松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

〒553-0003 大阪市福島区福島3-4-4
TEL 06-6451-7966 / FAX 06-6458-9959

2024年1月アーカイブ

2024年1月の法話

[1月の法語]

帰ってゆくべき世界は 今()う光によって知らされる

To encounter the Infinite Light is to have our hearts turn to that infinite world where we shall one day return: the Pure Land.

To encounter the Infinite Light is to have our hearts turn to that infinite world
where we shall one day return: the Pure Land.

淺井成海(あさいじょうかい)

[法話]

「帰ってゆくべき世界は 今遇う光によって知らされる」は、尊敬する浅井成海師が遺(のこ)された言葉だ。先生は、俳人・尾崎放哉(おざきほうさい)を紹介され、この言葉を記(しる)された。そこで、私も放哉に関する本を数冊取り寄せて読んでみた。

尾崎放哉は1885(明治18)年、鳥取県邑美(おうみ)郡(現在の鳥取市)に生まれ、一高から東京帝国大学法学部へ。生命保険会社に入り若くして支店長というエリート街道を歩む。しかし大学時に覚えた酒癖がひどくなりさまざまなトラブルを起こす。加えて肋膜(ろくまく)炎等も発症し仕事もままならず、1925年夏に小豆島へ辿(たど)りつく。一歳年上の俳句仲間、萩原井泉水(おぎわらせいせんすい)の紹介であった。当地で高野山真言宗・西光寺住職、杉本宥玄(ゆうげん)師の世話を受け、あばらやの南郷庵に身を寄せ、近隣の人びとの支援をいただきながら生活した。しかし病は回復せず、翌年4月に死去する。その間の事情は吉村昭『海も暮れきる』(講談社文庫)に詳しい。

放哉は評判が極めて悪かった。エリート臭が抜けず尊大で、金の無心をする。酒を飲むと悪口が止まず、骨身を断つような筆致で知人を批判した手紙も残っている。エリートだから仕事も選(え)り好みする。他人の施(ほどこ)しを素直に受け入れられない。受け入れれば、自分を貶(おとし)めることになると感じる。また善意の相手を怪(あや)しむ。自らの性根(しょうね)の裏返しであったのだろうか。

しかし島に行き着いた時、既(すで)に働く力も失われ、島の人びとの支援を受け入れざるを得なかった。
放哉は、手紙に、宥玄師の厚意を得た際に感涙したと書き、
「トニ角(とにかく)、此島デ(このしまで)死ナシテ(しなして)貰ヘル(もらえる))事ニ(ことに)ナルラシイデス(なるらしいです)」と添(そ)えている。

よほど安堵(あんど)したのだろう。吉村昭は近隣の漁師夫婦について、
「シゲは、放哉の世話をしてくれているのに、なんの報いも求めない。シゲのみならずその夫である老漁師も魚などを持ってきてくれるが、むろん代価などは要求しない」(傍点、筆者) と放哉が感謝していたことを記している。最晩年、死を意識した句が増えていく。

赤ん坊ヒトばんで死んでしまった
肉がやせて来る太い骨である
春の山のうしろから烟(けむり)が出だした

そして、亡くなる数カ月前の手紙は「南無阿弥陀仏」で閉じられている。

阿弥陀さまの救いは無条件だ。善行の見返りに浄土へ往生できるのではない。阿弥陀如来は、欲望の心や自分中心の考え方を離れられない者を救おうと、今も無私のはたらきに勤(いそ)しまれている。

これが娑婆(しゃば)の価値観では受け入れにくい。自分の力を妄信(もうしん)していると理解できない。しかし、この世界にも、ささやかな無私の行為が起こる。そのささやかな行為が微(かす)かな光となり、仏の救いへと誘(いざな)うことがある。最期の放哉にそれが起きて、念仏が生じたのではないか。浅井先生は、慈(いつく)しみを受ける心を表現した放哉の句を紹介されている。

入れものが無い両手で受ける

何も無くなった手のひらだからこそ、温もりがそのままに伝わってくる。

藤丸 智雄(ふじまる ともお)
武蔵野大学非常勤講師、岡山理科大学非常勤講師、
前浄土真宗本願寺派総合研究所副所長、兵庫教区岡山南組源照寺住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎あけましておめでとうございます。旧年中は何かとお世話になりありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 年明け早々の1月1日に能登半島で大地震が発生しました。現在(1月3日時点)でも大きな余震が続いています。被害状況も極めて深刻です。被災された方々には何卒ご無事でありますようお念じ申し上げます。(現在詳細が不明なのでコメントは控えます)

合掌

今年の法話(2024年)

[表紙の法語]

光明(こうみょう)名号(みょうごう)がからみ合い(たえ)なる音楽を(かな)でている

When the Light and the Name entwine themselves,
wondrously beautiful music begins to play!

When the Light and the Name entwine themselves,
wondrously beautiful music begins to play!

青木新門(あおきしんもん)

[法話]

西日が沈むと、光は瓦(かわら)の隙間(すきま)に吸い込まれるように消え、夕闇に包まれる御影堂(おみどう)。...御堂の中は光で満ちている。人影がないのに、念仏の声がする。光の中から声が聞こえてくる。光明と名号がからみ合い、妙なる音楽を奏でている。 (『青木新門の親鸞探訪』東本願寺出版)


 晩秋の夕暮れの真宗本廟(ほんびょう)(東本願寺)を訪ねた青木新門さんは、厳(おごそ)かな風景を美しく、有り難く表現されました。御影堂にお参りし親鸞聖人に向き合うと、光の中から念仏の声がするという描写に心が打たれます。


 「光明」と「名号」という表現から、おのずと「正信偈(しょうしんげ)」の「善導大師章」が導き出されます。


善導独り、仏の正意を明かせり。...光明名号、因縁を顕(あらわ)す。 (『真宗聖典』207頁)


と親鸞聖人は讃じておられます。善導大師は、他力の信心を得るには、阿弥陀仏の「智慧の光明」が縁となり、南無阿弥陀仏の「名号」が因となると説かれ、「光明」と「名号」の因縁により信心をいただくことをご教示くださいました。誠に有り難いことです。


 「正像末和讃(しょうぞうまつわさん)」に、


無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ)なり (『真宗聖典』503頁)
(いつ明けるか分からないほどの暗く長い夜の中であっても、私を照らす大きな灯(ともしび)がある。)
とありますが、私たちの深い煩悩により混迷が続くこの時代は、まさに「無明長夜」の世です。そのような中で、ただ弥陀の「智慧の光明」が救いです。阿弥陀仏は、決して遠いところにましますのではなく、私の上に智慧の光明となり、無明の闇を照らしてくださると感謝しています。


 「光明」について、常に思い浮かぶ親鸞聖人のご和讃があります。


智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ(『真宗聖典』479頁)


 〔意訳〕弥陀の「智慧の光明」は無限です。限りある命のすべてのものが、阿弥陀仏の光に照らされています。阿弥陀仏の真実の救いを頼み、信仰に生きよう。


 暗闇の中でさまよう私に、光をあててお救いくださる阿弥陀仏のはたらきには感謝せずにおれません。


 青木新門さんは、晩年まで長年にわたり、フェイスブックに「念仏広場」を開設し、毎日、念仏の仲間たちに親鸞聖人の教えをわかりやすく伝え、共に念仏を喜ばれました。


 特に私の印象に残ったのが、2021年の元旦に、


新年明けまして 南無阿弥陀仏
弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし
─親鸞「正像末和讃」


親鸞聖人の仰せにしたがって私は今年も、お念仏を旨(むね)として憶念の心で書き綴(つづ)っていきたいと思っています。
...皆様からのお念仏の声が何より力になります。昨年同様、お力添(ぞ)えを賜(たまわ)れば有難いです。南無阿弥陀仏


と投稿された文章です。青木さんは晩年まで、念仏の尊さを伝えることを生涯の仕事とされ、感動を与えてくださいました。


 現代社会においては、苦しみ悩む人に寄り添う気持ちの大切さが切に求められています。阿弥陀仏の光に照らされ念仏申す中で、その求めに応えていく生活が開かれるのではないかと思います。


石橋 義秀(いしばし ぎしゅう)

1943年生まれ。大阪教区第21組善正寺住職。大谷大学名誉教授

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

◎ホームページ用に体裁を変更しております。
◎本文の著作権は作者本人に属しております。

[註]:青木新門(1937~2022)日本の作家、詩人。『納棺夫日記』の著者