2015年10月の法話
[10月の法語] 世俗の論理の 行き詰まることを 教えるのが仏法 栗山 力精 「海」 ※寺報より |
[法話]
住職と共に福圓寺をおあずかりして二十年近い歳月が過ぎました。「在家からの入寺」という立場で、住職も私も寺の暮らしははじめてのことでした。経済的にやっていけるだろうか。見知らぬ土地で周りの人びとと上手く関係が築けるだろうか。不安な思いは尽きることなく、そして何よりも祖父母の所へ残してきた中学生と高校生の子どもたちのことが気がかりでした。思い返すと当時の私は仏法の話も寺での法務もどこか上の空で、張り切っても頑張っても、何かうそ臭い感じがぬぐえませんでした。
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