松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2017年6月の法話

[6月の法語]

弥陀の回向(えこう)成就(じょうじゅ)して

往相(おうそう)・還相(げんそう)ふたつなり

 Amida has fulfilled the directing of virtue,

which has two aspects: that for our going forth and that for our return.

[法話]

「浄土真宗」。この言葉は、現代人の多くにとって「親鸞聖人を宗祖とする教団の名称」を意味します。しかし親鸞聖人は、一貫して「教えの名称」として用いておられます。もっとも、このお方には、そもそも自分の教団などという発想がありませんけれど。

 

さて仏教では、古来「浄土」と言ってもいろんな仏さまの浄土を説きますし、「阿弥陀さまの浄土」に限っても、そこに「生まれる教え」は数多くあります。しかし、親鸞聖人が「浄土真宗」という言葉で表そうとされているのは、法然聖人から教えていただいた「阿弥陀さまの浄土に生まれていく他力真実の教え(宗)」でした。では、その教えはどのように表されているでしょうか。

 

今月のご和讃には、次のようにあります。

 

弥陀の回向(えこう)成就(じょうじゅ)して 往相(おうそう)・還相(げんそう)ふたつなり  これらの回向によりてこそ 心行(しんぎょう)ともにえしむなれ

(『註釈版聖典』五八四頁)

(=阿弥陀仏による回向(=阿弥陀如来が自ら修めた功徳を衆生の往生のためにふりむけること)の働きが成就(完成)しました。それは、浄土に往生して成仏するという「往相」と迷いの世界(この世、現世)に還(かえ)って人々を救うという「還相」の二つの回向です。これら二つの回向の働きによってこそ、往生の信心と念仏をともに得させていただくのです。)

 

この阿弥陀さまの成就させた回向とは、本願力の回向のことです。本願力とは、阿弥陀さまの本願(=すべての人々を例外なく救済するという誓い)によって実現した救済の力のこと。それが私たちに向かってはたらき続けることを本願力の回向と言います。では、それはどんなはたらきかと言うと、私たちに「往相」と「還相」という二つのすがた(相)を実現させていくのだと示されています。「往相」とは「(衆生が)浄土に往生していくすがた(相)」であり、「還相」とは「浄土に生まれた者がこの迷いの世界に還(かえ)りきて人々を救済し続けていくすがた(相)」です。

 

親鸞聖人はこのことを、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』では、「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり」(『註釈版聖典』一三五頁)と示されました。ここでは、往相の回向とは具体的に「教」・「行」・「信」・「証」という四つがめぐまれることと示されています。

 

すなわち阿弥陀さまによって、お釈迦さまが『無量寿経(むりょうじゅきょう)』という教え(教)を説かれ、そこで明らかにされた本願他力の念仏法(行)を、私たちに受け入れさせて(信)、お念仏申す人生を歩ませ、命を終えると同時に往生即成仏(証)させてくださるというものです。これが私たちにめぐまれる往相です。この『無量寿経』の教えとは、端的(たんてき=てっとりばやく要点をとらえていうと)には阿弥陀さまが私たちに「南無(まかせよ)阿弥陀仏(われに)」と願われていることを教えています。この喚(よ)び声に育(はぐく)まれてお念仏の行者は誕生してきたのです。それが「これらの回向によりてこそ 心行ともにえしむなれ」のこころです。

 

私たちがお念仏している「今」は、決して知識の習得や思索(しさく)によって身につけたものではありません。あくまで阿弥陀さまのお育てを受け、そして、先だった方々が還相されたことによる賜物(たまもの=結果として生じた、よい事や物。また、他者から受けた恩恵の結果)なのだと、どうか受け止めてください。そして私たちは命終えれば、先人たちと同様、残してきた者たちが迷わぬよう、還相させていただきます。それが私たちにめぐまれた、浄土真宗というみ教えなのです。

 

今月のご和讃を、もう一度味わってみてください。

龍谷大学准教授  井上 見淳(いのうえ けんじゅん)

 

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

◎ホームページ用に体裁を変更しております。
◎本文の著作権は作者本人に属しております。

 

◎今回の法語(法話も含めて)は特に理解しづらいところが多かったと思いますので、まずは「回向」について説明します。「回向」とは、一般的には自らが修めた善根功徳(善行や御利益)を、「自分がさとりに向かうために」とか、「他の人々を救うために」ふりむけることをいいます。それに対して浄土真宗では、自分が極楽浄土に往生することも他の人々を救うことも、すべて阿弥陀如来から(私たち凡夫に)ふりむけられた功徳の力、すなわち(阿弥陀如来の)「本願力の回向(他力回向)」による以外にはないとします。というのは、私たち凡夫のなす行いは、自力の計(はか)らいを離れることができず、真の善根功徳などは持ち合わせていないからです。すべては阿弥陀如来の力なのです。