松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2016年1月の法話

[1月の法語]

十二のひかり放(はな)ちては あまたの国(くに)を照(てら)します

Emitting the twelvefold light, the Buddha illuminates countless worlds.

 

[法話]

一月の第二月曜日は成人式です。ひところは荒れた新成人が話題になったものですが、その対応にも少々智慧が必要なようです。

 

数年前の大阪池田市でのこと。成人式が始まると、会場の最前列に陣取った数人の新成人たちがヤジをとばして騒ぎ出しました。

 

会場に嫌な空気が漂(ただよ)いだした中で登場したのが当日のゲストの漫才コンビ、ミサイルマン。ミサイルマンは騒ぐ彼らに話しかけながら、会場の笑いを誘っていきます。ふざけて壇上に上がろうとしていた者を、実際に上げてしまってトークを展開していくと、当意即妙(とういそくみょう=その場にうまく適応したすばやい機転)なアドリブ(=台本にないせりふを即興的にしゃべること)で会場は大爆笑です。その笑いは決して相手をおとしめるものではなく、ちゃんと存在を認めてこそ生まれたものでした。

 

やがて、騒いでいた新成人たちは素直に席に戻り、なごやかな雰囲気の中でミサイルマンは本来のネタに入っていったとのこと。(釈徹宗氏のFacebook(フェイスブック) 2014年1月13日の記事より)

 

騒いだりして周りに迷惑をかける者に対する応対としては、「静かにしろ」と叱責(しっせき=しかりせめること)するか、力をもって排除をするか。いずれにしても、毅然(きぜん=意志が強く、物事に動ぜずしっかりしていること)とした態度で対抗すべきと考える方が、まだ主流のように見えます。しかしそれは、騒ぐ者の自己顕示欲(じこけんじよく=自分の存在をことさらに目立たせたい欲望)と反抗心という火に油をそそぐだけの結果になりかねません。目指している地点を得る道は、「対処」ではなく「共感」と「承認」にこそあるように思うのです。

 

花火大会やスポーツの大試合など大勢の人が集まる機会に、いわゆる「DJポリス」が投入されるようになりました。興奮した人たちの思わぬ行動による事故が起きないように策をめぐらすのは、警察の大切な役割ですが、以前はその仕事は「取り締まり」でした。それにより、かえって反発した行動を取る者が出もしました。それが、DJポリスによる軽妙な呼びかけは、笑いを生みながら人々の耳にすんなりと届き、非常識な振る舞いも破壊行動もほとんど見られなくなったといいます。

 

ルールから外(はず)れる者に対して、ルールを守らせようとする行動をとるのは当然です。ただ注意したいのは、ルールを守らせるのを目的化しないことです。

 

先の例では、成人式の目的は、参加者の誰もが晴れやかな気持ちで新成人を祝うことです。交通整理の目的は、事故を起こさないことです。

 

そのためにルールを守らせようとするのですが、往々にして、ルールを守ること自体が目的にすりかわり、主役さえ交代されます。結果、成人式の会場も街の雑踏(ざっとう)も窮屈(きゅうくつ)になり、逆にそういう状況を壊してしまいたいという欲求さえ誘ってしまいかねません。

 

手段と目的を取り違えない。そして、人を生かすのは毅然とした一律(いちりつ=変化のない同じ調子、同一のやり方や扱い方)な命令ではなく、一人ひとりのそれぞれを照らすひかりです。

 

そのひかりのはたらきを、正信偈では「十二のひかり」とお示しくださいました。

 

限りなく(無量光)/ どこまでも広がり(無辺光)

何ものにも遮(さえぎ)られず(無碍光(むげこう))/  並ぶものなく(無対光)

いきいきと(光炎王)/ 清らかに(清浄光(しょうじょうこう))

よろこびを与え(歓喜光(かんぎこう))/ 惑(まど)いを除き(智慧光) 

常に(不断光)/ 私の想像も表現も超え(難思光(なんじこう)・無称光)

現実の光が及ばないところをも照らし出す(超日月光(ちょうにちがっこう))

智慧としての、ひかり。

 

その中で私は今、生かされています。

松本智量(まつもと ちりょう)

 本願寺派布教使、東京都八王子市延立寺住職

 

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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