松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

〒553-0003 大阪市福島区福島3-4-4
TEL 06-6451-7966 / FAX 06-6458-9959

今月の法話

2023年2月の法話

[2月の法語]

世の中に 最も度(ど)し難(がた)いものは 他人ではない この私

The most hopeless person in the world to be saved is not someone else--it is I !

稲城選恵(いなぎせんえ)

[法話]

数年前、春彼岸の準備をしている時のことです。仏具のおみがきを知らせるポスターを門前に貼っていると、ある女性から、「今度、会社の新入社員研修をするのですが、研修の一つとしておみがきをさせていただけませんか」と声をかけられました。私は二つ返事で「喜んで」とお答えしました。

当日、若い男女約40名が来られ、私が鶴亀(ろうそく立て)など仏具に関して少しお話をしたあと、おみがきをしてもらいました。おみがきが終わり、ピカピカになった仏具と一緒に本堂で記念写真を撮り、解散する時のことです。数人の方が、「子どもの頃、おばあちゃんちでおみがきしたことを思い出しました」、「今度うちのお仏壇でやってみます」と言ってくれました。ささやかですが、教えが次の世代に引き継がれていく思いのする嬉しい出来事でした。

その時、ある写真のことを思い出しました。大学生の頃、クラブの後輩が部室で見せてくれたお姉さんの結婚式の写真です。その写真は、結婚式当日の朝に家族で撮影したもので、大きなお内仏(ないぶつ=仏壇)の前で笑顔いっぱいに写っていました。私は、その大切な写真が、お内仏の前で撮られているということに驚きました。日頃から仏前に座り手を合わせてきた家族の姿があったからこそ、その場所を選んだのでしょう。

七宝(しっぽう)講堂道場樹 方便(ほうべん)化身(けしん)の浄土なり 十方(じっぽう)来生(らいしょう)きわもなし 講堂道場礼(らい)すべし

(金・銀・瑠璃(るり)(青色の宝玉)・水晶・珊瑚(さんご)・碼碯(めのう)(深緑色の宝玉)・硨磲(しゃこ)(大蛤または白珊瑚)などの七つの宝でできている講堂や道場樹は、さとりを開かせるためにあらわされた浄土のすがたであります。すべての世界から数限りない人々が来(きた)り生まれるのです。このようなはたらきをそなえた講堂や道場樹を礼拝するのがよろしいでしょう。)(『真宗聖典』四八一頁)

これは親鸞聖人が作られた「浄土和讃」の一首です。「講堂」とは聞法の道場であり、お寺の本堂や家庭のお内仏を意味します。親鸞聖人はこの「講堂」の字の横に、小さく「ナラウイエ」と書かれています。いったい何を習うのでしょうか。それは自分自身を習うのでしょう。喜び、悲しみ、腹を立てる自分自身の姿です。その姿は時に目を覆(おお)いたくなるような愚かしいものかもしれません。しかし、その見たくないものをしっかりと見て、習う。それが本堂やお内仏という場なのです。

詩人の相田みつを氏は、「じぶん/この/やっかいなもの」(『いのちいっぱい』ダイヤモンド社)と、他者ではなく、自分こそが一番煩(わずら)わしい者であると教えてくださいます。

私の目はありのままの世界を見ているにもかかわらず、「自分」は勝手な解釈でもって、ものごとを常に選(え)り好んで生きています。周囲の人を、親を、連れ合いを、子を、そして自分自身さえありのままにいただくことなく、事実をねじ曲げ、そのうえ不平不満を言って生きているのです。

そのような私が、本当の私自身を見ることができる場として聞法の道場があるのでしょう。その確かな依(よ)り処(どころ)を大切にして欲しいという仏さまの願いを、お内仏の前に座る後輩の家族の姿をとおして、あらためて教えていただいたことでした。

稲城先生のこの法語は、不確かな目で見たものを絶対化するどうしようもない私を言い当てられた言葉です。いかに我が身中心の思いで生活しているのか。それさえも厳しく教えられないとわからない。そういう我が身の愚かさを教えていただくのが道場です。その自分が最も救われなければならないものであると目覚めたとき、頭は自然と下がるのです。

松江 長親(まつえ ながちか)
1973年生まれ。山陽教区備後組明圓寺住職

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎年が明けて早一ヶ月が経ちました。先月は後半に大変な寒波が到来して、交通機関を始め各地に被害を及ぼしました。自然の力の強大さを今更ながら思い知らされるとともに寒波に備えることの重要さも感じた次第です。コロナ渦も少しずつ下火にはなってきていますが、皆様方には何卒ご自愛くださいますようお念じ申し上げます。

合掌