松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

今年の法話(2017年)

[表紙の法語]

仏恩ふかくおもいつつ つねに弥陀を念ずべし

Reflecting deeply on the Buddha's benevolence, let us think on Amida always.

[法話]

今年の法語カレンダーは、親鸞聖人の三帖和讃(さんじょうわさん)から選ばれています。「三帖」とは「浄土和讃」(百十八首)、「高僧和讃」(百十九首)、「正像末(しょうぞうまつ)和讃」(百十六首)の三部の和讃集のことです。「和讃」とは、親鸞聖人が「和讃」という言葉の横に「ヤワラゲホメ」(国宝本)と書かれているように、阿弥陀さまのご法義(=仏教の教義)をわかりやすく、和(やわ)らげて讃嘆(さんだん=仏・菩薩の徳をほめたたえること)された、四句から成る「うた」です。「正信偈」を拝読(はいどく)する時、最後に六首続く、あの七五調のうたが和讃ですね。

 

全部でいったいいくつあるのかと言いますと、三帖和讃だけで計三百五十三首、他のものまで合わせると、総計五百四十首以上にも達します。和歌や俳句を愛好されている方でも、なかなかここまでの数には及ばないのではないでしょうか。

 

それに、他の方が詠(うた)われた和讃の多くは、美しい言葉を駆使(くし=自由に使いこなすこと)してさまざまな情景を表現したものが多いのに対し、親鸞聖人の和讃は端から端まで、それはもう見事にご法義のことばかりです。さすがですよね。三帖和讃を指して「和語の教行信証(きょうぎょうしんしょう)(※)」と言われるゆえんもそこにあります。

 

さて、表紙のご和讃をすべて示せば、次の通りです。

 

弘誓(ぐぜい)のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆(しゃば)をいでん

仏恩(ぶっとん)ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし(『註釈版聖典』593頁)

 

「弘誓」とは、阿弥陀さまがすべての者一人ひとりに対して、万徳(まんとく=多くの徳行)を込めて「われにまかせよ、必ず救う」と願われる広大なる誓願(せいがん=仏・菩薩が必ず成しとげようと願い定めた誓い)を言います。この願いを受け入れた者は皆、必ず迎える死を機縁として、この娑婆を出で光り輝く浄土へ生まれていくというのです。

 

そして、「仏恩ふかくおもひつつ」とあります。この「恩」という字は、「因」と「心」からなっていますね。「因」は、ふとんに眠る赤ちゃんを表していると言われます。すやすやと安心して眠るというのは多くの条件や支えがあって、初めてあり得ます。そのことに「心」を向けた時生じる心情を、「恩」と言うのでしょう。

 

思い返せば、昔は「念仏なんて......」と思っていた方も、いつの間にか、お念仏するようになっていかれます。私自身、不思議なほどに変わった一人ですが、はっきりしていることは、それは自分で勝手に変わったのではなく、そうなるように育ててくださった方がおられたということです。そう言いますと、皆さんは周りにおられた懐かしい方々が次々と脳裏に浮かんでくるでしょう。親鸞聖人は、そうしたさまざまなご縁を通して、その大本で、いつも私にはたらきかけ、お念仏するようにいざなっておられたのは阿弥陀さまですよ、と教えてくださいました。こうした阿弥陀さまのご苦労は、知らなければ無いのと一緒です。だから親鸞聖人はそのおはたらきを「ヤワラゲホメ」て和讃にし、私たちにお示しくださったのです。そう知らされた者は「つねに弥陀を念ずべし」とあるように、恩を感じながらお念仏を申す日々に生きていきます。

 

表題のご和讃を、もう一度味わってみてください。

井上 見淳(いのうえ けんじゅん)

 龍谷大学准教授

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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◎本文の著作権は作者本人に属しております。

 

(※)『教行信証』

 正式名称を『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』という。浄土真宗の教義が整然と示されており、通称「本典(ほんでん)」ともよばれる。師である法然聖人の十三回忌にあたる1224(元仁(げんにん)元)年、親鸞聖人五十二歳の時、稲田(茨城県)において著わしたといわれる。全六巻(「教」「行」「信」「証」「真仏土」「化身土」)からなり、浄土の真実を明らかにしようと試みている。親鸞聖人は生涯をかけてこれに補訂を続けた。

 

◎あけましておめでとうございます。旧年中は何かとお世話になりありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。合掌