2015年2月の法話
[2月の法語] 拝むとは 拝まれて居た事に 気付き醒(さ)めること 高光 大船 『高光大船著作集』第5巻 彌生書房より |
[法話]
人間はさまざまな人生の局面において、思いどおりにならない現実に直面します。そしてそれが、空(むな)しさとなって人間に襲いかかります。思えば親鸞聖人も、二十年に及ぶ比叡山での修学において自力無効(=自分の力でできることには限界がある)にさいなまれ、空しく過ぎる(空過)現実に苦悩されたのではないでしょうか。「空しさ」は、私たちの人生の奥底に横たわっている現実なのです。
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