2025年9月の法話
[9月の法語] |
大悲のなかに 大悲のなかに 確かにこの私がいます |
Embraced and surrounded by great compassion--this is where I surely am. |
外松 太恵子 |
[法話]
全国各地から京都の本願寺に門徒(もんと=浄土真宗の信者)さんが集まって、3泊4日の研修(門徒推進員中央教修)が行われます。
私もスタッフとして、何度かご一緒させていただきました。
少人数の車座(くるまざ=大ぜいが輪になってすわること)になって、互いに話し合い、聞き合い、頷(うなず)き合うという「話し合い法座」を重ねる中、少しずつ心の扉を開いて、ホンネを語ってくださいます。
お互いの思いを受け止め合ってくださる参加者のおかげでもありますが、その根底には、共に阿弥陀さまのお慈悲に願われ、支えられているのだという、み教えのはたらきがありました。
「私はここにいて良いのだ。ここでホンネをさらけ出すことを許されているのだ」という「本当の居場所」を与えられていると感じるのです。
振り返ってみると、私たちは幼い頃から頑張ることや努力することが大切だと教えられてきました。
時には、自分の主張を押し通したりライバルとの競争に打ち勝つことで、自分の思い通りの「居場所」を手に入れることが大切なのだと信じて、一生懸命に生きてこられたことでしょう。
また、自分の弱みを簡単に見せないように、周りから傷つけられないように、たくさんの鎧(よろい)を身にまといホンネを見せないようにして生きてきたのではないですか。
鎧を着込みホンネを隠して暮らしていく中で、知らず知らずのうちに不満とストレスを溜(た)め込みながら、「つらいなあ、しんどいなあ」とも言えずに過ごしてきたのが、私のありようでした。
上手(うま)くいっている時は自分の手柄(てがら)を誇(ほこ)り、上手くいかない時にはその原因を相手に押し付けて「こんなはずではなかったのに。どうしてこうなってしまったのだろう」と悩み苦しんでいるのが、私のありようだったのです。
自分で掴(つか)み取ろうとする「居場所」には常に不満とストレスがつきまとい、本当の安心を得ることはできなかったのでした。
阿弥陀さまは、「悲しみや苦しみを抱(かか)えたままのあなたを救う仏に、私が成る」
との願いを成就(じょうじゅ)され、南無阿弥陀仏の「名告(なの)りの仏」と成ってくださいました。
「あなたを決して一人ぼっちにはさせないよ。あなたの悲しみや苦しみをそっくりそのまま引き受けるよ。良い時のあなたも、悪い時のあなたも、背を向けはねつけている時のあなたも、追いかけ寄り添(そ)い続けるよ。だから、どうか私にまかせてくれよ。南無阿弥陀仏とお念仏申してくれよ」
阿弥陀さまの大悲に願われている私には、着込んだ鎧を脱ぎ、ありのままの私をさらけ出すことのできる「本当の居場所」が、確かに与えられているのです。
朝戸 臣統(あさと たかつな)
本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師、
布教使課程主任講師、岐阜県高山市神通寺住職
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
◎9月になっても酷暑が続いていますがいかがお過ごしでしょうか。夏の疲れも出てくる頃なのでくれぐれもご自愛くださいますようお念じ申し上げます。
さて今月は秋のお彼岸です。9月23日が秋分の日(彼岸の中日)となり、この日をはさんだ七日間(9月20日~26日)がお彼岸です。お墓参りとともにご先祖をご縁として仏法に耳を傾けましょう
合掌