松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2024年6月の法話

[6月の法語]

いい人 いい雨 いい天気 みんな私中心

Umm, nice person, nice rain, nice weather:
Everything's always centered around me, me, me!

大神信章(おおが しんしょう)

[法話]

 私たちは、何をもって「いい」「悪い」と言っているのでしょうか。それは、何事に関しても良し悪しを決めようとする、私の価値観やモノサシが作用していることに他なりません。このことは日々の様々な場面で直面します。

 私のお寺の境内では2匹の猫を飼っています。その1匹エリーは、2010年、ある方が、「境内で飼ってくだされば、いつでも会いに来られる」とお寺へ連れてこられました。寺はにぎやかなアーケード商店街に面しています。エリーは商店街を堂々と歩いて、日中は近所の行きつけの店を巡回し、夜中も境内を抜け出し、門前でゴロゴロすることは日常で、いつの間にか、ちょっとした「有名猫」になっていました。

 そんなエリーがある日、姿を消しました。連れ去りだったのです。それから約二週間後、奇跡的に救出され無事帰ってくることができました。警察署へ迎えに行った時、毛の艶(つや)もよく、外見は連れ去られる前と何の変化もなかったので、可愛がってお世話してもらっていたであろうことが想像できました。連れ去った人の本心は分かりません。しかし、私たち寺族と、必死で捜索(そうさく)に協力してくださった方々にとっては許されない行為です。

 このことは、全国テレビやネット上でもニュースになり、たくさんの意見が投稿されました。その中には、連れ去りに対する批判だけでなく、外で飼っていたことへの批判もあったのです。元々は境内で飼うことを前提にして、そして多くの方に可愛がられていたので、私としては「いい」と思っていた行いに対しての批判に、ハッとさせられました。

 相手への思いやりのつもりが、逆に迷惑に思われたことは多いにあるでしょう。物事を自分勝手な解釈や価値観だけで判断したときは、他人には受け入れられない場合も往々(おうおう)にしてあります。また、それを指摘されてもなお自分の過(あやま)ちに気づけないこともあります。私自身、今まで気づくことがないまま自分本位の「いい」をしているかもしれない...と思うと恐怖さえ感じます。

人のわろき(=悪い)事は、能(よ)く能くみゆる(=見える)なり。わがみのわろき事は、おぼえざる(=自覚できない)ものなり。
(『蓮如上人御一代記聞書』195・『真宗聖典』890頁)

と蓮如上人(れんにょ=1415~1499 本願寺第八世、本願寺中興の祖と呼ばれる)は教えてくださいました。私たちは誰でも善悪をはかるモノサシを持っています。しかし、人それぞれその尺度(しゃくど=判断、評価などの基準)が違うので、自分の「悪い」ところは差し置いて、他人の悪いところはよく目につくものです。

 このたびの出来事を振り返って、私自身の行いがいいのか悪かったのか、未(いま)だ迷っています。だからこそ、仏さまの教えを聞くご縁をいただき、立ち止まって「自分自身はこれでよいのか」と問い続けることが大切なのではないかと思います。

 今も、猫たちを見に多くの方がお寺をおとずれます。会えるだけで嬉しいと話してくださる方を横目に、エリーは外で自由に動き回っています。「常に私中心」の身である事実を、エリーは教えてくれているように思います。

郡 伸子(こおりしんこ)
1968年生まれ。四国教区松山組圓光寺坊守

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

[註] 大神信章:(1949~2013)浄土真宗本願寺派光林寺前住職

◎最近、雨天の日が多くまた気温差(又は気圧差)も大きいので体調も狂いがちでついつい愚痴も多くなります。これも(今回のご法話から)考えてみれば自分の都合で自然現象に文句を言っているわけでおかしな話です。そのほかにも「私中心」で物事をとらえていることに気づかされます。そんな「私」を救いの目当てにしてくださる阿弥陀さまに「ありがとうございます」と手を合わせお念仏いたしましょう。

合掌