2026年3月の法話
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[3月の法語] |
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一人の人生であっても決して一人ではなかった |
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Though it is your life and you may have felt lonely, |
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藤澤 量正 |
[法話]
人間という生き物は、一人になりたい時があるが、独りにはなりたくないという、なんとも矛盾した欲望がある。
お釈迦さまは、「人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る」(『仏説無量寿経』『註釈版聖典』56頁)と示される。また、「これを当くる(=引き受ける)に、代るものあることなし」(同)と続く。
人は自分にしかわからない苦しみを、自分で引き受けながら生きているものだ。多くの優しい人に囲まれているのに寂しさを感じたり、共感してもらえているようでも本当の意味では理解してもらえない。自分にしかわからない苦しみや、悲しみがあるものだ。
私が住職を務める寺院は1990(平成2)年に北九州最大のターミナル駅である小倉駅前から、同じ区にある大手町という地域に移転した。北九州市が、経済を発展させるために小倉駅前の再開発を計画し、寺に移転を要請(ようせい=必要な事が実現するように、願い出て求めること)してきたことによる。その際の「駅前にお寺はいらない」という商業の発展のみを重視した発言が大きな波紋を呼び、寺基(じき=寺院の建物が建っている敷地や場所、拠点)の移転賛成派・反対派にわかれ、長期にわたり協議された。
「駅から見えるお寺の屋根に安心する」という声や「これからの護持(ごじ=大切に守り保つこと。尊んで守護すること)を考えたら移転した方がいい」など......さまざまな意見が交錯(こうさく)し、当時住職だった私の父は大いに苦心した。県や市を巻き込む大きな問題だったので、多くの人々の工作や行動に翻弄(ほんろう=物事や環境に振り回されて右往左往させられること)された場面も想像できる。
私や妹は小学生だったので、ことの重大さを全く理解していなかった。寺族やご門徒は、父の精神的な支えではあったのだろうが、最後の決断をしなければならないのは住職である父だった。そういう意味では多くの人に囲まれながらも、孤独と戦っていたのではないかと思う。
移転して36年の月日が流れ、父が当時のことを振り返る時「あの時の自分の支えになった言葉は、九条武子さまの
百人のわれにそしりの火はふるもひとりの人の涙にぞ足る
(百人が非難しても、たった一人でも私のことを理解して泣いてくれる人がいればそれでいい)
(『白孔雀』)
という歌だった」と語る。父の中でその一人とは阿弥陀さまだったそうだ。
対面した時は笑顔の人が陰口をたたいたり、言葉ではそれらしいことを言いながらも自分の利益しか考えてなかったり。でも、そんな時に阿弥陀さまだけは、心の奥底の悲しみを包み込み「おまえは独りでない」と一緒に泣いてくれる。独りではないのだ。二人いるから、一人となれるのだ。
最後に『御臨末の御書』(親鸞聖人が90歳で往生される際に残されたとされる御遺言)の
「一人居て喜ばは二人とおもうべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」
(=念仏を喜ぶ人が一人でも、それは親鸞聖人と合わせて二人。二人の時は親鸞聖人と合わせて三人、つまり「いつでも親鸞聖人がそばにいます」)
というお言葉を味わい、阿弥陀さまだけでなく親鸞聖人も、この私の人生を独りにはさせないとご一緒してくださることを心強く思う。
※九条武子...本願寺21代宗主明如上人の二女。大正時代に女性教育や社会事業に精力的に取り組んだほか、歌人としても知られる。
村上 慈顕(むらかみ じけん)
1978年福岡県生まれ。龍谷大学真宗学科卒業。
仏教こども新聞編集長。北九州市 永照寺住職。
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

