2016年8月の法話
[8月の法語] まどえる身(み)にも信(しん)あらば 生死(まよい)のままに涅槃(すくい)あり When shinjin is awakened in our deluded self, we realize that birth-and-death is itself nirvana. |
[法話]
今月の法語は、「正信念仏偈(正信偈)」においては曇鸞(どんらん 476~542 七高僧の一人、北魏時代中国、山西省の人)章の「惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)、信心発(ほっ)すれば 生死即涅槃(しょうじそくねはん)なりと証知(しょうち)せしむ」(真宗聖典206頁)という偈文(げもん=仏教の真理を詩の形で述べたもの)の和訳になります。「惑染の凡夫」とは、惑も染も煩悩のことであり、煩悩に生活全体が染め抜かれている私たち凡夫のことです。煩悩を離れず嫌わずして涅槃(浄土のさとり)を得ることは信心に因(よ)ることを明らかにされています。
さて、「修の意識(賢善精進、向上心)」は、今のままではだめだ、努力が足りない、と今の自分を否定することから始まり、将来に成果を期待します。それだけに、頑張って困難を克服してきた価値意識は捨て難く、人に押しつけては嫌悪され、そしてますます自分の経験の確かさや歩みに執着していきます。
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