松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2024年10月の法話

[10月の法語]

人間が人間だけでやっていく 現代の問題はそこにある

Humans think only of what is good for humans. That is the problem of the modern age.

安田理深(やすだりじん)

[法話]

 私が仏法の聴聞(ちょうもん=法話、説教などを耳を傾けて聞くこと)の場に初めて出向いたのは、30代に差し掛かる頃でした。当時、幼馴染(おさななじみ)を自死で失い、途方(とほう)に暮れ、居ても立っても居られなかったのがきっかけでした。

 初めて訪ねた場は、部屋いっぱいに聞法者(もんぽうしゃ)が集まっており、皆で「正信偈(しょうしんげ)」をお勤めし、静かに語る宗正元(そうしょうげん:1927~ 真宗大谷派僧侶)先生の姿があり、先生の話を熱心に聞く方々の姿がありました。その熱気に満ちた光景に、「このような場所があったのか」と驚かされたことを今でも鮮明(せんめい)に思い出します。

 その場で先生がお聖教(しょうぎょう)の言葉を語られる時、言葉そのものを説明するというものではなく、様々な表現をもって語ってくださるというものでありました。

 その中でも心を打たれたのは、先生が『目連所問経(もくれんしょもんきょう)』の、

たとえば万川長流(ばんせんちょうる)に草木(そうもく)ありて、前は後を顧(かえり)みず、後は前を顧みず、すべて大海に会(え)するがごとし。世間もまたしかなり。豪貴富楽(ごうきふらく)自在なることありといえども、ことごとく生老病死を勉(まぬか)るることを得ず。
(=たとえば、長い川の流れに漂う草木は、前のものが後のものを気にかけることもなく、後のものが前のものを気にかけることもなく、すべて大海に流れこむようなものである。世間のありさまもその通りで、身分が高く豊かで何不自由ないものでも、すべてのものはみな生老病死の苦を免(まぬが)れることはできない)
(『真宗聖典』173頁)

という文を取り上げた後におっしゃった、「人生は途中。一生涯は途中である」という言葉でした。その言葉を聞いた私は、幼馴染の人生も、私の人生も途中であり、それまで人生とは人それぞれに終えていく、完結していくものだと思っていたので、そのスケールの大きさに驚かされました。またそれは深く長く広がった人間の歴史的な歩みということへの頷(うなづ)きであったのだと思います。

 先生の語ってくださる言葉の中には、曽我量深(そがりょうじん:1875~1971真宗大谷派僧侶、仏教思想家)、金子大榮(かねこだいえい:1881~ 1976真宗大谷派僧侶、仏教思想家)、安田理深(1900~ 1982日本の仏教学者)他数々の先生たちの言葉がありました。その中で気づかされたのは、先生の言葉は、ご自身が人生において聴聞してこられた諸師の言葉であり市井(しせい=人が多く集まり住む所)の方々の言葉でありました。そしてそれは先生の背景からの私たちへの呼びかけの言葉であります。歴史の叫び、苦悩の歴史の中で苦闘しながら現実を受け止めて生み出されてきた言葉であると、私は受け止めております。

 しかし、私自身の日常に目を向けると、身に起こる問題に対し解決ばかりを求めています。結論を急ぎ、分かりやすさの中に自らを安心させてくれる答えをスマートフォンで探すのに必死です。先に受け止め頷いたことも虚しく、日常の中で私自身の安心が最優先です。安田先生は、このような在(あ)り方は現実を拒(こば)む姿なのだと教えてくださいます。

 一方で目立たず、お聖教の言葉の理解の別を超え、身の現実に顔を上げ法と向き合う方々がいる情熱の場があります。そのことを知りながらも、そうした場になかなか足が向かない私に、安田先生は冒頭の法語に続けて言われます。

理性に立った人間が理性にいきづまる。現代自身が大きな危機にいる。法というものと遊離(ゆうり=他と離れて存在すること)した社会、歴史的現実と離れた時に仏法は死んだのである。(『聞思の人⑤安田理深集(上)』東本願寺出版)

 私と仏法との距離について考えさせられます。そして、そのたびに「とにかく座っていればいい」という私の恩師・大島義男先生からの言葉が耳鳴りのように頭に響き、私を安眠させてくれません。この煩(わずら)わしく思う耳鳴りこそ私に呼びかけてくる仏法なのかもしれません。

林  法真(はやし のりまさ)
1982年生まれ。東京教区長野2組西永寺衆徒

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

2024年9月の法話

[9月の法語]

如来(にょらい)ご自身が南無阿弥陀仏となって衆生(しゅじょう)の前にあらわれてくださった

To reveal the Truth to us, that Truth, the Tathāgata,
had to become our voice saying, "Namu Amida Butsu.

寺川俊昭

[法話]

「千鳥(ちどり)」という人気漫才(まんざい)コンビがいる。私と同じ岡山県出身だ。
そのお二人が先日、岡山人どうしが、岡山弁で交(か)わす挨拶(あいさつ)について話題にしていた。大いに共感した。
街で思いがけず友人と会った時、岡山県民どうしは、どちらともなく
「なんしょんな、こりゃぁ~」
と声を掛ける。共通語訳すれば「(あなたはここで)いったい何をなさっているのですか?」という意味だ。これを、相手の顔に自分の顔を近づけ、相手をねめ回しながら言う。ちなみに「ねめ回す」とは「睨回す」という動詞で「にらみ回す」「相手の全身をにらみつける」動作を意味する。これを慌(あわ)てず、ゆっくりと行う。
さて、このように挨拶された場合の対応は、初心者~上級者で三段階に分かれる。
初級「マック、行きょんじゃ(マクドナルドに行っているところです)」
中級「おめえこそ、なんしょんな(あなたこそ、何をなさっているのですか?)」
上級「いきしょんじゃ(息をしています)」
いきなり上級にチャレンジすると喧嘩(けんか)になりかねないので、ご注意を。
もちろん、このやり取りは、無意味に粗野(そや)で乱暴なのではない。この乱暴さが、久しぶりでも一気に親密さを回復させる魔法となるのだ。「俺たちは、形式的な関係じゃないよな」と確認し合っているのだ。

さて、お念仏に使われる「南無」(ナマス)は、現代インドでも用いられる挨拶の言葉だ。とてもありふれた挨拶言葉で「ナマステー」と互いに声を掛け合う。仏智不思議で私には理解が及ばないが、お念仏が、普通の挨拶の言葉を用いる理由について考えてみた。
まず、日常の言葉であるということ。お念仏は、特別な場所で特別な儀礼(ぎれい)の中でだけ用いられるものではない。日常の中にあり、いつでも、どこでも、座っていようが歩いていようが寝ていようが立っていようが、いつでも念仏。念仏は、日常の私の口からこぼれ、声の仏となってあらわれて、悲喜交々(ひきこもごも=悲しいこととうれしいことを、代わる代わる味わうこと)の日常を包みこむ。
次に行き来する言葉であるということ。本当に淋(さび)しい時、辛(つら)くて心が沈んでいる時に、誰かの称(とな)えた念仏が、ふと聞こえてくる。そんな時、「仏さまがいて見守ってくださっている」と、温もりが私に届く。それが、今度は私の声になって誰かに届く。声に出た念仏が、巷(ちまた)に溢(あふ)れていればいるほど、仏さまのはたらきが多くの方々に届いていく。
三つ目。何より、仏さまが「あなた」であるということ。「ナマステー」は、まさに出会っている者どうしが掛け合う言葉だ。念仏を称えるということは、今、まさに仏さまと会っていることを確かめさせてくれる。温もりが感じられる近さで、仏さまがはたらいている―南無阿弥陀仏。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎赤トンボが飛び交い始めました。この夏は記録的な猛暑、また8月末は迷走する台風で大変でしたが季節は(まだまだ暑いですが)少しずつ秋に移り変わってきているようです。
さて今月は秋のお彼岸です。今年は閏(うるう)年なので9月22日が秋分の日(彼岸の中日)となり、この日をはさんだ七日間(9月19日~25日)がお彼岸です。お墓参りとともにご先祖をご縁として仏法に耳を傾けましょう。

合掌

2024年8月の法話

[8月の法語]

私たちの人生の争いは いつも 善と善との争いだ

The struggle in life is always between one's sense of good and that of others.

宮城 顗

[法話]

 ひと言で「善」といいましても、私たちの暮らしの中にはたくさんの善があります。社会的道徳の善、正義に立つ善、理想を目指す善など、あまたの善が思い浮かびます。

 善と善との争いはなぜ起きるのか。当たり前に受け止めてきた言葉に、今回あらためて考えるきっかけをいただきました。

 私たちは様々な経験を重ね、知識を積み、個々の価値観を持ちながら暮らしています。また若い頃には、たくさんの経験を通し成長していくことが大切だと言われてきました。

 ちょうど我が家には2歳になる孫がいますが、彼女を見ていると、初めての体験の中で驚き喜ぶ姿は生きる意欲を感じさせてくれます。片や大人といわれる私たちは、これまで培(つちか)ってきた知識や経験のもと、いつの間にか自分の考えや是非善悪の分別を中心に物事を判断し、そのことを拠(よ)りどころとして生活をしています。

 経験といっても、どこまでも私個人の狭い世界でのことですが、このことは絶対であり、こうあるべきだ、あらねばならないと頑(かたく)なです。そこには自(おの)ずと人との争いも生じるのでしょう。とりわけ卑近(ひきん)な話では家族との関係があります。夫婦間の揉(も)めごと、嫁姑の問題、さらには、こんなはずではなかったと戸惑う親子関係。言わずもがな、私もその渦中(かちゅう=ごたごたした事件の中。もめ事などの中心)におります。

 私事ですが、息子が住職となり3年が経(た)ちます。彼は未(いま)だに全てを任せられずにいることへの不満を抱(かか)えています。一方、寺に嫁(とつ)ぎ亡き夫と担(にな)ってきた経験を自負している私。夫が居ないことで、その思いはますます強固になります。加えて私の常識は正しいと疑わず相手にも求めていきます。こうして、いよいよ家族との確執(かくしつ・かくしゅう=互いに自分の意見を強く主張して譲らないこと。また、そのために生じる不和)は深まるばかりです。

 このことは全て我々が抱(かか)える執着(しゅうじゃく)(我執)が根本問題だと教わっています。執着するとは、これまでの経験をもとに自身の考えや価値観に支配されるということです。

 しかも経験に基(もと)づくものはいつも気まぐれです。気まぐれにもかかわらず自分の考えに合わないものは受け入れず、目の前の出来事に囚(とら)われていきます。そして、この事実には、なかなか私の思いでは自覚することはできません。

 お念仏の道を歩まれた方が証(しめ)してくださる言葉には不思議な力があります。その言葉によって自身を振り返るきっかけをいただきます。しかし、それは単なる反省でしかなく、どこまでも私の思いに留まり、素直に応じることは容易ではありません。

 善し悪しの観念から離れられないからこそ、言葉との出遇いは現実の身に立ち返る大切なことなのかもしれません。

大中臣 千恵美(おおなかとみ ちえみ)
1959年生まれ。富山教区第12組勝福寺前坊守

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎大変な猛暑が続いています。ここ大阪でも連日最高気温が35℃以上となっています。熱中症にはくれぐれもお気をつけください。
先月末にパリオリンピックが開催されました。早々から柔道をはじめいろんな競技で日本人選手のメダル獲得のニュースが報じられています。メダリストだけでなく4年に一度の祭典で奮闘している選手たちを見ていると暑さでバテ気味の心身に元気をもらえる気がします。(ただし一時しのぎではありますが・・・)始まったばかりですが無事に日程終了することを願っています。

合掌

2024年7月の法話

[7月の法語]

(おこな)いと言葉(ことば)背後(はいご)に 世間(せけん)があるか 如来(にょらい)があるか

The question is whether our words and deeds are based on
the Tathāgata or worldly concerns.

The question is whether our words and deeds are based on the Tathāgata or worldly concerns.

深川倫雄(ふかがわ りんゆう)

[法話]

目覚まし時計を見る。蛍光塗料(けいこうとりょう)が塗(ぬ)られた文字が「3:14」と光っている。昨日は「3:13」に目が覚(さ)めた。最初は、何が起きているのかわからなかった。時間は2週間ほど遡(さかのぼ)る。

当地では、お盆・お彼岸に檀家(だんか)さんのお宅へお参りする。お盆は1カ月間ほどかかるので、なかなかの荒行(あらぎょう)である。終わる頃には、正直ホッとする。大袈裟(おおげさ)なようだが、特にお盆参りは暑くて厳しい。報恩講(ほうおんこう=毎年宗祖親鸞聖人への報恩のために営む法会)で数カ月間お参りする地域があるが、本当に大変だろうと思う。
長期間にわたるお参りが終了する最終日。疲れ切った私を迎えてくれるのは、母が作ったカレーライスだ。私の好物である。

その年のお彼岸。2週間ほどのお参りが終わり、8時頃に寺に戻った。玄関に入った途端(とたん)、カレーライスの香りがした。炊飯器(すいはんき)をあけて、湯気を立てているご飯を皿にこんもりよそう。鍋の蓋(ふた)を開けてカレーをかける。その時、少しおかしいなと思ったが、食卓について理由がわかった。焦(こ)げているのだ。黒い塊(かたまり)が幾(いく)つも浮かんでいる。試(ため)しに口に入れてみたがひどく苦い。疲れもあって、
「母ちゃん、カレーが焦げてる。こんなん食べれん」
と思わず声を荒げてしまった。カレーがかかっていないご飯を漬物(つけもの)で食べて寝た。瞬(またた)く間に眠りに落ちた。

「お兄ちゃん、お腹すいてない」
ドキっとして目が覚めた。ふすまを細く開けて母が立っていて、廊下の明かりが寝室に差し込んでいた。
「母ちゃん、眠たいんじゃ。ええかげんにして」
と再び私は大きな声をあげた。時計を見ると「3:13」だった。

それから2週間ほど後、京都にいた私に、妹から「母ちゃんがアルツハイマー」というメールが届いた。大きなショックを受けたのを記憶している。
それから数日間、3時過ぎに目が覚め続けた。最初は、なぜ3時過ぎに目が覚めるのかわからなかったが、やがて自分の気持ちが理解できた。あの日の「3:13」に戻って、母親にお詫(わ)びとお礼を言いたいのだと。
「大丈夫よ、お母ちゃん。大きな声を出してごめん。カレー、ありがとね」と。

その頃から、私の口から「南無阿弥陀仏」が、よく出るようになったように思う。
怒りや妬(ねた)みが私の心から無くなりはしない。悪い心が常にある。しかし、そこに仏さまがはたらいてくださる。心の裂(さ)け目から怒りが飛びだそうとすると、仏さまが代わりに出てくださる。世間の目を気にして乱暴な言葉を吐かないのではない。良い人になるわけでもない。仏さまが現れてくださるのだ。裂け目から出てくださるので、何とか頑張れている、そんな毎日を送っている。

お念仏が大好きだった母が、仏となって私を導いてくださっている。ありがたいことだ。そう書いたら、またお念仏がこぼれた。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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◎先月に引き続き今月のご法話も耳が痛い思いですが、痛いだけでなくありがたいお話でもあるのです。怒りが飛び出そうとするこんな私でも「南無阿弥陀仏」のお念仏が出てくるのですから。

合掌

2024年6月の法話

[6月の法語]

いい人 いい雨 いい天気 みんな私中心

Umm, nice person, nice rain, nice weather:
Everything's always centered around me, me, me!

大神信章(おおが しんしょう)

[法話]

 私たちは、何をもって「いい」「悪い」と言っているのでしょうか。それは、何事に関しても良し悪しを決めようとする、私の価値観やモノサシが作用していることに他なりません。このことは日々の様々な場面で直面します。

 私のお寺の境内では2匹の猫を飼っています。その1匹エリーは、2010年、ある方が、「境内で飼ってくだされば、いつでも会いに来られる」とお寺へ連れてこられました。寺はにぎやかなアーケード商店街に面しています。エリーは商店街を堂々と歩いて、日中は近所の行きつけの店を巡回し、夜中も境内を抜け出し、門前でゴロゴロすることは日常で、いつの間にか、ちょっとした「有名猫」になっていました。

 そんなエリーがある日、姿を消しました。連れ去りだったのです。それから約二週間後、奇跡的に救出され無事帰ってくることができました。警察署へ迎えに行った時、毛の艶(つや)もよく、外見は連れ去られる前と何の変化もなかったので、可愛がってお世話してもらっていたであろうことが想像できました。連れ去った人の本心は分かりません。しかし、私たち寺族と、必死で捜索(そうさく)に協力してくださった方々にとっては許されない行為です。

 このことは、全国テレビやネット上でもニュースになり、たくさんの意見が投稿されました。その中には、連れ去りに対する批判だけでなく、外で飼っていたことへの批判もあったのです。元々は境内で飼うことを前提にして、そして多くの方に可愛がられていたので、私としては「いい」と思っていた行いに対しての批判に、ハッとさせられました。

 相手への思いやりのつもりが、逆に迷惑に思われたことは多いにあるでしょう。物事を自分勝手な解釈や価値観だけで判断したときは、他人には受け入れられない場合も往々(おうおう)にしてあります。また、それを指摘されてもなお自分の過(あやま)ちに気づけないこともあります。私自身、今まで気づくことがないまま自分本位の「いい」をしているかもしれない...と思うと恐怖さえ感じます。

人のわろき(=悪い)事は、能(よ)く能くみゆる(=見える)なり。わがみのわろき事は、おぼえざる(=自覚できない)ものなり。
(『蓮如上人御一代記聞書』195・『真宗聖典』890頁)

と蓮如上人(れんにょ=1415~1499 本願寺第八世、本願寺中興の祖と呼ばれる)は教えてくださいました。私たちは誰でも善悪をはかるモノサシを持っています。しかし、人それぞれその尺度(しゃくど=判断、評価などの基準)が違うので、自分の「悪い」ところは差し置いて、他人の悪いところはよく目につくものです。

 このたびの出来事を振り返って、私自身の行いがいいのか悪かったのか、未(いま)だ迷っています。だからこそ、仏さまの教えを聞くご縁をいただき、立ち止まって「自分自身はこれでよいのか」と問い続けることが大切なのではないかと思います。

 今も、猫たちを見に多くの方がお寺をおとずれます。会えるだけで嬉しいと話してくださる方を横目に、エリーは外で自由に動き回っています。「常に私中心」の身である事実を、エリーは教えてくれているように思います。

郡 伸子(こおりしんこ)
1968年生まれ。四国教区松山組圓光寺坊守

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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[註] 大神信章:(1949~2013)浄土真宗本願寺派光林寺前住職

◎最近、雨天の日が多くまた気温差(又は気圧差)も大きいので体調も狂いがちでついつい愚痴も多くなります。これも(今回のご法話から)考えてみれば自分の都合で自然現象に文句を言っているわけでおかしな話です。そのほかにも「私中心」で物事をとらえていることに気づかされます。そんな「私」を救いの目当てにしてくださる阿弥陀さまに「ありがとうございます」と手を合わせお念仏いたしましょう。

合掌

2024年5月の法話

[5月の法語]

仏さまの光に()らされて私の心に(あか)りがつく

When the Buddha shines that Light on me,
oh my whole heart just lights up!

山本仏骨

[法話]

我々は意を決して、漆黒(しっこく=黒うるしを塗ったように黒くてつやがあること。また、その色)の闇(やみ)に足を踏(ふ)み入れた。
1986(昭和61)年7月初旬。大学の早い夏休みが始まろうとしていた。いつもの代わり映(ば)えしないメンツが、学生食堂にたむろしていた。華やかな学生生活を予想していたが、学生の90パーセント以上が男子の大学で、心浮きたつ出会いもなく、至って冴(さ)えない日々が続いていた(もちろん、出会いについては、他の主たる原因もあった)。

この日も各自の講義が終わると、三々五々(さんさんごご=三人、五人というような小人数のまとまりになって、それぞれ行動するさま)学食に集まり退屈と戯(たわむ)れていた。
「皆さん、夏はやっぱりビーチですか?」
オレンジ色のタンクトップ(=ランニングシャツに似た、首と腕とが大きく露出する形の上着)を着たNが言った。誰も反応しない。Nにだけ幼なじみの彼女がいたので、素直に笑えないのだ。
「凡庸(ぼんよう=平凡でとりえのないこと)だな」
と誰かがボソッと呟(つぶや)く。暫時(ざんじ=少しの間。しばらく)の沈黙の後、カーキ色(=黄色に茶色の混じったくすんだ色。軍服などに用いられる。枯れ草色)タンクトップのKが
「夏は肝だめしだろ」
と言った。というわけで我々はろうそくを買い、都心にあるA山墓地へ向かった。185センチ90キロ。巨体を誇るMを先頭に、じりじりと墓地へ入って行った。
まさに深い闇。ろうそくの灯(あか)りに照らされ、時々墓石群が浮かび上がる。コウモリがひらひら舞い、都会の喧噪(けんそう=物音や人声のうるさく騒がしいこと。また、そのさま)が遠ざかり会話も途切(とぎ)れる。全てを吸い込んでしまいそうな闇の中で、土を踏むコンバース(=スニーカーの一種)の音だけが響いた。
突如、予想だにしない悲劇が起きた。先頭のMが「おしっこ」と言って、ろうそくを放り出し、もと来た方角へ一目散に駆け去ったのだ。更に悪いことに、放り出したろうそくが地面に転がり、風に吹かれて消えてしまった。まさにまっくら(気分もまっくら)。
ところが......。僅(わず)か数秒の間に闇は消えた。Mが持っていたろうそくの灯りを凝視(ぎょうし=目をこらして見つめること)していた我々は、月と星が放つ柔らかな光に気づいていないだけだったのだ。我々は、既(すで)に光の中にいた。

自分が手に持つ光は、自身を照らさない。未来とか社会とか他人とか、自分の外側を照らそうとする。それどころか、手元の明かりを強くすればするほど、外からの光に気づけない。自分の力で光らせているものが弱まった時、やっと自分を照らす光があったと気づく。だから、自分の光だけを頼りにしている間は、なかなか仏さまの光(智慧)を素直に受け取れない。
既に仏さまの光に包まれていることに気づかされるのは、自力の光が揺(ゆ)らいだ時だ。その瞬間、仏さまの光は私たちの心に、消えない温(ぬく)もりとして灯(とも)ってくださる。それは弱さや醜(みにく)さも照らすが、同時にあたたかい。仏の救いは、私の努力を求めない。仏さまが欲望だらけの私を受け入れてくれるから、私も自分を受け入れることができる。やっと安心できる光に出遇(であ)える。
あれから35年。私を含めA山墓地探検隊の面々は、今ももがき続けている。時々、深い闇にも出会う。一生それは変わらないだろう。だからこそ、照らしてくれる光が嬉しい。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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◎ようやく春らしく新緑がまぶしい季節になりました。今回のご法話前半は私の学生時代と重なり懐かしい気持ちになりました。自分でもがいている間は(現在もそうですが)気づかないけれどもふとした時に阿弥陀さまの光に照らされていることに気づく。言い方をかえればどんな時でも阿弥陀さまが見ていてくださる。受け入れてくださる。お念仏一つで一緒にいられる。そんなことを再認識させていただきました。

合掌

2024年4月の法話

[4月の法語]

まことに浄土真宗とは聞法(もんぽう)がいのちであった

To live in the true spirit of the Pure Land,
we need to make Dharma-listening our way of life.

近田(ちかだ) 明夫(あきお)

[法話]

 これは、あるご門徒(もんと)の女性が、懐(なつ)かしく話してくださった昔話です。もう三十年ほど前、私がそのお宅にお参りした折、ご夫婦に対して、お寺の聞法会へのお誘いをしましたら、女性が、
「浄土真宗のお話を聞いたら、苦から救われて楽になれますか」
「いや、特には...」
と私。

「それでは、私はよく腹が立って困るのですが、腹の立つのが治(おさ)まりますか」
と重ねて尋ねられたので、
「いえ、そういうこともありません」
とお答えしたら、お連(つ)れ合いが、
「そんなら何のために話を聞くんや。お寺なんか行かんでもええ」と。

「そういう期待に応(こた)えるご利益(りやく)はありませんが、聞法すると安心して苦労もでき、腹立つことも受け止めて生きる力が与えられますよ」と私は答えたそうです。

 その女性は、それを機に87歳の今日まで、足しげくお寺の行事や聞法会に熱心に参加されるようになったのです。その間に彼女は、家の仕事や家庭の苦労、息子さんの難病、お連れ合いの死、そしてご自身の5回の癌(がん)手術と失明しかかった眼病を抱(かか)えながら、「聞かせていただいてよかった。もし聞いていなかったら、今頃私はどうなっていたやら」と言われ、「老・病・死という厳しい事実を、自分の身体によって教えられています」と実に明るく、よろこんで足を運んでおられます。

 この方だけでなく、聞法を重ねて来られた人に見られる底力、それは人の力を超えた威神力(いじんりき=諸仏が目に見えない形で私たちの仏道の歩みを手助けする力、覚りを実現(経験)させるために働きかけてくる力)というものでしょうか。

 初めのうちは、「分からん、分からん」と言って聞いておられたが、いつしか聞き方が変わってこられました。「分かろう」という力(りき)みが抜(ぬ)け、法話を自分の身に引き当てて確かめるように頷(うなず)きただ聞いておられるのです。

 ここに「聞き方」の転換があります。頭で理解して「分かろう」とか「どう心を持てば」「どのように実践したら」と期待している間は、法は聞けないのでしょう。それは「自分の思い」に当てはめて間に合わそうとしているのであって、「聞」いていないのです。要するに「自我(じが)の思い」で聴いているだけで、「法」を聞いている訳ではないのでしょう。

 「法」は「南無阿弥陀仏」、すなわち阿弥陀様の「本願の声」です。その声は自分の思い計(はか)らいは「間に合わんぞ」と気づかせ、「そのままで引き受ける」と呼んでくださる大悲の真実です。それは、苦難の生活の場で、煩(わずら)い悩む身の、その苦悩の存在の根源から大悲の真実が南無阿弥陀仏となって喚(よ)んでくださっているのです。

 阿弥陀様はどこか遠くにおられるのではなく、「ただ念仏して聞法の座に就(つ)く」その人の身に湧(わ)き出る清浄(しょうじょう)な意欲となって現れてくださるのでしょう。この法語「まことに浄土真宗とは聞法がいのちであった」は、「聞法」こそ自我の妄執(もうしゅう=迷いによる執着)に迷っていのちを忘れ、自己主体を見失って彷徨(さまよ)っている現代の私たちを蘇(よみが)らせる「いのち」といただきます。

藤井 善隆(ふじい よしたか)
1943年生まれ。大阪教区第2組即應寺前住職

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

合掌

2024年3月の法話

[3月の法語]

南無阿弥陀仏が 私の救われるしるしであり (あかし)である

Our saying, "Namo Amida Butsu" is surely proof we will be saved.

(かけはし) 實圓(じつえん)

[法話]

私の名は「ふじまる」だ。なので小学校の頃は、「まる」とか「おまる」と呼ばれていた。

小学生の時だ。1時間目の授業が始まる前に、学年1番のインテリで豆知識王のS田くんが、私のところにやってきた。そして「おまるって便所という意味なんよ。知っとった?」と冷静に言った。途端(とたん)にクラスがざわついた。そして、しばらくは「便所くん」とも呼ばれることとなった。

一応、申し上げておくが、気にはならなかった。だって、お相撲さんに「武蔵丸」とかいるし、カッコイイ船にも「〇〇丸」という名前が多い。そもそも私は便所じゃないし、「牛若丸」なんて強い人もいる。だから、「まる」は全然イケてると思った。それに、しばらくすると、みんなも「おまる」が便所だということをすっかり忘れてしまった。小学生とは、そんなもんだ。

ところが、である。本願寺派の研究所に勤めるようになって、「法名」について説明する機会があり、「名前」について調べていると、(諸説ありますが)「まる」は、古語の「放る(まる)」に由来し、排せつを意味しているとわかった。汚いイメージのする言葉を名前にして、鬼や魔にとりつかれないようにしたらしい。赤ちゃんや子どもの死亡率が高い時代、幼い命をまもるために「まる」を付けたのだ。源義経も、幼い間だけ「牛若丸」と名のったのは、そういう理由だったのだ。

ものの特徴や内容を示すのが「名」だと、私たちはイメージしがちだ。確かに「のこぎりクワガタ」や「金目鯛(きんめだい)」はそうだ。しかし希望や願いを込めて付けられる場合も多い。「まる」がそうであるように、特に人の場合はそうだ。子どもの時に「智雄・哲雄・善雄」というメモを見つけて、親が悩んで私に智雄と名付けたことがわかり嬉しく思ったことがある。願いが尊いと感じる。「南無阿弥陀仏」も、阿弥陀仏の「全てのものを救うぞ」という願いによって、私たちに与えられ、その願いの力が私の上ではたらいてくださっている。

そもそも仏さまのお名前は、救いの「はたらき」であり、ものではない。しかも全てのものを包み込む救いのはたらきだ。だから、「あみださま~」と呼んで、来てもらう必要はない。たとえば声の届かない遠くに私がいる時に、「おまる~」と呼ばれても、私は来られない。しかし、「南無阿弥陀仏」は仏さまそのものなので、お念仏する時には、もう仏さまがそこにいらっしゃる。

だから、念仏するから救われるのではなく、救いの中にいるから念仏が出てくる。順番は逆で、仏さまからの救いが先に届いているから、お念仏が出てくる。

お念仏の一声が出てくることが、まさに今、もうここではたらいてくださっている証(あかし)なのだ。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎寒くなったり暖かくなったりと気候不順が続きますがいかがお過ごしでしょうか。
さて今月はお彼岸です。今年は閏(うるう)年なので3月20日が春分の日(彼岸の中日)となり、この日をはさんだ七日間(3月17日~23日)がお彼岸です。「彼岸」とは読んで字の如く、「彼の岸」、つまり「向こう側の岸」のことです。「向こう側の岸」とは「(西方極楽)浄土、阿弥陀如来の仏国土」のことで、「迷いと苦しみ、煩悩のない世界」です。それに対して私たちが生きているこちら側は「此岸(しがん)」といい、「迷いの世界」とされています。「彼岸」という言葉の原語は、昔のインドの言葉、「パーラミター」の漢訳で、意味は「到彼岸(とうひがん)」。すなわち「(此岸から)彼岸に到る」です。「迷いの世界」から「迷いのない世界(浄土)」へと渡ること。仏の国への往生を願うことです。お彼岸の期間を仏教週間ということもあります。お彼岸は仏法に触れるまたとない機会です。ご先祖を偲(しの)び、ご縁として静かに手を合わせお念仏申しましょう。

合掌

2024年2月の法話

[2月の法語]

念仏をはなれて仏もなく自分もない

Neither the Buddha nor the self exists outside the nenbutsu.

金子大栄(かねこだいえい)

[法話]

「葬式って、出んとダメかな?」

 もう何年も前、同級生にこう訊(き)かれました。婿養子(むこようし)として入った地域でお葬式があり、家の代表として参ったそうですが、故人もその家族も他の参列者も、周りは自分の知らない人ばかり。「自分は、本当にこの場所にいなければならなかったのか」。その気持ち、私にはとてもよくわかる気がしました。

 私の地元ではつい十数年前まで、葬儀というものは「みんなで」行うものでした。誰かが亡くなると、たくさんの人が集まってきます。枕元で手を合わせた後、まずは親戚一同、近隣の家々を中心に、葬儀の段取りと打ち合わせが始まります。いつ・どこで・誰が・何をするのか。遺体をきれいに整えることも、棺桶(かんおけ)を作ることも、火葬も、すべて自分たちでやる。一人ひとりに、ちゃんと「やらねばならないこと」がありました。

 けれど今、基本的にはすべてが、専門家に頼んで「やってもらう」ことです。多くの人にとって、葬儀とは、「式の間、そこに座っているだけの場」。コロナウイルス感染症への懸念(けねん)から、という名目(めいもく)を得て、「香典を渡し、焼香だけしてUターン」となるのも無理はありません。参列者は減るばかり...。当然です。「自分たちのことじゃない」のですから。葬儀を他人に委(ゆだ)ねることで、私たちは「死」に対する「自分の居場所」を失ったのです。

 2011年、東日本大震災の後、東京で高木慶子さんからこんな話をうかがいました。カトリックのシスターで、多くの被災者・被害者の「悲しみ」に寄り添ってこられた高木さん。その知り合いのお坊さんが、東北の被災地で、海に向かってお経を読み上げたそうです。すると、たくさんの人が同じように海に向かって、ただ静かに合掌されたのだと。キリスト教では両手の指を組み合わせて祈りますが、日本では手のひらを合わせます。「この祈りの『かたち』がいかに大切であるか、それを僧侶の人たちはきちんと伝えていってほしい」と言われました。

 私たちは、忙しい。日々、生活の必要に迫られ、自らの欲求にふり回されてしか、生きられない。けれど、本当はそれだけではないのです。何を、どれだけ頑張ろうと、自分たちではどうにもならない──たとえば生と死の境(さかい)にあって、それこそ手を合わせてただ「祈る」ことしかできないような──領域が、間違いなくある。今、静かに手を合わせられる場はありますか? 「ナムアミダブツ」と口にする機会は? 葬儀にせよ何にせよ、何事も自分たちの都合のいいように、好きなようにやる、というのであれば、「神仏」は要(い)りません。そこに見出される「個人」もまた、結局は私たちの思い一つ。好きか嫌いか、身内か他人か。「そうじゃない。いのちは、私たちの自己満足で終わっていけるものではない」。そう教えてくれる、具体的な「かたち」が必要です。

念仏をはなれて仏もなく自分もない

 浄土真宗にあって、伝えられていくべき「かたち」とは何か? ただ一つ、「ナムアミダブツ」です。簡単な言葉。けれどここに、私たちにとってのすべてがあると言われます。「あなたは、その『かけがえのないいのち』をどこで受け止めていくのですか」。金子氏の言葉は、現在の私たちに問いかけています。

内記  洸(ないきたけし)
1982年生まれ。岐阜高山教区高山2組徃還寺衆徒

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎能登半島地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 1月1日に地震が発生して一ヶ月になります。(1/31現在)テレビ等で被災地の様子を視聴するたびに震災の酷さと生活の厳しさに胸が痛みます。一日も早い復興を心から願います。

合掌

2024年1月の法話

[1月の法語]

帰ってゆくべき世界は 今()う光によって知らされる

To encounter the Infinite Light is to have our hearts turn to that infinite world where we shall one day return: the Pure Land.

To encounter the Infinite Light is to have our hearts turn to that infinite world
where we shall one day return: the Pure Land.

淺井成海(あさいじょうかい)

[法話]

「帰ってゆくべき世界は 今遇う光によって知らされる」は、尊敬する浅井成海師が遺(のこ)された言葉だ。先生は、俳人・尾崎放哉(おざきほうさい)を紹介され、この言葉を記(しる)された。そこで、私も放哉に関する本を数冊取り寄せて読んでみた。

尾崎放哉は1885(明治18)年、鳥取県邑美(おうみ)郡(現在の鳥取市)に生まれ、一高から東京帝国大学法学部へ。生命保険会社に入り若くして支店長というエリート街道を歩む。しかし大学時に覚えた酒癖がひどくなりさまざまなトラブルを起こす。加えて肋膜(ろくまく)炎等も発症し仕事もままならず、1925年夏に小豆島へ辿(たど)りつく。一歳年上の俳句仲間、萩原井泉水(おぎわらせいせんすい)の紹介であった。当地で高野山真言宗・西光寺住職、杉本宥玄(ゆうげん)師の世話を受け、あばらやの南郷庵に身を寄せ、近隣の人びとの支援をいただきながら生活した。しかし病は回復せず、翌年4月に死去する。その間の事情は吉村昭『海も暮れきる』(講談社文庫)に詳しい。

放哉は評判が極めて悪かった。エリート臭が抜けず尊大で、金の無心をする。酒を飲むと悪口が止まず、骨身を断つような筆致で知人を批判した手紙も残っている。エリートだから仕事も選(え)り好みする。他人の施(ほどこ)しを素直に受け入れられない。受け入れれば、自分を貶(おとし)めることになると感じる。また善意の相手を怪(あや)しむ。自らの性根(しょうね)の裏返しであったのだろうか。

しかし島に行き着いた時、既(すで)に働く力も失われ、島の人びとの支援を受け入れざるを得なかった。
放哉は、手紙に、宥玄師の厚意を得た際に感涙したと書き、
「トニ角(とにかく)、此島デ(このしまで)死ナシテ(しなして)貰ヘル(もらえる))事ニ(ことに)ナルラシイデス(なるらしいです)」と添(そ)えている。

よほど安堵(あんど)したのだろう。吉村昭は近隣の漁師夫婦について、
「シゲは、放哉の世話をしてくれているのに、なんの報いも求めない。シゲのみならずその夫である老漁師も魚などを持ってきてくれるが、むろん代価などは要求しない」(傍点、筆者) と放哉が感謝していたことを記している。最晩年、死を意識した句が増えていく。

赤ん坊ヒトばんで死んでしまった
肉がやせて来る太い骨である
春の山のうしろから烟(けむり)が出だした

そして、亡くなる数カ月前の手紙は「南無阿弥陀仏」で閉じられている。

阿弥陀さまの救いは無条件だ。善行の見返りに浄土へ往生できるのではない。阿弥陀如来は、欲望の心や自分中心の考え方を離れられない者を救おうと、今も無私のはたらきに勤(いそ)しまれている。

これが娑婆(しゃば)の価値観では受け入れにくい。自分の力を妄信(もうしん)していると理解できない。しかし、この世界にも、ささやかな無私の行為が起こる。そのささやかな行為が微(かす)かな光となり、仏の救いへと誘(いざな)うことがある。最期の放哉にそれが起きて、念仏が生じたのではないか。浅井先生は、慈(いつく)しみを受ける心を表現した放哉の句を紹介されている。

入れものが無い両手で受ける

何も無くなった手のひらだからこそ、温もりがそのままに伝わってくる。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎あけましておめでとうございます。旧年中は何かとお世話になりありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 年明け早々の1月1日に能登半島で大地震が発生しました。現在(1月3日時点)でも大きな余震が続いています。被害状況も極めて深刻です。被災された方々には何卒ご無事でありますようお念じ申し上げます。(現在詳細が不明なのでコメントは控えます)

合掌