2015年8月の法話
[8月の法語] 今を生きずに いつを生きる ここを生きずに どこを生きる 大神 信章 『学仏大悲心』より |
[法話]
時間というのは、過去→現在→未来という流れるようなものではなく、過去も未来も包んだ現在(「今ここ」)という時間である。ということを聞いてきましたが、そのことがはっきりと感覚できずにいました。何がそのことをわかりにくくさせているのか。そんな時、たまたま読み返そうと思い手に取った『安田理深(やすだりじん:1900~1982 仏教学者、真宗大谷派僧侶)講義集』の中の一文が目に留まったのです。一度読んでいるはずの、その時気づかなかった文章は、今の時代と社会の真っ只中(まっただなか)に生きている私を言い当てている箇所(かしょ)でした。
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