2016年11月の法話
[11月の法語] さとりの国(くに)にうまるるは ただ信心(しんじん)にきわまりぬ It is through shinjin alone that we are born in the Land of Awakening. |
[法話]
「さとり」というと一般にはとても高邁(こうまい=気高く、すぐれているようす)で、普通の人には手が届かない境地(きょうち)だと思われがちですが、私は仏教の「さとり」は、本来の「学び」にたいへん近いものだと受け取っています。
私たちは往々にして、「学ぶ」とは、先生が有している知識や技術を、授業料を払う対価として生徒が手に入れるという「取引」のようなものだと考えがちです。しかしそうではないと、哲学者の内田樹(うちだたつる 1950~ 神戸女学院大学名誉教授)氏は『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)においてあかします。
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