2018年6月の法話
[6月の法語] 自力の 御(おん)はからいにては 真実の報土(ほうど)へ 生まるべからざるなり We can never be born in the true and real Pure Land through self-power calculation. 『親鸞聖人血脈文集』 |
[法話]
私のような凡人が、世間の常識と少し違った意見などを言うと、大概(たいがい)「あの人は変わった人だ」と言われます。しかし、今まで常識では考えられなかったようなことでも、周りの人が「ああ、そういう見方もあったのか」と頷(うなず)ける内容であれば、「あの人は優れた人だ」ということになるのです。逆に言えば、それがいかに優れた内容であっても、周りの人にそのことに気づく才能が無ければ単なる「変わった人」と見過ごされてしまいます。
世界で初めて、動力で飛ぶ飛行機を発明したのはライト兄弟ですが、物に人が乗って飛ぶという発想自体は、古代インド神話にヴィマーナという呼び名で記述があるそうです。「魔法のじゅうたん」的な乗り物なのでしょうが、人が物に乗って空を飛ぶこと、それは神の領域で、人間にとっては夢物語だったのでしょうね。その神話を考えた人は、きっと当時「夢多き変わり者」だったに違いありません。しかし現代ではその子孫たちが、毎日何百万人と空を飛んで世界中を移動しているのです。
私たちは、今まで自らがつかんできた知識と経験、そして身の回りに溢(あふ)れる様々な情報によって、自分なりの世界を作って生活をしています。しかし、厄介(やっかい)なのは「自分の考え」というものを超えた存在を、なかなかその世界に受け入れることができないということです。自分の才能や力の限界を知らないで、自分の納得できないことは「そんなバカな話があるわけが無い」と嘯(うそぶ)いたり拒絶したりの連続です。 (「嘯(うそぶ)く」=とぼけて知らないふりをする)
でも、その割には一番恐れているのも、自分の知識を超えた世界のことなのですが...。最近なぜだか〝悪霊(あくりょう)に取り憑(つ)かれた〟との相談が続いています。息子から「お父さん仕事を変えたら」との助言をいただくほどです。しかし、そんな悩みに寄り添う時、いつも気づくことは、みんなが心の奥底に抱いているのは「死への恐怖」だということです。自らの知識や経験では解決ができない「死という不安」が悪霊や幽霊を生み出し、のさばらせているのです。
親鸞さまは「自力の 御はからいにては 真実の報土(=阿弥陀如来の浄土)へ生まるべからざるなり」(自らの知識や経験をもとにした善悪の判断とその行いによって(は)、阿弥陀さまのお浄土に生まれることはできません)と教えてくださいました。
自己中心的な心(煩悩)しかなく、そのような心で作り出す世界を生きているこの私が、自他を超えて一切の者の救い(幸せ)を願う阿弥陀さまの心や、そのお心によって建立(こんりゅう=寺・堂塔などを建てること)されたお浄土を理解できるはずがありません。だから、そこに生まれたいという心さえ起こらないのです。
しかしそのような私のために、阿弥陀さまは私のいのちの中に入り込み、お浄土を願うことの尊さと歓(よろこ)びを、私の口を通して「南無阿弥陀仏」と教えてくださいます。
そんな時、私はただ「そうかー」と、プカリと浮く雲のような気分でお念仏申しているのです。
田中 信勝(たなか しんしょう)
浄土真宗本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
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[註]『親鸞聖人血脈文集』
『親鸞聖人御消息集』ともいう。親鸞聖人の書簡十八通(数え方によって十九通)を収録した書。浄土真宗の肝要(非常に大切な部分)がいたる所に示されている。
◎先月はゴールデンウィークの最終日、当寺の「春の法要(永代経)」へ、多数参詣下さいまして、誠にありがとうございました。今回もまた皆様方のご先祖を偲(しの)ぶ思いをご縁にして仏法に出遇い、多くのことに気づかせていただきました。 合掌