2018年2月の法話
[2月の法語] 信心のさだまるとき 往生またさだまるなり At the very moment that shinjin is settled, so is birth. 『末燈鈔』 |
[法話]
「鰯(いわし)の頭も信心から」ということわざを聞かれたことがあると思います。この言葉はとらえ方によって、いろんな解釈ができますよね。「鰯の頭でもちゃんとした信仰心があれば立派なご本尊になるのだ」とも読めますし、「神も仏も、鰯の頭も一緒だよ。要は気持ちの問題」とも読めます。
この言葉は複数の語源(ごげん=個々の単語の成立・起源)情報によると、昔ある地域で節分になると家の入口にヒイラギの枝に鰯の頭を刺したものを飾(かざ)る風習があったそうです。なぜそのようなことをするのかと言えば、人類最大の悪鬼神である「疫病神(やくびょうがみ=疫病を流行させるという神)」が家の中に入ろうとした時、ヒイラギのトゲに刺さり、鰯の腐った悪臭に驚いて逃げ去って行く、と考えられていたからだそうです。
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