松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2017年11月の法話

[11月の法語]

信心の智慧(ちえ)にいりてこそ 

仏恩(ぶっとん)報(ほう)ずる身とはなれ

 It is by entering the wisdom of the entrusting heart

 that we become person who respond in gratitude to the Buddha's benevolence.

[法話]

聞法(=仏法を聴聞すること)友だちの女性Yさんの話です。

 

―― 用件があって病院勤務の友人の職場を訪ねると、あいにく非番で、「じゃあ、自宅へ行くから電話番号を教えて」と頼むと、「規則で教えられない」と断られ、カッとして「友人なのに何て冷たい職場...」と激しく言い争ったあげく、番号を問い合わせで調べ、友人を訪ねた帰り際、「さっき病院の受付でポンポン言っちゃったけど、悪かったわ。ごめんなさいと言っておいてね」と伝え、いくらか心が納(おさ)まった。やり合った後、「私の頭が高かったかな」と、日頃の聞法から、自分の行いを振り返らされた。聞法すれば、何より自分本位な偏(かたよ)り、執(とら)われが知らされ、見えてくる。「あ、またやっていた」と、頭の高さに気づかされ、自分の不明(ふめい=才知の足りないこと。事理に暗いこと。識見のないこと)が破られる。

 

子どもからも、「お母さん。お寺で何を聞いてるの。そんなんじゃ母親も主婦も失格だよ」と一本とられると、「そうね。ごめん」と柔らかく、軽く受けとめられる。そこでは娘とニッコリ笑いあえる。

 

マンションの隣の奥さんが、向かいの奥さんを非難して、「あの人って引越されて以来今日まで随分(ずいぶん)世話してあげたのに、こないだちょっとしたこと頼んだら、愛想(あいそ=人に接して示す好意や愛らしさ)もなくお断りなのよ。どういう人、あれ」と憤懣(ふんまん=発散できずに、心中にわだかまる怒り)いっぱい。聞きながら心の中で、「あ、相手を責めるんでない。まずは自分の計算高さ、当てにする心に原因がある と気づかされていれば、ああまで言わずに、楽に受け流せるのにな。一度お寺の話を聞きに誘ってあげようかな」などと、相手の心の動きが見えて寄り添える ──。

 

同朋会運動五十年、今日までの歩みで私は、人知(じんち=人間の知恵)だけでなく、仏智(ぶっち=仏の智慧)が人生の必須要件(ひっすようけん=必ずなくてはならない大切な用件)と学びました。仏の智慧とは「智」と「慧」からなり、親鸞聖人は「慧」を、「無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)」(=煩悩の闇を破ってくださる智慧の輝き)、「智」を「悪を転じて徳を成す正智(しょうち)」(=悪を転じて徳に変える正しい智慧のはたらき)といわれ、それぞれ「根本智(こんぽんち)」(=絶対的な智、根本無分別智ともいう)、「後得智(ごとくち)」(=すべてが多様なものとして存在しているこの世界の相(すがた)を正しく認識する智、根本智の後に得るからこのようにいう)ともいうと学びました。破闇満願(はあんまんがん)という言葉もあり、まず私たちは本当のことが明らかでない自分の闇が、破られねばならぬ。破るとは否定ですが、闇をなくす、やめる、すてるのでない。闇はなくならない。条件次第でいつも出ますが、闇だった、また出たと知らされることなら誰でもできる。知らされれば、闇が闇のまま闇でなくなる。

 

Yさんが友人の病院でやりあっているのは闇の姿ですが、聞法の影響で「頭の高い自分」と気づかされれば、自然と「謝っといてね」と向きが変わる。娘さんから母親失格と図星を刺され、「ごめん」と闇が破れ(慧)、母と娘が和なごむ(智)。そして近所の奥さんの憤懣にも、道を踏み迷わず、方向を示さずにおれない。ひとりでにそうなっていく。それが智のはたらき、仏恩に報(むく)いるという身の動きなのでしょう。「南無せよ」が慧、「阿弥陀仏になる」が智。南無阿弥陀仏の智慧の念仏、それを我が身にうなずく信心の智慧です。

亀井 鑛(かめい ひろし)

1929年生まれ。名古屋教区珉光院門徒。

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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◎本文の著作権は作者本人に属しております。

 

[今月の法語について](以下の和讃の後半を抜粋)

釈迦・弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心(がんさぶっしん)はえしめたる

信心の智慧にいりてこそ 仏恩(ぶっとん)報ずる身とはなれ

(現代語訳)

釈尊と阿弥陀仏の慈悲により、仏になろうと願う心すなわち願作仏心を得させていただいた。信心の智慧を得ることで、はじめて阿弥陀仏のご恩に報いる身となるのである。

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