救急医療も聞いたことがありませんね。どのような場所であっても、病気やケガで大変な目に遭っている人を救いたい、という願いが救急医療に込められています。

「だれでも」・・・救急医療の現場で「あなたちゃんと税金を納めていますか?」「支持する政党はどこですか?」とは聞かれませんね。治療を受ける患者さんに一切の区別・選別・差別をせず、あらゆる人を救いたい、という願いが救急医療には込められています。

ただし実際に救急病棟(びょうとう)に運ばれますと、腰を痛めた年輩の方や、熱を出して泣き止まない赤ちゃんより先に、私がまっさきに治療を受けることができました。

それはなぜなのか。救急医療の現場においては、最も大きなケガや病気を負った患者が、真っ先に治療を受けるべき「おめあて」である、ということなのです。

南無阿弥陀仏のお念仏に込められた阿弥陀さまのお慈悲とは、まさに「救急の大悲」でありました。

「いつであっても、どこであっても、あらゆるいのちを救う仏に、私が成る」との願いが完成され、南無阿弥陀仏のお念仏と成って、私が称(とな)えるまま、聞こえるまま、私の中に入り満ちてくださっています。

そのお心をよくよく味わっていきますと「今、ここで、この私が一番のめあて」と願われていました。最も大きな苦悩を抱(かか)え、最も救われ難いいのちであるこの私こそが、阿弥陀さまのお慈悲のど真ん中に包まれていたのです。

朝戸 臣統(あさと たかつな)
本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、
布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎今回は阿弥陀如来の働きを救急医療のありように例えながらのご法話でした。

ここで私が感じたのは、朝戸先生が大けがをして二ヶ月もの入院生活があればこそのお話でありお気づきであるということです。大過のない日常生活をしていて阿弥陀如来のお救いに気づくことは滅多にありません。気づいたと思ってもすぐに忘れてしまうのがこの「私」です。そんな「私」こそが救いの目当てであると仰せになるのが阿弥陀如来なのです。よくよく考えてみなければと改めて思いました。

合掌

今年の法話(2025年)

[今年の法語]

宗教とは生死(しょうじ)(つらぬ)くまこと一つの教え

Religion surely is a guide for one to cope with living and dying.

中西 智海(なかにしちかい)

[法話]

「死んだらおしまいですよね。生きているうちが花ですね」 ご法事の際に、参加者から聞こえてきた「ホンネ」です。 世の中では「よりよく生きる」ことがもてはやされ、死を遠ざけ、目を背(そむ)けていることが多いようです。でも、死を見つめなければ、本当の生もわからないのだと教えてくれるのが、宗教ではないでしょうか。

「蟪蛄は春秋を識(し)らず」とは、中国の思想家 荘子(そうし)が残した言葉だそうです。夏の暑い季節に地中から這(は)い出て成虫となるセミ(蟪蛄)は、春と秋を知ることはない、と仰(おお)せになりました。それを受けた中国の高僧 曇鸞(どんらん)大師は「この虫あに朱陽の節を知らんや」(『註釈版聖典七祖篇』98頁)と続けられたのです。つまり、春と秋を知らないセミは、夏(朱陽)が夏であることさえも知らないのだ、という譬(たと)えです。

曇鸞大師は、セミをバカにしているのではありません。私の姿を言い当てておられるのです。私のいのちがどこから来て(春)、どこへ行くのか(秋)を知らないままに人生を過ごすのであれば、人生の意味(朱陽)を知らないままに、虚(むな)しい人生となってしまうとおっしゃるのです。

私の日常では、生きていることが当たり前で、死は不幸にも突然にやってくるのだと思い込んでいます

「生は当然、死は突然」

というのが、私の握りしめた「モノサシ」です。

しかし、仏法に照らされることで、そうではない「モノサシ」が示されるのです。不思議なご縁が重なり合い、人として誕生することができた私であると同時に、この世の縁が尽きたならば、いのち終えていくことは必然なのでありましょう。

「生は偶然、死は必然」(金子大榮(かねこだいえい)師)

という、私のいのちのありようを、仏法は教えてくださいます。まさに「生死一如(しょうじいちにょ)」であり、生も死も分け隔(へだ)てできず、どちらも私のいのちの現実であることを知らされるのです。

残念ながら、私たち人間の限定的な知識の積み重ねでは、このいのちの行き先はわかりません。だからこそ、釈尊(しゃくそん=釈迦)が説かれた仏法を聴き、人知を超えた救いのはたらきを聴かせていただくのです。

自ら迷いを断ち切って、生死を超える道を歩みなさい、という仏道もありますが、親鸞聖人がお示しくださった他力念仏は、私に迷いを断ち切りなさい、自分で生死を乗り越えなさいという仏道ではありません。

苦悩と迷いを抱(かか)えて生きる私に「かならず救う、われにまかせよ」との願いを「南無阿弥陀仏」に仕上げてくださいました。

称(とな)えるまま、聞こえるまま、ずっと私に寄り添い続け、この世の縁が尽きる時には、かならず浄土に生まれて、仏と成らせていただく。

生死を貫くまことの教えは、南無阿弥陀仏と仕上がって、すでに阿弥陀さまから届いているのです

朝戸 臣統(あさと たかつな)
本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、
布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎あけましておめでとうございます。旧年中は何かとお世話になりありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年は元日に能登半島地震があり大変でしたが今年は穏やかな年始を迎えることができました。このまま平和な日々が続いてくれたらと願うばかりなのですが、諸行無常(あらゆるものは例外なく移り変わってゆく)であり、山あり谷ありなのが人生です。だからこそこんな私たちを知恵と慈悲の光で照らしてくださる阿弥陀如来に全てお任せしこの一年も力強く生き抜いてゆきたいと思うのです。

合掌

2024年12月の法話

[12月の法語]

貴方(あなた)の感じられている (むな)しさこそ 真実の世界への 強烈な(あこが)れなのです

That empty feeling inside is just our heart yearning for that truly real world: the Pure Land.

米沢英雄

[法話]

 この法語は、『同朋』(東本願寺出版)1967年9月号の中で、米沢師が「若き友へ」と題した寄稿文(きこうぶん=依頼されて、新聞や雑誌などに送る原稿)に出てきます。若き青年が一流会社へ就職し三年が経ち、「この頃毎日、空虚(くうきょ=実質的な内容や価値がないこと。むなしいこと。また、そのさま)を感じている」というお手紙に対して返信された中での言葉です。

 1967(昭和42)年は、日本の高度経済成長期の真っ盛りでありましょうか。その頃、この青年は今の今まで努力を惜しまずに頑張ってきたに違いありません。しかし、頑張っても頑張っても落ち着くところがない。次から次へと課題が押し寄せ、心から安心できる場所が見えない中で空虚さを感じずにおれなかったのです。それは世間の価値観に翻弄(ほんろう)され、もがき生きようとする中に、芽生(めば)えだした世間や自分自身に対する違和感でもあったことでしょう。そのような状況で、「今こそ方向転換のチャンスだ」と見たのがこのお言葉なのだと思います。

 私たちは、どのような職業に就(つ)くにしても、この身を持ってこの世を生きる時、自分の能力が試される場を頂くことになります。私は、22年前、全く知らぬ地で入寺(現在の寺)しました。お寺には様々な行事がありましたが、その中に、入寺する前には聞かされていなかった日曜学校もありました。義母から、「貴方ならできるでしょう。さあどうぞ」といきなり手渡されたのです。

 義母である「女先生」の後任として突然現れた私に、子どもたちは戸惑いもあったのでしょう。「デシ」というあだ名を付けられました。女先生の後任で、子どもたちよりも日曜学校の後輩であるがゆえ〝弟子〟にはちがいありません。それからというもの、道すがら子どもたちに遭遇(そうぐう=不意に出あうこと。偶然にめぐりあうこと)した際は、「デシ!」と犬を呼ぶように呼び捨てをくらう。私はこの呼ばれ方にすごく傷つき、やりきれなさを伴う虚(むな)しさが込み上げてくる思いを経験したのでした。住職として日曜学校を荷負(にお)おうとしているのに、私の思いとは反し、「認めてもらえない存在」という烙印(らくいん)を子どもたちに押されたようで大変落ち込みました。

 米沢師は寄稿文の中で、「私たちのもっとも捨てがたいものは、(中略)自惚(うぬぼれ)ごころでありますが、(中略)これを捨て得たとき、もっとも大切な願いである、心やすらかな真実の国へ生まれる」とも書いておられます。虚しさを感じたということは、自身の自惚れに気づき、本当の自身の姿を知る機会であったのです。私においては、「デシ」と呼ばれることの虚しさとは、他者(子どもたち)に尊厳を見出すことができない状況で、自尊心という名の我が身の可愛さでしかありませんでした。つまり、そこには他者がいるにもかかわらず他者存在が欠落していたのです。他者を尊厳ある人と見出せた時こそ、心安らかなる真実の国へ生まれ、「不真実」と如来より言い当てられた私の歩みが始まります。

 子どもたちが尊き他者としてこの私に迫ってきて22年、今も日曜学校は続いています。お互いを丸ごと認め、そして我が身自身を知らされる場が日曜学校でした。それはどこまでも、「他と比べることのない尊いいのちの場を今ここに開いてゆきたい」との願いを宿すと同時に、自分の至らなさを気づかせていただく道場でもあったのです。

芳原 里詩(よしはら さとし)
1963年生まれ。小松大聖寺教区第1組妙德寺住職。

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎先月から急に季節が変わり冬らしくなってきました。今月はもう師走です。光陰矢のごとしと言いますが、今さらながら時間の経過に驚きます。今年は元日に能登半島震災が起こり暗澹(あんたん)たる幕開けでした。また夏にはパリオリンピック・パラリンピックがあり日本人選手の活躍が報道されました。記録的な猛暑も各地で観測されました。うれしいことも悲しいこともありましたが阿弥陀さまの願いの中で生かされていることに感謝したいと思います。

一年間大変お世話になり、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

合掌

2024年11月の法話

[11月の法語]

仏の救いのはたらきが 私の声となったお念仏

Our voices saying the Buddha-name nenbutsu
is the Buddha's salvific working for our benefit.

内藤知康(ないとうともやす)

[法話]

2022年4月25日に、恩師の丘山新先生がご往生された。大学3年生時からご指導くださっていたので35年以上に及ぶお付き合いをいただいたことになる。最初は大学時代、続いて親鸞聖人の和語聖教勉強会、そして京都にいらしてからは本願寺派総合研究所にてご指導を賜(たまわ)った。

先生は勉強会を「最近、何か面白いことがありましたか?」という質問で始める。不用意なことを言うと、つまらなさそうにされるので要注意だ。東京で和語聖教(わごしょうぎょう=親鸞聖人が和文で綴(つづ)られた著作)の勉強会をしていた時には、東京教区のA先生が、いつも面白いことを言ってくれたので、研究会が盛り上がった。A先生の意見は、素朴だが核心を突く問題提起が多く、丘山先生はそういう話題を好まれた。小賢(こざか)しくなるなという戒(いまし)めがあったように思う。

先生自ら面白い気づきを披露(ひろう)されることもある。その一つを紹介したい。

「最近は、善いことをしようとする心が起きると、その心は誰かから頂戴(ちょうだい)したと思うようにしているんだ。たとえば、電車で席を譲ろうという心が生まれたら、この心は、誰からもらったかな、と考えるんだ。過去世(かこぜ=現世に生まれる前に存在していた過去の世)に仏さまから頂戴したものかもと思ったりするんだ。どう思う、藤丸さん」

20年くらい前のことだ。この時、私はピンとこなかった。しかし、今思うと、非常に大事な問題提起だった(先生の言葉は、10年後に効(き)いてきたりする)。
先日も甥(おい)っ子が、不承不承(ふしょうぶしょう=気が進まないままにするさま)「ごめんなさい」と言いに来た。本堂の障子(しょうじ)を破ったのが一つ目の理由。二つ目は、母親に「謝ってきなさい」と言われたからだ。これは母親に促(うなが)された謝罪である。この謝罪が、誰によるものかは明確だ。

このように、現在の誰かによって直前に促された行為は「誰によるもの」かがわかりやすい。ところが、遠い過去に由来し、時間を超えて促されたものはわかりにくい。仏教には「薫習(くんじゅう)」という言葉がある。ある行為が、香りがたきしめられるように心に留まり、時間を経て影響が出るという意味だ。
こうした場合、何に影響を受けて現れ出たか気づきにくい。自分の心が起こしたくらいにしか考えないから、由来を尋ねない。親鸞聖人は、

「たまたま信心を獲(え)ば、遠く宿縁(しゅくえん)を慶(よろこ)べ」(『浄土文類聚鈔』、『註釈版聖典』484頁)

とおっしゃった。信心をいただいたなら、ずっと前にあった過去からの原因を慶びなさいというお言葉だ。

そもそも、私たちの行為で、何からも影響を受けていないものはない。では私の声として出てくるお念仏は、どこから来たのだろう。源(みなもと)は阿弥陀さまが菩薩として願を立てた時にあり、多くの人々の信心、念仏の声を通して私のところにやって来た。その由来を聞くのが、聞法である。由来を尋ねさせていただくと、仏さまの慈(いつく)しみと念仏に生きた懐かしい方々の願いが香ってくる。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎先月初旬は30℃前半だった最高気温がようやく20℃前半くらいになり秋らしくなりました。いつまでこんな暑い日々が続くのかとうんざりしていた時期もありましたが、どんなことにも終わりがあることを再確認しました。しばらくは寒暖の差が大きいのでくれぐれもご自愛くださいますようお念じ申し上げます。

合掌

2024年10月の法話

[10月の法語]

人間が人間だけでやっていく 現代の問題はそこにある

Humans think only of what is good for humans. That is the problem of the modern age.

安田理深(やすだりじん)

[法話]

 私が仏法の聴聞(ちょうもん=法話、説教などを耳を傾けて聞くこと)の場に初めて出向いたのは、30代に差し掛かる頃でした。当時、幼馴染(おさななじみ)を自死で失い、途方(とほう)に暮れ、居ても立っても居られなかったのがきっかけでした。

 初めて訪ねた場は、部屋いっぱいに聞法者(もんぽうしゃ)が集まっており、皆で「正信偈(しょうしんげ)」をお勤めし、静かに語る宗正元(そうしょうげん:1927~ 真宗大谷派僧侶)先生の姿があり、先生の話を熱心に聞く方々の姿がありました。その熱気に満ちた光景に、「このような場所があったのか」と驚かされたことを今でも鮮明(せんめい)に思い出します。

 その場で先生がお聖教(しょうぎょう)の言葉を語られる時、言葉そのものを説明するというものではなく、様々な表現をもって語ってくださるというものでありました。

 その中でも心を打たれたのは、先生が『目連所問経(もくれんしょもんきょう)』の、

たとえば万川長流(ばんせんちょうる)に草木(そうもく)ありて、前は後を顧(かえり)みず、後は前を顧みず、すべて大海に会(え)するがごとし。世間もまたしかなり。豪貴富楽(ごうきふらく)自在なることありといえども、ことごとく生老病死を勉(まぬか)るることを得ず。
(=たとえば、長い川の流れに漂う草木は、前のものが後のものを気にかけることもなく、後のものが前のものを気にかけることもなく、すべて大海に流れこむようなものである。世間のありさまもその通りで、身分が高く豊かで何不自由ないものでも、すべてのものはみな生老病死の苦を免(まぬが)れることはできない)
(『真宗聖典』173頁)

という文を取り上げた後におっしゃった、「人生は途中。一生涯は途中である」という言葉でした。その言葉を聞いた私は、幼馴染の人生も、私の人生も途中であり、それまで人生とは人それぞれに終えていく、完結していくものだと思っていたので、そのスケールの大きさに驚かされました。またそれは深く長く広がった人間の歴史的な歩みということへの頷(うなづ)きであったのだと思います。

 先生の語ってくださる言葉の中には、曽我量深(そがりょうじん:1875~1971真宗大谷派僧侶、仏教思想家)、金子大榮(かねこだいえい:1881~ 1976真宗大谷派僧侶、仏教思想家)、安田理深(1900~ 1982日本の仏教学者)他数々の先生たちの言葉がありました。その中で気づかされたのは、先生の言葉は、ご自身が人生において聴聞してこられた諸師の言葉であり市井(しせい=人が多く集まり住む所)の方々の言葉でありました。そしてそれは先生の背景からの私たちへの呼びかけの言葉であります。歴史の叫び、苦悩の歴史の中で苦闘しながら現実を受け止めて生み出されてきた言葉であると、私は受け止めております。

 しかし、私自身の日常に目を向けると、身に起こる問題に対し解決ばかりを求めています。結論を急ぎ、分かりやすさの中に自らを安心させてくれる答えをスマートフォンで探すのに必死です。先に受け止め頷いたことも虚しく、日常の中で私自身の安心が最優先です。安田先生は、このような在(あ)り方は現実を拒(こば)む姿なのだと教えてくださいます。

 一方で目立たず、お聖教の言葉の理解の別を超え、身の現実に顔を上げ法と向き合う方々がいる情熱の場があります。そのことを知りながらも、そうした場になかなか足が向かない私に、安田先生は冒頭の法語に続けて言われます。

理性に立った人間が理性にいきづまる。現代自身が大きな危機にいる。法というものと遊離(ゆうり=他と離れて存在すること)した社会、歴史的現実と離れた時に仏法は死んだのである。(『聞思の人⑤安田理深集(上)』東本願寺出版)

 私と仏法との距離について考えさせられます。そして、そのたびに「とにかく座っていればいい」という私の恩師・大島義男先生からの言葉が耳鳴りのように頭に響き、私を安眠させてくれません。この煩(わずら)わしく思う耳鳴りこそ私に呼びかけてくる仏法なのかもしれません。

林  法真(はやし のりまさ)
1982年生まれ。東京教区長野2組西永寺衆徒

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
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2024年9月の法話

[9月の法語]

如来(にょらい)ご自身が南無阿弥陀仏となって衆生(しゅじょう)の前にあらわれてくださった

To reveal the Truth to us, that Truth, the Tathāgata,
had to become our voice saying, "Namu Amida Butsu.

寺川俊昭

[法話]

「千鳥(ちどり)」という人気漫才(まんざい)コンビがいる。私と同じ岡山県出身だ。
そのお二人が先日、岡山人どうしが、岡山弁で交(か)わす挨拶(あいさつ)について話題にしていた。大いに共感した。
街で思いがけず友人と会った時、岡山県民どうしは、どちらともなく
「なんしょんな、こりゃぁ~」
と声を掛ける。共通語訳すれば「(あなたはここで)いったい何をなさっているのですか?」という意味だ。これを、相手の顔に自分の顔を近づけ、相手をねめ回しながら言う。ちなみに「ねめ回す」とは「睨回す」という動詞で「にらみ回す」「相手の全身をにらみつける」動作を意味する。これを慌(あわ)てず、ゆっくりと行う。
さて、このように挨拶された場合の対応は、初心者~上級者で三段階に分かれる。
初級「マック、行きょんじゃ(マクドナルドに行っているところです)」
中級「おめえこそ、なんしょんな(あなたこそ、何をなさっているのですか?)」
上級「いきしょんじゃ(息をしています)」
いきなり上級にチャレンジすると喧嘩(けんか)になりかねないので、ご注意を。
もちろん、このやり取りは、無意味に粗野(そや)で乱暴なのではない。この乱暴さが、久しぶりでも一気に親密さを回復させる魔法となるのだ。「俺たちは、形式的な関係じゃないよな」と確認し合っているのだ。

さて、お念仏に使われる「南無」(ナマス)は、現代インドでも用いられる挨拶の言葉だ。とてもありふれた挨拶言葉で「ナマステー」と互いに声を掛け合う。仏智不思議で私には理解が及ばないが、お念仏が、普通の挨拶の言葉を用いる理由について考えてみた。
まず、日常の言葉であるということ。お念仏は、特別な場所で特別な儀礼(ぎれい)の中でだけ用いられるものではない。日常の中にあり、いつでも、どこでも、座っていようが歩いていようが寝ていようが立っていようが、いつでも念仏。念仏は、日常の私の口からこぼれ、声の仏となってあらわれて、悲喜交々(ひきこもごも=悲しいこととうれしいことを、代わる代わる味わうこと)の日常を包みこむ。
次に行き来する言葉であるということ。本当に淋(さび)しい時、辛(つら)くて心が沈んでいる時に、誰かの称(とな)えた念仏が、ふと聞こえてくる。そんな時、「仏さまがいて見守ってくださっている」と、温もりが私に届く。それが、今度は私の声になって誰かに届く。声に出た念仏が、巷(ちまた)に溢(あふ)れていればいるほど、仏さまのはたらきが多くの方々に届いていく。
三つ目。何より、仏さまが「あなた」であるということ。「ナマステー」は、まさに出会っている者どうしが掛け合う言葉だ。念仏を称えるということは、今、まさに仏さまと会っていることを確かめさせてくれる。温もりが感じられる近さで、仏さまがはたらいている―南無阿弥陀仏。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎赤トンボが飛び交い始めました。この夏は記録的な猛暑、また8月末は迷走する台風で大変でしたが季節は(まだまだ暑いですが)少しずつ秋に移り変わってきているようです。
さて今月は秋のお彼岸です。今年は閏(うるう)年なので9月22日が秋分の日(彼岸の中日)となり、この日をはさんだ七日間(9月19日~25日)がお彼岸です。お墓参りとともにご先祖をご縁として仏法に耳を傾けましょう。

合掌

2024年8月の法話

[8月の法語]

私たちの人生の争いは いつも 善と善との争いだ

The struggle in life is always between one's sense of good and that of others.

宮城 顗

[法話]

 ひと言で「善」といいましても、私たちの暮らしの中にはたくさんの善があります。社会的道徳の善、正義に立つ善、理想を目指す善など、あまたの善が思い浮かびます。

 善と善との争いはなぜ起きるのか。当たり前に受け止めてきた言葉に、今回あらためて考えるきっかけをいただきました。

 私たちは様々な経験を重ね、知識を積み、個々の価値観を持ちながら暮らしています。また若い頃には、たくさんの経験を通し成長していくことが大切だと言われてきました。

 ちょうど我が家には2歳になる孫がいますが、彼女を見ていると、初めての体験の中で驚き喜ぶ姿は生きる意欲を感じさせてくれます。片や大人といわれる私たちは、これまで培(つちか)ってきた知識や経験のもと、いつの間にか自分の考えや是非善悪の分別を中心に物事を判断し、そのことを拠(よ)りどころとして生活をしています。

 経験といっても、どこまでも私個人の狭い世界でのことですが、このことは絶対であり、こうあるべきだ、あらねばならないと頑(かたく)なです。そこには自(おの)ずと人との争いも生じるのでしょう。とりわけ卑近(ひきん)な話では家族との関係があります。夫婦間の揉(も)めごと、嫁姑の問題、さらには、こんなはずではなかったと戸惑う親子関係。言わずもがな、私もその渦中(かちゅう=ごたごたした事件の中。もめ事などの中心)におります。

 私事ですが、息子が住職となり3年が経(た)ちます。彼は未(いま)だに全てを任せられずにいることへの不満を抱(かか)えています。一方、寺に嫁(とつ)ぎ亡き夫と担(にな)ってきた経験を自負している私。夫が居ないことで、その思いはますます強固になります。加えて私の常識は正しいと疑わず相手にも求めていきます。こうして、いよいよ家族との確執(かくしつ・かくしゅう=互いに自分の意見を強く主張して譲らないこと。また、そのために生じる不和)は深まるばかりです。

 このことは全て我々が抱(かか)える執着(しゅうじゃく)(我執)が根本問題だと教わっています。執着するとは、これまでの経験をもとに自身の考えや価値観に支配されるということです。

 しかも経験に基(もと)づくものはいつも気まぐれです。気まぐれにもかかわらず自分の考えに合わないものは受け入れず、目の前の出来事に囚(とら)われていきます。そして、この事実には、なかなか私の思いでは自覚することはできません。

 お念仏の道を歩まれた方が証(しめ)してくださる言葉には不思議な力があります。その言葉によって自身を振り返るきっかけをいただきます。しかし、それは単なる反省でしかなく、どこまでも私の思いに留まり、素直に応じることは容易ではありません。

 善し悪しの観念から離れられないからこそ、言葉との出遇いは現実の身に立ち返る大切なことなのかもしれません。

大中臣 千恵美(おおなかとみ ちえみ)
1959年生まれ。富山教区第12組勝福寺前坊守

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎大変な猛暑が続いています。ここ大阪でも連日最高気温が35℃以上となっています。熱中症にはくれぐれもお気をつけください。
先月末にパリオリンピックが開催されました。早々から柔道をはじめいろんな競技で日本人選手のメダル獲得のニュースが報じられています。メダリストだけでなく4年に一度の祭典で奮闘している選手たちを見ていると暑さでバテ気味の心身に元気をもらえる気がします。(ただし一時しのぎではありますが・・・)始まったばかりですが無事に日程終了することを願っています。

合掌

2024年7月の法話

[7月の法語]

(おこな)いと言葉(ことば)背後(はいご)に 世間(せけん)があるか 如来(にょらい)があるか

The question is whether our words and deeds are based on
the Tathāgata or worldly concerns.

The question is whether our words and deeds are based on the Tathāgata or worldly concerns.

深川倫雄(ふかがわ りんゆう)

[法話]

目覚まし時計を見る。蛍光塗料(けいこうとりょう)が塗(ぬ)られた文字が「3:14」と光っている。昨日は「3:13」に目が覚(さ)めた。最初は、何が起きているのかわからなかった。時間は2週間ほど遡(さかのぼ)る。

当地では、お盆・お彼岸に檀家(だんか)さんのお宅へお参りする。お盆は1カ月間ほどかかるので、なかなかの荒行(あらぎょう)である。終わる頃には、正直ホッとする。大袈裟(おおげさ)なようだが、特にお盆参りは暑くて厳しい。報恩講(ほうおんこう=毎年宗祖親鸞聖人への報恩のために営む法会)で数カ月間お参りする地域があるが、本当に大変だろうと思う。
長期間にわたるお参りが終了する最終日。疲れ切った私を迎えてくれるのは、母が作ったカレーライスだ。私の好物である。

その年のお彼岸。2週間ほどのお参りが終わり、8時頃に寺に戻った。玄関に入った途端(とたん)、カレーライスの香りがした。炊飯器(すいはんき)をあけて、湯気を立てているご飯を皿にこんもりよそう。鍋の蓋(ふた)を開けてカレーをかける。その時、少しおかしいなと思ったが、食卓について理由がわかった。焦(こ)げているのだ。黒い塊(かたまり)が幾(いく)つも浮かんでいる。試(ため)しに口に入れてみたがひどく苦い。疲れもあって、
「母ちゃん、カレーが焦げてる。こんなん食べれん」
と思わず声を荒げてしまった。カレーがかかっていないご飯を漬物(つけもの)で食べて寝た。瞬(またた)く間に眠りに落ちた。

「お兄ちゃん、お腹すいてない」
ドキっとして目が覚めた。ふすまを細く開けて母が立っていて、廊下の明かりが寝室に差し込んでいた。
「母ちゃん、眠たいんじゃ。ええかげんにして」
と再び私は大きな声をあげた。時計を見ると「3:13」だった。

それから2週間ほど後、京都にいた私に、妹から「母ちゃんがアルツハイマー」というメールが届いた。大きなショックを受けたのを記憶している。
それから数日間、3時過ぎに目が覚め続けた。最初は、なぜ3時過ぎに目が覚めるのかわからなかったが、やがて自分の気持ちが理解できた。あの日の「3:13」に戻って、母親にお詫(わ)びとお礼を言いたいのだと。
「大丈夫よ、お母ちゃん。大きな声を出してごめん。カレー、ありがとね」と。

その頃から、私の口から「南無阿弥陀仏」が、よく出るようになったように思う。
怒りや妬(ねた)みが私の心から無くなりはしない。悪い心が常にある。しかし、そこに仏さまがはたらいてくださる。心の裂(さ)け目から怒りが飛びだそうとすると、仏さまが代わりに出てくださる。世間の目を気にして乱暴な言葉を吐かないのではない。良い人になるわけでもない。仏さまが現れてくださるのだ。裂け目から出てくださるので、何とか頑張れている、そんな毎日を送っている。

お念仏が大好きだった母が、仏となって私を導いてくださっている。ありがたいことだ。そう書いたら、またお念仏がこぼれた。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎先月に引き続き今月のご法話も耳が痛い思いですが、痛いだけでなくありがたいお話でもあるのです。怒りが飛び出そうとするこんな私でも「南無阿弥陀仏」のお念仏が出てくるのですから。

合掌

2024年6月の法話

[6月の法語]

いい人 いい雨 いい天気 みんな私中心

Umm, nice person, nice rain, nice weather:
Everything's always centered around me, me, me!

大神信章(おおが しんしょう)

[法話]

 私たちは、何をもって「いい」「悪い」と言っているのでしょうか。それは、何事に関しても良し悪しを決めようとする、私の価値観やモノサシが作用していることに他なりません。このことは日々の様々な場面で直面します。

 私のお寺の境内では2匹の猫を飼っています。その1匹エリーは、2010年、ある方が、「境内で飼ってくだされば、いつでも会いに来られる」とお寺へ連れてこられました。寺はにぎやかなアーケード商店街に面しています。エリーは商店街を堂々と歩いて、日中は近所の行きつけの店を巡回し、夜中も境内を抜け出し、門前でゴロゴロすることは日常で、いつの間にか、ちょっとした「有名猫」になっていました。

 そんなエリーがある日、姿を消しました。連れ去りだったのです。それから約二週間後、奇跡的に救出され無事帰ってくることができました。警察署へ迎えに行った時、毛の艶(つや)もよく、外見は連れ去られる前と何の変化もなかったので、可愛がってお世話してもらっていたであろうことが想像できました。連れ去った人の本心は分かりません。しかし、私たち寺族と、必死で捜索(そうさく)に協力してくださった方々にとっては許されない行為です。

 このことは、全国テレビやネット上でもニュースになり、たくさんの意見が投稿されました。その中には、連れ去りに対する批判だけでなく、外で飼っていたことへの批判もあったのです。元々は境内で飼うことを前提にして、そして多くの方に可愛がられていたので、私としては「いい」と思っていた行いに対しての批判に、ハッとさせられました。

 相手への思いやりのつもりが、逆に迷惑に思われたことは多いにあるでしょう。物事を自分勝手な解釈や価値観だけで判断したときは、他人には受け入れられない場合も往々(おうおう)にしてあります。また、それを指摘されてもなお自分の過(あやま)ちに気づけないこともあります。私自身、今まで気づくことがないまま自分本位の「いい」をしているかもしれない...と思うと恐怖さえ感じます。

人のわろき(=悪い)事は、能(よ)く能くみゆる(=見える)なり。わがみのわろき事は、おぼえざる(=自覚できない)ものなり。
(『蓮如上人御一代記聞書』195・『真宗聖典』890頁)

と蓮如上人(れんにょ=1415~1499 本願寺第八世、本願寺中興の祖と呼ばれる)は教えてくださいました。私たちは誰でも善悪をはかるモノサシを持っています。しかし、人それぞれその尺度(しゃくど=判断、評価などの基準)が違うので、自分の「悪い」ところは差し置いて、他人の悪いところはよく目につくものです。

 このたびの出来事を振り返って、私自身の行いがいいのか悪かったのか、未(いま)だ迷っています。だからこそ、仏さまの教えを聞くご縁をいただき、立ち止まって「自分自身はこれでよいのか」と問い続けることが大切なのではないかと思います。

 今も、猫たちを見に多くの方がお寺をおとずれます。会えるだけで嬉しいと話してくださる方を横目に、エリーは外で自由に動き回っています。「常に私中心」の身である事実を、エリーは教えてくれているように思います。

郡 伸子(こおりしんこ)
1968年生まれ。四国教区松山組圓光寺坊守

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

[註] 大神信章:(1949~2013)浄土真宗本願寺派光林寺前住職

◎最近、雨天の日が多くまた気温差(又は気圧差)も大きいので体調も狂いがちでついつい愚痴も多くなります。これも(今回のご法話から)考えてみれば自分の都合で自然現象に文句を言っているわけでおかしな話です。そのほかにも「私中心」で物事をとらえていることに気づかされます。そんな「私」を救いの目当てにしてくださる阿弥陀さまに「ありがとうございます」と手を合わせお念仏いたしましょう。

合掌

2024年5月の法話

[5月の法語]

仏さまの光に()らされて私の心に(あか)りがつく

When the Buddha shines that Light on me,
oh my whole heart just lights up!

山本仏骨

[法話]

我々は意を決して、漆黒(しっこく=黒うるしを塗ったように黒くてつやがあること。また、その色)の闇(やみ)に足を踏(ふ)み入れた。
1986(昭和61)年7月初旬。大学の早い夏休みが始まろうとしていた。いつもの代わり映(ば)えしないメンツが、学生食堂にたむろしていた。華やかな学生生活を予想していたが、学生の90パーセント以上が男子の大学で、心浮きたつ出会いもなく、至って冴(さ)えない日々が続いていた(もちろん、出会いについては、他の主たる原因もあった)。

この日も各自の講義が終わると、三々五々(さんさんごご=三人、五人というような小人数のまとまりになって、それぞれ行動するさま)学食に集まり退屈と戯(たわむ)れていた。
「皆さん、夏はやっぱりビーチですか?」
オレンジ色のタンクトップ(=ランニングシャツに似た、首と腕とが大きく露出する形の上着)を着たNが言った。誰も反応しない。Nにだけ幼なじみの彼女がいたので、素直に笑えないのだ。
「凡庸(ぼんよう=平凡でとりえのないこと)だな」
と誰かがボソッと呟(つぶや)く。暫時(ざんじ=少しの間。しばらく)の沈黙の後、カーキ色(=黄色に茶色の混じったくすんだ色。軍服などに用いられる。枯れ草色)タンクトップのKが
「夏は肝だめしだろ」
と言った。というわけで我々はろうそくを買い、都心にあるA山墓地へ向かった。185センチ90キロ。巨体を誇るMを先頭に、じりじりと墓地へ入って行った。
まさに深い闇。ろうそくの灯(あか)りに照らされ、時々墓石群が浮かび上がる。コウモリがひらひら舞い、都会の喧噪(けんそう=物音や人声のうるさく騒がしいこと。また、そのさま)が遠ざかり会話も途切(とぎ)れる。全てを吸い込んでしまいそうな闇の中で、土を踏むコンバース(=スニーカーの一種)の音だけが響いた。
突如、予想だにしない悲劇が起きた。先頭のMが「おしっこ」と言って、ろうそくを放り出し、もと来た方角へ一目散に駆け去ったのだ。更に悪いことに、放り出したろうそくが地面に転がり、風に吹かれて消えてしまった。まさにまっくら(気分もまっくら)。
ところが......。僅(わず)か数秒の間に闇は消えた。Mが持っていたろうそくの灯りを凝視(ぎょうし=目をこらして見つめること)していた我々は、月と星が放つ柔らかな光に気づいていないだけだったのだ。我々は、既(すで)に光の中にいた。

自分が手に持つ光は、自身を照らさない。未来とか社会とか他人とか、自分の外側を照らそうとする。それどころか、手元の明かりを強くすればするほど、外からの光に気づけない。自分の力で光らせているものが弱まった時、やっと自分を照らす光があったと気づく。だから、自分の光だけを頼りにしている間は、なかなか仏さまの光(智慧)を素直に受け取れない。
既に仏さまの光に包まれていることに気づかされるのは、自力の光が揺(ゆ)らいだ時だ。その瞬間、仏さまの光は私たちの心に、消えない温(ぬく)もりとして灯(とも)ってくださる。それは弱さや醜(みにく)さも照らすが、同時にあたたかい。仏の救いは、私の努力を求めない。仏さまが欲望だらけの私を受け入れてくれるから、私も自分を受け入れることができる。やっと安心できる光に出遇(であ)える。
あれから35年。私を含めA山墓地探検隊の面々は、今ももがき続けている。時々、深い闇にも出会う。一生それは変わらないだろう。だからこそ、照らしてくれる光が嬉しい。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎ようやく春らしく新緑がまぶしい季節になりました。今回のご法話前半は私の学生時代と重なり懐かしい気持ちになりました。自分でもがいている間は(現在もそうですが)気づかないけれどもふとした時に阿弥陀さまの光に照らされていることに気づく。言い方をかえればどんな時でも阿弥陀さまが見ていてくださる。受け入れてくださる。お念仏一つで一緒にいられる。そんなことを再認識させていただきました。

合掌