松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2016年4月の法話

[4月の法語]

陸路(くがじ)のあゆみ難(かた)けれど

船路(ふなじ)の旅(たび)の易(やす)きかな

Although traveling overland on foot is difficult,

a voyage on a ship is easy and pleasant.

[法話]

春は別れと出会いの季節。三寒四温をくり返しながら春へと向かう気候が、私たちの人生の歩みを表しているように思います。

 

私は僧侶として、ご門徒のお宅へお参りに伺(うかが)います。その多くはお年寄りの方と出会う場です。なかには、毎月、命日のお参りに行くたびに同じような話をされる方があります。

 

先日もあるお宅でお茶をいただきながら、ゆっくりしていると、おじいさんがいつものように昔話を始めました。おじいさんが昨日のことのように語られる話は、七十年以上前の戦時中の話で、二ヶ月前にも聞いたものでした。

 

当時、長崎県佐世保市の海軍施設で事務をしていた彼は、広島県の呉に出張するため上司から預かった品物と書類を携(たずさ)えて、満員の列車に乗り広島へ向かいました。乗り換えて呉に着いたのが、次の日の昼すぎだったそうですが、その時の乗客の顔や風体、持ち物などを細かく描写して語られるのです。この方は二十歳の時のことを記憶も薄れることなく、鮮明に覚えておられるのです。その後、話は広島に住んでおられたお兄さんのことになり、八月六日の原爆で亡くなられたこと、原爆のあと何日か経って、ご自身で捜しに行かれたことなど、生々しい体験を語ってくださいました。

 

九十歳のおじいさんの戦争体験を何回も聞くうちに私は「またか」「もう聞きました」と心のうちで思っていました。でも、この日はちょっと違っていました。私にもっと聞きたいという思いがおこり、長くお話を伺いました。眼前におられるおじいさんはこういう人生を歩んでこられたのだ。戦争で、さまざまな経験をされ、いろいろな思いを持ち、いまこうして戦争を知らない私に語られている。彼は三ヵ月に一度は手紙を綴(つづ)り、主治医や友人、そして私に送ってくださいます。内容は戦争で亡くなった人たちへの想いと平和への願いです。「文章は静かな夜中に書きます」といわれます。

 

今月の法語「陸路(くがじ)のあゆみ難(かた)けれど 船路(ふなじ)の旅の易(やす)きかな」は難行(なんぎょう=きわめて苦しい修行。特に浄土教で、他宗の行う自力の修行をいう)と易行(いぎょう=他力(阿弥陀如来の本願力)の念仏をさす)という人間が救われていく二つの道について述べられたものです。しかし、難しいとか易しいとかはどこでいえるのでしょう。

 

よく、座禅に代表される厳しい行と、念仏を称(とな)えることとを対比して「私には体を痛める行はできません。楽な方がいい」と捉(とら)えられることがあります。でも、私はご門徒の方と会い、お話を聞くうちに、「身体的に難しいとか簡単だ」というのはどうも違うと思うようになりました。お年寄りの方の歩んでこられた人生のことを伺ううちに、難行と易行という自分の持っていたワクがだんだん私の中で薄らいでいきます。各々の方の人生がまさに陸路であり難行であるのですが、その人の人生を包み超えたはたらきを豊かに感じます。

 

また一方で教えられるのは、私が他人に自分の経験や過去の人生を語る時、どこかで美化し、誇る気持ちが頭をもたげてくるということです。「私はこんなに苦労してきた」という心のいやらしさ、その心に自分でもおののいてしまいます。

 

法務の日常で、門徒さんと出会い、語らう中で、自分の心のいやらしさに気づくことがあります。そこであらためて手を合わせて「南無阿弥陀仏」しかないと念仏を称えている私を発見するのです。

鵜飼信孝(うかい のぶたか)

1950年生まれ。愛知県在住。名古屋教区乘西寺住職。

 

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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[今月の法語について]

『正信念仏偈』の中、下記の部分を和訳したもの。

顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽

(七高僧の一人、龍樹菩薩は)極楽浄土に生まれるについて、きわめて苦しい自力の修行は陸路を行く労苦を伴うことを示し、阿弥陀如来の本願力による(他力の)念仏の教えは水路を船で行くような易しい道であることを信じ喜ばれた。