松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2016年2月の法話

[2月の法語]

生(い)きとしいくるものすべて このみひかりのうちにあり

All living beings, without exception, are embraced in this radiance.

[法話]

「S状結腸に約四~五センチの全周性の癌(がん)をみとめます。進行癌でステージ4。肝臓に少なくとも五ヵ所の転移がみられます」 医師にそう告げられたのは2010年5月24日。この俺が癌? しかも最悪のステージ4? 痛みなどの自覚症状は何もないものだから、頭の中が真っ白でパニックということはなくて半信半疑というのが正直なところでした。

 

やがて癌の身の現実を自覚して浮かんできたのは、「章子、還(かえ)るところはみんなひとつ。おまえも安心しておいで」という、癌となり満四十七歳で亡くなられた鈴木章子さんのご実父小川殊諦師の言葉でした。章子さんに癌が見つかるずいぶん前ですが、私は章子さんが坊守を務める北海道斜里町の西念寺および幼稚園で三年間住み込んで勤務していました。その章子さんに父親を通して聞こえた仏様の言葉が、今度は章子さんから私に届いたのです。

 

癌の身を抱えて生きる─決して病と闘うというような悲壮感はありません。ありのままに受け入れ、仲良く付き合っていくしかないのです。元気な自分がどこかにあってたまたま癌になっているというのではない、癌の身という今の自分しかないのだから。文句も言わず体を支えてくれる手足に感謝もせず、黙々と動く心臓に礼も言わず、癌になった肝臓には恨(うら)み言、という自分勝手な根性を嘆(なげ)くのみ。章子さんの思索(しさく=物事のすじみちを立てて深く考え進むこと)の遍歴(へんれき)を、「ああこういうことであったのか」と、我が身に確かめながら辿(たど)る入院の日々でした。今までいかに頭だけの理解、口先だけの言葉であったことか。同時に、大谷大学で の小川一乘(元大谷大学学長、仏教学者)先生との出遇いが、ご令妹章子さんへとつながる法縁であったとあらためて尊く思えたことでした。

 

ちょうど章子さんが亡くなった昭和から平成へと移る頃、私は北海道教区教学研究所で学んでいました。当時のレポートには、『仏説観無量寿経(※)』の「如是我聞(にょぜがもん)」を「かくの如(ごと)きざまなる我が聞く ...無量寿仏の名を持て と読む」と書いていました。その頃は差別ということが課題で、差別心に満ちたぶざまな自分という意味合いでしたが、今は老病死が迫り来るという我が身の現実に焦点があると感じています。

 

善導大師(※※)は「経教はこれを喩(たと)うるに鏡の如し」(『観経疏(かんぎょうしょ=『仏説観無量寿経』の注釈書)』)と、お聖教(しょうぎょう=釈尊の説いた教え。また、それを記した経典)は自分のありのままの姿を映し出してくださると教えてくださいましたが、暗闇の中ではたとえ鏡があっても、目を大きく開いていても真っ暗で何も見えません。そこに光がないと見えないのです。光に照らされ、鏡によってやっとありのままの自分の愚かな姿が隠しようもなく見えて、自分勝手な願望が打ち破られます。

 

「無量光明土(むりょうこうみょうど=限りのない光が輝いている国土、阿弥陀仏の極楽浄土)」とは、どこかに光があふれている世界があるというのではなく、物事がありのままに見いだせるあり方をいうのでしょう。たくさんの光が別々にあるのではなく、そのはたらきを、清浄(しょうじょう)であり、歓喜(かんぎ)でもあり、智慧でもあるというように十二の面から表現したのです。清浄な光というのではなく、遇(あ)えたものを清浄にさせる、歓喜させる光ということでしょう。モノではなくはたらきです。それは、私の状態ではなくあり方を変えるはたらき、力なのです。

 

みひかりのはたらきのうちにあって、病の身を納得して引き受け、還(かえ)るところを示してくださった先人に導かれ人生を見直し、生きとしいくるものすべてと出遇い直し、自分の真宗の学びを再確認する、そんな日々をいただけたことが有り難いことです。

 

松岡満雄(まつおかまんゆう)

1956年生まれ。北海道在住。北海道教区廣圓寺住職。

 

東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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(※)『仏説観無量寿経』:浄土三部経の一つ。『観経(かんぎょう)』ともいう。王舎城に起きた事件を契機に王妃の韋提希(いだいけ)夫人が苦悩無き世界を求めたのに応じて、釈尊が浄土に往生するためのさまざまな方法を説く。しかし結局はいずれの方法をもってもかなわぬ凡夫(ぼんぶ)のために「他力念仏」の一行をすすめる。

 

(※※)善導大師:613~681 浄土真宗七高僧の一人。中国浄土教を完成させた。

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