2018年4月の法話
[4月の法語] 回心(えしん)というは 自力の心(しん)を ひるがえし すつるをいうなり Conversion means overturning and discarding self-power. 『唯信鈔文意』 |
[法話]
某(ぼう)会社が募集し入賞作品を発表する「サラリーマン川柳」は、もう毎年の定番となっていますが、「これはうまい!」と思わず手を叩(たた)いてしまいそうな作品がいつもたくさん寄せられています。
今年(2017年)の作品の中で私が勝手に一位に選んだのは(実際は三位でしたが...)「ありのまま スッピンみせたら君の名は?」でした。これはべつに、世の女性の方々や私のお連れ合いさまに挑戦状を叩きつけよう、などと思う気持ちは毛頭(もうとう)ございませんのでお間違いなく。私は最近この「ありのまま」ということについて、少しばかり考えているからなのです。
テレビドラマで「ありのままの君が好きだよ」などと言うセリフを聞くと「ホントかーい」と突っ込みたくなります。それはきっと私自身が常日頃「ありのままの自分」ではない生き方をしていると気づいているからなのでしょうね。
私は自分の心の引き出しに、いくつもの仮面を用意しています。「お世辞(せじ)顔」「へつらい顔」「賢者顔」「善人顔」など他にもたくさんの顔を持ち、その場に応じてうまく使い分けて生活をしているのです。そして、いつもいつも仮面を付け替えてしているうちに、仮面の顔を自分の本当の顔と勘違いをするようになってしまいます。いや、本当の顔自体を忘れてしまったり、時には仮面が外(はず)れているのにそれに気づかず、裸の王さまみたいな状態の時だってあるのです。
親鸞さまは「回心(えしん)というは 自力の心を ひるがえし すつる(=捨てる)をいうなり」と教えてくださいました。回心を「かいしん」と読む場合は、自分の罪を悔(く)い改めて正しい信仰に入るというような、キリスト教的ニュアンスが大きいのですが、ここでは「えしん」と読みます。意訳すれば「回心とは、自力の心をくつがえして、捨ててしまうことを言うのです」という意味 となります。「彼は法廷で証言をくつがえした」という場合は、〝今まで言っていたことをひっくり返した〟という意味ですから、「自力の心をひっくり返して」ということになります。
でも、ひっくり返しただけではダメなのです。なぜならひっくり返したものは、またひっくり返って元の状態に戻ってしまう可能性があるのです。だから、捨ててしまわなければならないのです。
では「自力の心」とは何でしょうか。私はそれを「自分の心の変化を期待する心」だといただいています。〝今はつまらない心だけども、努力すればきっと立派な心になることができる〟という心です。この心は決して悪い心ではありません。しかし、この心が阿弥陀さまの〝そのままのお救い〟の心を遮(さえぎ)ってしまうのです。わが子を心配し手助けをしようとする親に向かって「自分でできる!」と跳(は)ね返えしている幼子のようなものです。
「ありのまま スッピンのまま さあおいで」と抱いてくださる阿弥陀さま。出遇(であ)えて良かったですね。
田中 信勝(たなかしんしょう)
浄土真宗本願寺派布教使、仏教婦人会総連盟講師
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
◎ホームページ用に体裁を変更しております。
◎本文の著作権は作者本人に属しております。
◎この冬はことのほか寒さが厳しく各地で深刻な被害をもたらしました。気温の変動も激しく体調の管理に苦労された方も多かったかと存じます。この寒さがいつまで続くのかと思われましたが、少しずつ日も長くなるにつれ暖かくなってきました。桜の花もあちこちで満開となりようやく本格的な春の訪れを体感できたように思われます。こんな自然現象の中にも「諸行無常(=すべてのものごとは例外なく移り変わっていくこと)」を感じます。「辛いこと」や「苦しい」ことも「いつまでも続く」ことはありません。(もちろん「うれしいこと」「楽しいこと」もです)いつか終わりはやってきます。だからこそ私たちは絶望することなく前を向いて進めるのだと思うのです。そんな小さな私たちを丸ごと受け入れてくださる阿弥陀様に今日も「南無阿弥陀仏」とお念仏させていただきましょう。合掌