松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

〒553-0003 大阪市福島区福島3-4-4
TEL 06-6451-7966 / FAX 06-6458-9959

2014年10月アーカイブ

2014年10月の法話

[10月の法語]

 

ただ念仏せよ 念仏せよ 大悲回向(だいひえこう)の 南無阿弥陀仏

 

梅原 真隆(うめはらしんりゅう) 『親鸞に出遇った人びと〈3〉』より

 

[法話]

今月は梅原真隆(うめはらしんりゅう)氏の言葉です。氏は、1885(明治18)年に富山県の本願寺派専長寺に生まれました。東京の高輪仏教中学で高楠順次郎(たかくすじゅんじろう 1866~1945 仏教学者、東京帝国大学名誉教授)氏などの師に出会い、さらに清沢満之(きよさわまんし 1863~1903 真宗大谷派僧侶、哲学者、宗教家)氏の講演を聞いて『歎異抄(たんにしょう)』にひかれ、以後常に持ち歩いたといわれます。その後、仏教大学(現・龍谷大学)に入学しますが、重い肺結核にかかり休学し帰郷します。その時、『歎異抄』が心の支えとなったそうです。回復後に大学に復学して卒業後には考究院(こうきゅういん)へ進み、前田慧雲(まえだえうん 1855~1930 浄土真宗本願寺派僧侶、仏教学者)氏や薗田宗恵(そのだしゅうえ 1862~1922 浄土真宗本願寺派勧学)氏などに師事して研鑽を積み、仏教大学教授となります。そのような学究生活の一方で、自宅では『歎異抄』や『末燈鈔(まっとうしょう=親鸞聖人の書簡集)』の信仰座談会を開き布教伝道に務めたそうです。1929(昭和4)年に大学では学内改革の問題が起こり、その混乱を招いた責任をとり大学を去ります。その直後に、同志と一緒に、真宗学を中心とした「顕真学苑(けんしんがくえん)」を京都市に創設します。その活動は各地の信奉者に支えられ、講座を開講したり、若者の研究発表や法話指導を行い、教化活動を展開しました。そのような中、1937(昭和12)年に勧学(かんがく=教学の研鑽をきわめた指導的立場の僧侶に与えている称号)となり、1939(昭和14)年から二年間は本願寺派の執行(しゅぎょう)(寺務を執り行うための僧職)に任じられ、宗政を担当しています。

続きを読む: 2014年10月の法話