松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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2020年3月アーカイブ

2020年4月の法話

[4月の法語]

お念仏というのは つまり 自分が自分に 対話する道

The nembutsu is the path by which I converse with myself.

曽我 量深(そが りょうじん)

[法話]

 「帰命無量寿如来 南無不可思議光 法蔵菩薩因位時......」 (「正信偈」  )

  坊守も好華も帰りが遅くなるって言ってたから、今日のお夕事は一人でお勤め。今日は4軒のご法事を勤めさせてもらいました。一日に4軒のご法事があるなんてめったにないこと。さすがに少し疲れたかな。

 

 「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃......」

  お勤めは仏徳讃嘆。こうやってお勤めするってことは、仏さまのお徳をほめ讃(たた)えさせてもらってるんだよなあ。

 

 「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉回入......」

  そういえば好華のやつ全国大会出場が決まったって言ってたなあ。高校のESSクラブに全国大会があるなんて知らんかったなあ。どうやって勝敗決めるんやろ。当然全部英語だよなあ。きっと大会を観に行っても何しゃべってるんだかわからんよなあ。全国から英語の得意な高校生が集まってくる大会かあ。そんな高校生と、こんな山口の田舎の高校生が相手になるのかねえ。

 

 「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者......」

  そういや「おめでとう」の一言も言ってないなあ。

 

 「弥陀仏本願念仏 邪見憍慢悪衆生 信楽受持甚以難......」

  なんて言ってほめればいいかなあ。「よくやった、英語上手くなったなあ」って言えるほど聞いてないしなあ。まあ「よかったね、おめでとう」ぐらいだよなあ、言えても。

 

 「宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽 顕示難行陸路苦......」

 人のことほめるって難しいなあ。50年間生きてきたけど、いったい人のことどれぐらいほめたんだろう。好華のことほめるのも、あっという間に終わりそうだよなあ。

 

 「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通......」

  ちょっとまてよ。人の悪口って、今までどれだけ言ってきた?

 

 「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃 必至無量光明土......」

  悪口はめちゃくちゃ言ってきたよなあ。だってついこの前もお酒の席で◯◯の悪口を散々言っちゃったし。え~と30分。いや一時間ぐらいは平気で悪口言った気がする。ほめるのはちょっとしか出ないのに、悪口だったらいくらでも出てくるんじゃ。

 

 「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩鄣眼雖不見......」

  悪口だったらいくらでも出てくる私が、いまこうしてご法事のご縁をいただいているからこそ、仏さまをほめ讃えさせていただいているんだなあ。尊いお育てをいただいているんだなあ。

 

 「なーもあーみだあぁんぶ なーもあーみだあぁんぶ」

  しかし悪口言わないほうがいいってわかってても言っちゃうよね。

 

 「なーもあーみだあぁんぶ なーもあーみだあぁんぶ」

  ほめられて嫌な人なんていないよねえ。だってその人の居場所を作っているのと同じことだもんなあ。でもそれもなかなかできない。なぜだ。どうして悪口はいくらでも出てくるんだ。

 

 「五十六億七千万 弥勒菩薩はとしをへん......」

  悪口を言うってことの裏返しは、自分は悪くないって主張をしてるんだろうなあ。悪いのは私じゃない、あの人が悪いって。そうして自分で自分の居場所を作ろうとしているんだろうなあ。

 

 「真実信心うるゆへに すなはち定聚(じょうじゅ)にいりぬれば......」

  阿弥陀さまがすでに私の居場所を、ご用意くださっているのに。阿弥陀さまがご用意してくだっている居場所、正定聚不退(しょうじょうじゅふたい=まさしく往生することが決定した人々)の位になんの不満があろうか。なのに、なお人の悪口まで言い自分の居場所を作ろうとする私なんだよなあ。

 

 「五濁悪世(ごじょうくあくせ)の有情(うじょう)の 選択(せんじゃく)本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり」

 仏徳讃嘆させていただきながら、我が身の罪深きことを知らされるのも、阿弥陀さまの功徳のおかげだなあ。

 

 「願わくはこの功徳をもって 平等に一切に施(ほどこ)し

 同じく菩提心を発(おこ)して 安楽国へ往生せん」チーン

 

荻 隆宣(おぎ りゅうせん)

 浄土真宗本願寺派布教使、仏教青年連盟指導講師、

グラフィックデザイナー、山口県長門市浄土寺住職。

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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2020年3月の法話

[3月の法語]

本当のものが わからないと 本当でないものを 本当にする

When you don't understand the real thing, you take the unreal the real.

安田 理深(やすだりじん)

[法話]

 この言葉の後は、安田理深(やすだりじん:1900~1982 仏教学者、真宗大谷派)師の『講述「化身土(けしんど)巻」』(東海聞法学習会)の中では次のように続いています。

 

仏智(ぶっち=仏の円満な智慧)がわからないと、それならやめておこうというわけにいかない。仏智がわからんと、今度は理性を仏智にする。こういうことが出てくるのでないか。

 

 この文章から推測すると、「本当のもの」とは仏智であり、「本当でないもの」とは理性ということになります。理性という言葉の厳密な意味は私にとって難しいですが、ここで安田師が言われている理性とは、「こうだとすると、こうに違いない」と、自分の経験を基(もと)にして結論を推測することだと思います。それはとても大事な人間の能力ではあるのですが、問題は、単なる推測であるにもかかわらず、それを「本当のもの」、あるいは「本当のこと」としてしまって、その結論を「本当である」と捉(とら)われてしまうところにあるのです。

 

  私たちの日暮らしの中でも、「自分の経験してきたことこそ間違いないことだ。それは自分だけでなくどんな人にも通用することだ」と勝手に物事を決めつけて、それを自分でそう思い込むだけでなく、さらには人にも押し付けてしまうことがあるのではないでしょうか。その結論を「思い込みに過ぎない」と容易に気づくことができたとしたら、人間関係上において起こってくるさまざまなトラブルはかなり少なくなるような気がします。それほど、一度決めてしまった結論が「私の思い込みに過ぎなかった」と気づくことは、私たちにとっては極めて難しいことなのかもしれません。

 

 先程の安田師の言葉は、さらに次のように続きます。

 

仏智がわからないと、仏智はこういうものだと決めたら、これは仏智にならないのでないか。仏智でなしに、仏智の教理(きょうり=宗教で真理とする理論)でしょう。

 

 このことは仏教だけに限らないと思います。私たちが何を学ぶにしても、それを学び続け、ある程度の自信がついてくる時、自信と共にそこに何か「おごり」のようなものが必ず出てくるのではないでしょうか。「わかったつもり」になっているだけで、実は本当はよくわかっていない。しかし、その〈つもり〉が邪魔をして、もう一度、自分が学んだことを問い直し、学び直すということがなくなってしまうのです。

 

 北陸地方で安田師がお話される聞法(もんぽう)会がありました。安田師のお話の後、師を囲んでの座談(ざだん)会があり、私の父はその座談会に参加していました。その父から聞いた話ですが、座談会に参加していたある聞法熱心な方に安田師はこのように言われました。「君は何でもわかった〈つもり〉で生きているんじゃないかね?」。

 

 するとその方はあわててこう言い返したそうです。「私は決して〈つもり〉で生きている〈つもり〉はない!」と。

 

 仏智とは、「あなたは何でもわかった〈つもり〉で生きているのではないか」という仏から我われへの問いかけなのではないでしょうか。

平野 喜之(ひらのよしゆき)

1964年生まれ。金沢教区淨專寺住職。

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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◎現在(2月29日)新型コロナウイルス感染症(COVIT-19)の問題が社会や生活に大きな影響を与えています。国内感染者の増加に伴って、多数の人が集まるようなスポーツ・イベント等の中止・延期、全国の小中学校休校要請等々、また今後経済への影響も懸念されています。政府の対応にもいろいろと問題があるかと思いますが、今はそれを批判するのではなく一人一人が何をするべきかを冷静に判断するべきです。テレビのワイドショー・SNSなど真剣に情報を発信してくれるものもありますが、不安をあおり視聴するだけでストレスを感じる内容のものも少なからずあります。また長時間テレビやインターネットの画面ばかり視ていて健康を損ねては本末転倒といえましょう。それに比べて(政府の肩をもつわけではありませんが)首相官邸・厚生労働省のホームページにはかなり具体的な対策内容が分かりやすく公開されています。今月の法語「本当のものがわからないと本当でないものを本当にする」はまさに今の私たちに向けられた言葉のように感じられます。何とか乗り越えていきましょう。

合掌