2014年9月の法話
[9月の法語] お念仏は 讃嘆(さんだん)であり 懺悔(さんげ)である
金子 大榮(かねこ だいえい) 『金子大榮対話集』(弥生書房)より |
[法話]
教えに遇(あ)うとはどういうことなのか。どのようなときに、その〝はたらき〟を感じるか。そんなことを最近、特に考えるようになりました。その思いと、何年か前に高田教区教化ポスターで見た「人として生まれた悲しみを知らない人は、人として生まれた喜びを知らない」というものとが頭の中で混じり合いながら過ごしているとき、この随想を執筆するお話をいただきました。そしてこの法語の出典である『金子大榮対話集』をあらためて読むことから「人として生まれた悲しみを知ること」という確かめを得ることができたように思います。
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