2024年7月の法話
[7月の法語] |
行いと言葉の背後に 世間があるか 如来があるか |
The question is whether our words and deeds are based on The question is whether our words and deeds are based on the Tathāgata or worldly concerns. |
深川倫雄(ふかがわ りんゆう) |
[法話]
目覚まし時計を見る。蛍光塗料(けいこうとりょう)が塗(ぬ)られた文字が「3:14」と光っている。昨日は「3:13」に目が覚(さ)めた。最初は、何が起きているのかわからなかった。時間は2週間ほど遡(さかのぼ)る。
当地では、お盆・お彼岸に檀家(だんか)さんのお宅へお参りする。お盆は1カ月間ほどかかるので、なかなかの荒行(あらぎょう)である。終わる頃には、正直ホッとする。大袈裟(おおげさ)なようだが、特にお盆参りは暑くて厳しい。報恩講(ほうおんこう=毎年宗祖親鸞聖人への報恩のために営む法会)で数カ月間お参りする地域があるが、本当に大変だろうと思う。
長期間にわたるお参りが終了する最終日。疲れ切った私を迎えてくれるのは、母が作ったカレーライスだ。私の好物である。
その年のお彼岸。2週間ほどのお参りが終わり、8時頃に寺に戻った。玄関に入った途端(とたん)、カレーライスの香りがした。炊飯器(すいはんき)をあけて、湯気を立てているご飯を皿にこんもりよそう。鍋の蓋(ふた)を開けてカレーをかける。その時、少しおかしいなと思ったが、食卓について理由がわかった。焦(こ)げているのだ。黒い塊(かたまり)が幾(いく)つも浮かんでいる。試(ため)しに口に入れてみたがひどく苦い。疲れもあって、
「母ちゃん、カレーが焦げてる。こんなん食べれん」
と思わず声を荒げてしまった。カレーがかかっていないご飯を漬物(つけもの)で食べて寝た。瞬(またた)く間に眠りに落ちた。
「お兄ちゃん、お腹すいてない」
ドキっとして目が覚めた。ふすまを細く開けて母が立っていて、廊下の明かりが寝室に差し込んでいた。
「母ちゃん、眠たいんじゃ。ええかげんにして」
と再び私は大きな声をあげた。時計を見ると「3:13」だった。
それから2週間ほど後、京都にいた私に、妹から「母ちゃんがアルツハイマー」というメールが届いた。大きなショックを受けたのを記憶している。
それから数日間、3時過ぎに目が覚め続けた。最初は、なぜ3時過ぎに目が覚めるのかわからなかったが、やがて自分の気持ちが理解できた。あの日の「3:13」に戻って、母親にお詫(わ)びとお礼を言いたいのだと。
「大丈夫よ、お母ちゃん。大きな声を出してごめん。カレー、ありがとね」と。
その頃から、私の口から「南無阿弥陀仏」が、よく出るようになったように思う。
怒りや妬(ねた)みが私の心から無くなりはしない。悪い心が常にある。しかし、そこに仏さまがはたらいてくださる。心の裂(さ)け目から怒りが飛びだそうとすると、仏さまが代わりに出てくださる。世間の目を気にして乱暴な言葉を吐かないのではない。良い人になるわけでもない。仏さまが現れてくださるのだ。裂け目から出てくださるので、何とか頑張れている、そんな毎日を送っている。
お念仏が大好きだった母が、仏となって私を導いてくださっている。ありがたいことだ。そう書いたら、またお念仏がこぼれた。
藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。
◎先月に引き続き今月のご法話も耳が痛い思いですが、痛いだけでなくありがたいお話でもあるのです。怒りが飛び出そうとするこんな私でも「南無阿弥陀仏」のお念仏が出てくるのですから。
合掌