松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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2023年1月アーカイブ

2023年1月の法話

[1月の法語]

この世のことは何事も何事もお念仏の助縁(じょえん)

Everything in this world is interconnected by the Nembutsu.

信楽峻麿(しがらきたかまろ)

[法話]

私たちは、自分の日常生活や社会での出来事と、仏教に出遇(であ)うということを別々のことと考えがちですが、お念仏する中でひとつのこととして私なりに考えてみました。

修行に破れ、失意の中に比叡山を下りられた親鸞さまは、結婚をされ、ご家族との生活を送られました。家族生活、社会生活をなさりながら、師法然さまから教えられたとおり、「本願を信じ念仏申さば仏に成る」と生きられました。

この生き方は、それまでの仏教観を完全に覆(くつがえ)したといえます。山の中で出家という形態をとりながらさとりをめざすという仏教から、家族生活、社会生活から起こってくるさまざまな生活の諸問題を念仏を称(とな)える機縁(きえん)とする仏教に変わったのです。このことによって、どのような生き方をしている人でも、つまりすべての人びとがお念仏のみ教えに出遇い、仏になる機会を得たと言っても過言ではないでしょう。

さて、社会生活を営むうえで最も大切なことのひとつとして、「知恩」ということがあります。知恩とは、私を育んでくれたすべての人びと、私の命を維持するために食となったすべてのいのち、私を成長させてくれたさまざまな出来事を恩と知る心です。

学生時代から仏法を聞き、今、医師としてご活躍の田畑正久さんは、2021年版『今日のことば』にご執筆の「三月のことば」の中で、

自己中心の自我意識は、育てられたことを当然のことと当たり前にして、私があれもした、これもしたという思いを心の底にもっていたのです。仏教の知識は増えていたかも知れないが、身の言動は無明(むみょう=邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知。最も根本的な煩悩)の迷いそのものだったのです。
縁起(えんぎ=因縁によって万物が生じ起こること)の法に沿って内省して、歩んできた人生のあるがままを冷静に見る時、両親のお育て、隣近所の人間関係、親戚付き合い、地域社会、学校、高校、大学、先輩後輩、関わった患者の皆さん等々、ガンジス川の砂の数ほどの因や縁によってお育てをいただいていたのでした。(中略)
人間に生まれながら、身の凡夫性は免(まぬが)れませんが、本願の心をいただき、「本当の人間に成ろうよ」と願われ、そして人間から仏へと導かれるのです。
(『今日のことば』第六四集、二五?二七頁、東本願寺出版)
と、ご自身のお聴聞(ちょうもん=説教や法話などを耳を傾けて聞くこと)の内容を振り返られました。

「知恩」を「お育て」と表現され、身の回りに起こることすべてに感謝して生きられるお姿が、私の胸に強く伝わってきます。

「知恩」という心で身の回りを見ると、私と切り離されたものは一切存在せず、そのすべての出来事を真実から呼びかける声として聞くという姿勢が育つのではないでしょうか。

まさに浄土真宗の門徒としてこの社会を生きるとき、阿弥陀さまの光に照らされることによって、自身の凡夫性に目覚め、良いこともそうでないことも私を人間として生かし、さらには仏へと導くためのご縁となりました。

すべてのことやものに対し「ありがとう」と感謝の心を持ちながら生きていきたいですね。

中川 清昭(なかがわしんしょう)

本願寺布教使、仏教婦人会連盟総会講師、福岡教区御笠組願應寺前住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

◎ホームページ用に体裁を変更しております。
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[註]信楽峻麿 : (1924~2014) 日本の真宗学者。文学博士、仏教伝道協会理事長、元龍谷大学長

今年の法話(2023年)

[表紙の法語]

親鸞聖人の出現は私一人のためであった

Shinran Shonin came into this world for my benefit alone.

横超慧日(おうちょう えにち)

[法話]

今日の世界は混迷(こんめい)が続いて出口の見えない苛立(いらだ)ちと不安を感じます。あたかも暗闇の中で光を求めて右往左往しているようです。正しいと言われることが、本当に正しいのか。人々を救うと言いながら争いを起こし、かえって自他ともに苦しんでいるのではないか。私たちが直面している問題は、いずれもが容易に解決の方途(ほうと=進むべき道。物事を実現・解決するための方法)が見出せないものばかりです。しかしその問題の大本(おおもと)は、要するに「人間とは何か」ということを人間自身が見定められなくなりつつあるところにあるのではないかと思います。人間が人間としてどう生きるべきかという確かな依(よ)りどころを失い、自分はどう生きたらよいか分からなくなってきたのが現代の根本問題です。

私たちは学校教育で、常に唯一の正しい答えを教えられてきました。ところが、今日のような混迷の時代には、答えよりもむしろ正しい問いが大事なのではないかと思います。例えば、二つの国が国境で対峙(たいじ)し、相手の国に「いかに打ち勝つか」と考えるのは正しい問いではないでしょう。そうではなく「いかに真に友好を深めるか」と問う方が人間として正しい問いだと思います。今、私たちは正しい問いを立て、そして真摯(しんし=まじめで熱心なこと。また、そのさま)にその答えを聞こうとする耳を持つことが大事です。

学生時代に卒業論文を書いている時、しばしば先行きが見えなくなって書けなくなることがありました。そのような時に、恩師の講義を聞いてとても大事なヒントを得たことがありました。あたかも恩師は私が論文で困っていることを熟知しておられ、私のために導きを与えてくださったように感じたことがあります。恩師の一言を聞き、「ああ、そういうことであったか」と納得し、自分の悩みが解決されて感動を覚えたものです。

この法語の「親鸞聖人の出現」とは、承安3(1173)年のご誕生のことです。聖人は建仁元(1201)年二十九歳の時、今までのいろいろな修行を止めて弥陀(みだ=阿弥陀如来)の本願(=仏・菩薩 (ぼさつ) が衆生を救済するために起こした誓願)に帰依(きえ=神仏や高僧を信じてその力にすがること)する決心がついたことを「雑行(ぞうぎょう)を棄(す)てて本願に帰す」(=念仏以外の自力作善の行を棄てて、他力(阿弥陀如来の本願力)の念仏を頂く身となること)(『真宗聖典』三九九頁)と『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に記(しる)されています。この尊い回心(えしん=心を改め、正しい仏の道に入ること。改心)は、ご誕生という事実によって齎(もたら)されました。そして親鸞聖人によって真実の教えが開顕(かいけん=(ここでは)明らかにすること)されたことが、私一人にとっていかに重大であるかということに気づけば、親鸞聖人の出現の意義が自(おの)ずから明確になるのです。

親鸞聖人の『教行信証』は真宗の根本聖典です。この聖典には「無碍(むげ)の光明(こうみょう)は無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)なり」(『真宗聖典』一四九頁)と説かれています。私たちは己の生き方に悩み苦しみ、何事も思い通りにならないと不平と不満を募(つの)らせていますが、実はその迷いの根本が無明(=邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知。最も根本的な煩悩)であることに気づかせていただくのです。光によって闇夜がたちどころに消えるように、阿弥陀仏の智慧の光明によって無明の闇が破せられます。

親鸞聖人によって明らかにされた真実の教えは、言うまでもなくすべての人々に説かれています。しかし、その教えを聞く者から言えば、私一人のためという思いになるものです。私たちが真宗の教えを聞く「縁」に遇(あ)った時に、心底から「親鸞聖人の出現は私一人のためであった」という知恩報徳(=受けた恩を知り、その恩徳に報いること)の念が呼び起こされるのです。

山本 攝叡(やまもとせつえい)

浄土真宗本願寺派布教使、行信教校講師、大阪市定専坊住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

◎ホームページ用に体裁を変更しております。
◎本文の著作権は作者本人に属しております。

◎あけましておめでとうございます。旧年中は何かとお世話になりありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 今年の法語カレンダーのテーマは、「宗祖親鸞聖人に遇う」です。親鸞聖人の教えにふれた先達のお言葉を通して、あらためて宗祖に出遇っていただきたいと願い、13点の法語を選定いたしました。挿絵には、画家の山口晃氏の作品を掲載しています。2023(令和5)年は、親鸞聖人の御誕生から850年という記念すべき節目の年です。このカレンダーが、多くの人にとって、お念仏申す日々を歩んでいく機縁となりますことを願ってやみません。(法語カレンダー裏面より抜粋)

 一年間挿絵とともに味わっていただければと思います。よろしくお願いいたします。

合掌