松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2014年10月の法話

[10月の法語]

 

ただ念仏せよ 念仏せよ 大悲回向(だいひえこう)の 南無阿弥陀仏

 

梅原 真隆(うめはらしんりゅう) 『親鸞に出遇った人びと〈3〉』より

 

[法話]

今月は梅原真隆(うめはらしんりゅう)氏の言葉です。氏は、1885(明治18)年に富山県の本願寺派専長寺に生まれました。東京の高輪仏教中学で高楠順次郎(たかくすじゅんじろう 1866~1945 仏教学者、東京帝国大学名誉教授)氏などの師に出会い、さらに清沢満之(きよさわまんし 1863~1903 真宗大谷派僧侶、哲学者、宗教家)氏の講演を聞いて『歎異抄(たんにしょう)』にひかれ、以後常に持ち歩いたといわれます。その後、仏教大学(現・龍谷大学)に入学しますが、重い肺結核にかかり休学し帰郷します。その時、『歎異抄』が心の支えとなったそうです。回復後に大学に復学して卒業後には考究院(こうきゅういん)へ進み、前田慧雲(まえだえうん 1855~1930 浄土真宗本願寺派僧侶、仏教学者)氏や薗田宗恵(そのだしゅうえ 1862~1922 浄土真宗本願寺派勧学)氏などに師事して研鑽を積み、仏教大学教授となります。そのような学究生活の一方で、自宅では『歎異抄』や『末燈鈔(まっとうしょう=親鸞聖人の書簡集)』の信仰座談会を開き布教伝道に務めたそうです。1929(昭和4)年に大学では学内改革の問題が起こり、その混乱を招いた責任をとり大学を去ります。その直後に、同志と一緒に、真宗学を中心とした「顕真学苑(けんしんがくえん)」を京都市に創設します。その活動は各地の信奉者に支えられ、講座を開講したり、若者の研究発表や法話指導を行い、教化活動を展開しました。そのような中、1937(昭和12)年に勧学(かんがく=教学の研鑽をきわめた指導的立場の僧侶に与えている称号)となり、1939(昭和14)年から二年間は本願寺派の執行(しゅぎょう)(寺務を執り行うための僧職)に任じられ、宗政を担当しています。

その後、1946(昭和21)年に専長寺の住職となる一方、1947(昭和22)年には参議院議員に当選し、築地本願寺を宿舎として国会に通ったそうです。その任期中の1950(昭和25)年には浄土真宗本願寺派勧学寮頭となり、五期の長きにわたってその任を務めたり、富山大学第三代学長にも就任しています。そして、1966(昭和41)年に八十歳で往生されました。

 

以上のように、真宗の研究や伝道だけではなく行政的な仕事、それも国政にまで、八面六臂の活動をされた氏の生涯は、私たちからは想像もできません。氏は往生に際して、「みなさん長らくお世話になりました。心よりふかく感謝いたします。どうかお念仏をよろこんで生きて下さい。私もお浄土でまっております」と言われたそうです。

 

さて、「火宅無常(かたくむじょう=この世はまるで火のついた家のように危険に満ち変化してやまない無常の世界であるということ)」の世の中で、私たちは、損得の計算をして「どうせ......しても」などと言葉を発し、自分のやる気のなさを正当化して今を適当に生きているのかもしれません。あろうことか他者にも「どうせ......しても」といい、身勝手な自分の価値観に他者を巻き込んだりしています。そうではなく、人としてのいのちを「せっかく」恵まれ生まれてきたのです。それぞれのご縁の中で精一杯生きていかなければ、いのちを粗末にしていることになります。「お念仏をよろこんで生きて」いくことは、智慧と慈悲を喜びながら、「せっかく」恵まれた今日のいのちのご縁を大切にすることであり、他者や社会のためにつくすことだろうと思います。それは、生きることにも死すことにも執着しない姿かもしれません。

 

氏の辞世の句は「生きるよし 死するまたよし 生死の 峠にたちて ただ念仏する」だそうで、今月のことばに通じます。

 

内藤 昭文(ないとうしょうぶん)

 浄土真宗本願寺派司教・大分県法行寺住職

 

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

◎ホームページ用に体裁を変更しております。
◎本文の著作権は作者本人に属しております。

 

[註]『歎異抄』:親鸞聖人の弟子・唯円(ゆいえん)の著。聖人滅後、その教えに異なる解釈が生まれてきたことを嘆いた著者が、自身が聴いた聖人の言葉にもとづいてその教えを明記し、異義(誤った解釈)を批判したもの。

 

◎8月には広島市で土砂災害、先月は長野と岐阜県境にある御嶽山の噴火と大変な自然災害が続きました。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

今月の法話の中で「火宅無常」という言葉が出てまいりました。私たちの人生は、外に火のついた家の中にいるようなもので、火事の危険が差し迫っているにも関わらず「何も変わることはない」とじっとしている現状を表しています。今回の災害で改めてこの言葉が私たちに何を警告しているのかがわかった気がします。親鸞聖人はこの世は常に移り変わる不安な世界であるが、お念仏だけが真実であると述べられています。このことをしっかりと心に留めておきたいものです。合掌。