2016年10月の法話
[10月の法語] まどいの眼(め)には見(み)えねども ほとけはつねに照(てら)します Although we cannot see through our deluded eyes, the Buddha illuminates us constantly. |
[法話]
大切な人との別れは苦しいものである。自分の力ではどうにも解決できない問題に直面する。それはときに私の足を竦(すく)ませ、「この苦しみは誰にもわかってもらえない」という思いから孤独と絶望に沈み込む。何とかしたい。しかしどうにもならない。こんなに苦しい現実なら......と死さえ頭をよぎる。
私が医師として働き始め、ある程度自信がついてきたある日。ある難病の患者さんは言った。「どうせ死ぬなら殺してほしい」。私は何かを言おうとしたが、言葉が出なかった。何とかしたい。病気の原因を解明すべく研究を始めた。しかしその間にも患者さんは亡くなってゆく。
研究の傍(かたわ)ら(=あることをする一方で。~のあいまに)診療をする日々。知識と経験が蓄積されてゆく。患者さんのためになることをしているという多少の自負を持ち始めた。
そのとき、ある患者さんは言った。「あなたにはわからない」。打ちのめされた思いであった。いったい私は何をしてきたのか。何と向き合ってきたのか。
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