2015年11月の法話
[11月の法語] 如来の本願は 称名念仏(しょうみょうねんぶつ)にあり 藤元 正樹 同朋選書25『願心を師となす』 東本願寺出版部より |
[法話]
如来と衆生は、親と子よ、親は子を呼び、子は呼ばれる、呼べども呼べども、子は聞かぬ、聞かぬ子ゆえに、親は呼びづめ。
この言葉を数十年前にご法座で聞き、懐かしく思い出しました。11月の言葉は一面、このことを示しているようにも受け止めています。
浄土真宗では阿弥陀如来=阿弥陀仏=南無阿弥陀仏を「親」、「親さま」と身近に表現することがよくあります。衆生は私たち生きとし生けるもの。それはちょうど親子のようなもので、親は子どもに対して一番に名のりをあげて、自分があなたの親ですよと、親の存在、名前を呼ばせようとします。まだ口も十分にきけない折からです。パパとか、ママとか、お父さん、お母さんよと、自分から名のって呼ばせようとします。そのうちに、いつの間にか子どもが「パパ」「ママ」と親を呼ぶようになります。初めて親のことを声に出して呼んだ時、親にとってそれまでの苦労は一気に吹き飛び、感激のあまり子どもを強く抱きしめることでしょう。
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