松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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2021年1月アーカイブ

2021年1月の法話

[1月の法語]

私を生かしておる 力というものに 帰っていく歩み それが仏道

The Buddhist path is the journey that guides me back to the power that enables me to live.

宮城 顗(みやぎしずか)

 

[法話]

この人生は、自分が生きているという思いから出発します。生きていく以上、より良く生きていきたい、そのためには自分をより向上させなくてはいけない。親は、我が子を小さい時から塾に通わせ、より良い学校に行かせようとします。良い学校に行き良い会社に入れば、より良い人生が送れると思うからです。そんな親のもとで子どもたちも頑張り、そこにはおのずと競争が始まります。

そして社会人になっても競争は続きます。会社において、より有益な存在であろうと頑張ります。負けてはいけない、勝ち残らなくてはいけない。書店には「このようにしたら成功できる」といった類(たぐい)の本が山積みにされ売られています。

いつの頃からか勝ち組、負け組という言葉を耳にするようになりました。良い大学を出て一流企業に入ったエリートは勝ち組、そういう人と結婚した人も勝ち組。今や世間の評価が、人生の勝ち負けを決める風潮となりました。

 

かつて先生は、時々お話の中で他力(たりき)の生活、自力(じりき)の生活ということを言われました。「他力の生活というのは、他をあてにするとか何にも努力をしないということではない。何かができること、努力ができることをよろこぶ生活、恩徳(おんどく)をたまわっていることをよろこぶ生活である。それに対して、自力の生活というのは、自分の力をたよりにし、自分の思いに立って自分のしたこと、努力したことを他に誇る生活である」と。 この頃、「インスタ映(ば)え」という言葉をよく耳にするようになりました。この「インスタ」とは「インスタグラム(Instagram)」の略称で、自分の写真や自分で撮った映像をインターネットに載せると、無数の人々がそれを見て即座に「いいね」というサインやコメントを当人に送る、というシステムです。今や世界では、何億人という人々がこのインスタに参加しているそうです。そしてこのインスタのおかげで一躍有名人になったり、多くの人からの「いいね」という励ましによって挫折から立ち直った人たちもいるそうです。

でも中にはこの「いいね」がより多く欲しくて、自分の写真を修正して投稿したり、高級な料理を買ってきて家の食卓に並べて、「これが私の作った夕食」と載せる人もいるそうです。

虚構(きょこう=事実ではないことを事実らしくつくり上げること)でも「いいね」が欲しくなると、そこにあるのは息が詰まる社会です。周りの人から自分がどのように評価されているかによって、その人の幸せや不幸せが決められていく社会です。

この世間の評価を依(よ)りどころとする人生観と真反対が仏教の世界観です。この仏法を説かれたお釈迦さまの人生は、どのようなものだったでしょう。ご存じのようにお釈迦さまは、29歳の若さで出家されました。その時、お釈迦さまはいかなる存在であったのでしょうか。

お釈迦さまの出家前の地位いわば肩書は王族で、いずれは国王になる立場でした。経済的には、2500年前のインドは世界の先進国だったので、かなりの富があったと言われます。また季節に応じて住まいを移動するため、三つの宮殿があったと伝えられます。家庭環境としては、美しい妻とラゴラという跡取り息子がいました。健康面においても、武術に優れていたとされ、あの時代に80才まで生きられたのですから、とても強靭(きょうじん)な身体を持たれていたと思われます。いわばお釈迦さまは、超勝ち組でした。

なのになぜ、お釈迦さまはそれらをすべて棄(す)てて出家なされたのでしょうか? 地位も財も家も家族も健康も、それらの中には真の幸せが無いと見抜かれたからです。いずれはすべて失うものであり、それらにとらわれるとむしろ苦しみになってしまうと気付かれたからです。

 

お釈迦さまは、以来あえてホームレスのお姿で一生を過ごされ、真の身の幸せを説いていかれました。たとえ地位が無くとも、財が無くとも、家が無くとも、家族がいなくて一人であっても、病で床に伏(ふ)していても、究極の依りどころがあれば、もはや恐れることはありません。いかなる状況でもしみじみと喜べるみ教え、それが仏法です。

自分の力で生きているのではないことを知らされると、表面的な世間の価値観に振り回されなくなります。そして、この私を生かしている根源の力、真の依りどころに帰ってゆく歩みが仏道です。

 

福間 義朝(ふくまぎちょう)

浄土真宗本願寺派布教使、布教研究課程専任講師、広島県三原市教専寺住職

 

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

◎ホームページ用に体裁を変更しております。
◎本文の著作権は作者本人に属しております。

 

註 : 宮城 顗 1931~2008 京都市生まれ。大谷大学文学部卒業。大谷専修学院講師、教学研究所所長を歴任。真宗大谷派本福寺前住職。九州大谷短期大学名誉教授。

 

◎   年末より新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。お亡くなりになられた多くの方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、罹患されている皆様に心よりお見舞い申し上げます。さらに、特に高い感染リスクにさらされながらも懸命に治療・対策に当たられておられる医師・看護師をはじめとする医療従事者の方々に深く敬意と感謝を表します。

昨年もたびたび申しましたが必ず終わりは来ます。時間の経過とともに未知のウイルスについても様々なことが分かってきています。いたずらに不安に陥ることなく政府や自治体が公開している感染症対策の基本をしっかり守って一日一日を元気に暮らしていきましょう。           合掌

今年の法話(2021年)

[表紙の法語]

念仏となって 私の口から 現われて下さる み仏のはたらき

The working of the Buddha manifests itself as the Nembutsu whenever I say,

 "Namo Amida Butsu."

松野尾 潮音(まつのおちょうおん)

[法話]

 このお言葉について何か書くようにとご依頼をいただいた時、私の念頭に浮かびましたのが、曽我量深(そが りょうじん 1875~1971 明治~昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶、仏教思想家)先生のお言葉でした。

 

 くしくも、2020年は曽我先生の五十回忌の年でした。先生は、私が大谷大学へ入学した当時九十歳で学長をしておられ、その年(1965年)の秋、真宗が何であるのか右も左もわからない私でしたが、いまから振り返れば大切な言葉に出会いました。

 

 それは、十月に曽我先生の卒寿(そつじゅ=90歳のこと、またその祝い)の記念講演会が大学の講堂で開催され、その時に先生が講題として出されたお言葉、「如来あっての信か 信あっての如来か」というものです。

 

 講堂の正面に向かって左側に墨で大きく書かれたその講題を目にした時、〝不思議な題だな〟と思ったことを覚えています。そしてそれは、仏教は如来があってこそ成り立つものだと思っていた私にとって、そのような信仰のイメージに揺(ゆ)らぎを与えるものでした。

 

 その後、その言葉はどこか気になるものであり続けましたが、その意味を問うことがないまま過ぎていきました。それが、四年ほど前にふとしたことで、その言葉の大切さに気づかされたのです。

 

 先生は講演の中で、この言葉について「如来があるから信ずるのか。それとも信じなければ解決がつかない問題や要求を私たち人間が抱(かか)えているから、それに応(こた)えて如来は現れてくださるのか。どちらだ」という意味であるといわれ、清沢満之(きよざわまんし 1863~1903 明治期に活躍した真宗大谷派僧侶、哲学者・宗教家)師が、真宗大学(大谷大学の前身)の学長の時に若い学生たちに対して考えるようにと、問題として与えられたものであるといわれています。そして、九十歳に至るまで曽我先生の意識の深くにあって、先生を育て指導し続けてきた言葉であると語っておられます。

 

 その言葉の意味について四年ほど前に、仏教の信仰はどのようなかたちにしろまず如来が何であるのかがわかったところから始まるのであり、それは「如来あっての信」といわれる信仰の形である。しかしそのような信仰が、様々な縁の中でいま一度問い返されることを通して「信あっての如来」への転換がおこり、そこに信仰が決定性(けっていせい)をもつものとなることを教えてくださっている言葉ではないのかと気づかされたのです。

 

 「如来あっての信」という信仰は如来と私とが外的(がいてき)で対象的な関係にあり、如来と私との間に隙間(すきま)があります。そこに、その信仰が力をもたなくなったり、私の苦しみを救うものではなくなったりする。そのような行き詰(づ)まりの状況を破るようにして、教えが縁となって〝南無阿弥陀仏(称名念仏(しょうみょうねんぶつ))〟と、私の苦しみ・問題に応(こた)えるようにして生まれ出てくださる如来との新しい出遇(であ)いがおこる。それが「信あっての如来」という信仰の形であり、親鸞聖人はそのような如来を「たすけんとおぼしめしたちける本願」といわれているのだと思います。

 

 そしていま一つ注意されますことは、先生は二日間の講演の中で結論にたどりついておられず、結論を出しておられないということです。「信あっての如来」が結論であることは、一年後に講演録が出版された時に、先生自身がそのタイトルを「我(われ)如来を信ずるが故に如来在(まし)ます也(なり)」とされたことによって知ることができることなのです。そこに、「信あっての如来」という如来は、様々な問題を抱えて生きている身が救いを求め、如来を尋ね続けていく生涯の歩みにおいて、常に今のこととして出遇われ続けていく如来であることを教えてくださっているものといただかれるのであります。

 

廣瀬 惺(ひろせしずか)

1946年生まれ。大垣教区第9組妙輪寺住職。

 

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

◎ホームページ用に体裁を変更しております。
◎本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎あけましておめでとうございます。昨年はお世話になりありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。昨年はコロナコロナであわただしく過ぎてしまったように思えます。今年の法語カレンダーのテーマは、「宗祖親鸞聖人に遇う」です。2023(令和5)年には親鸞聖人が誕生して850年を迎えることから、あらためて親鸞聖人に遇う機縁になることを願い、聖人の教えにふれた先達の方々のお言葉の中から選定し、掲載されています。また挿絵に、タレントとしても著名な片岡鶴太郎氏の絵画が掲載されています。日々の生活の中で味わいながら、共々にお念仏を申し歩んでいく機縁となることを願っています。                        合掌

 

[追伸] 昨年末より当寺のホームページがスマートフォン対応になりました。

(真宗興正派 西善寺 https://saizenji.osaka.jp/ )