松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2014年12月の法話

[12月の法語]

永遠の拠り所(よりどころ)を与えてくださるのが南無阿弥陀仏の生活である

 

坂東 性純(ばんどうしょうじゅん) 『心のとるかたち』より

 

[法話]

今月は、坂東性純(ばんどうしょうじゅん)氏の言葉です。氏は、1932(昭和七)年に東京都に生まれ、東京大学の印度哲学科卒業後、大谷大学教授や上野学園大学教授などを務める一方、生家である上野公園に比較的近い大谷派の坂東報恩寺の住職でもあり、2004(平成十六)年に七十二歳で往生されました。

 

私たち浄土真宗の者にとって大切な聖教(しょうぎょう=仏教の経典の尊称)の一つが、親鸞聖人の『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』です。聖人は、関東在住時代にその草稿(そうこう=したがき、草案)を完成させ、晩年まで朱や墨(すみ)で訂正をされました。この聖人の手による真跡(しんせき=その人のまことの筆跡)本が「坂東本(ばんどうぼん)」と呼ばれるもので、それを伝えてきた寺院が報恩寺です。

 

この坂東本は、1923(大正十二)年の関東大震災の時、報恩寺より委託されて保管していた浅草別院が焼け落ちましたが、奇跡的に焼失を免れました。そして、氏が二十歳の1952(昭和二十七)年に国宝に指定されます。そのような因縁のためか、氏は、印度哲学科ですが、日本の浄土教を学ばれています。そして講演会などで仏教を広める一方、仏教経典の英訳事業に携わるなど、諸外国に仏教の智慧と慈悲を伝えようとされました。

 

明治維新後、特に戦後の日本は西欧化してきました。その価値観の一つにヒューマニズムがありますが、それは西欧の近代的な価値観に基づく理性的な人間を絶対視するものです。その人間中心主義は、「極私的」とでも言えそうな個人主義の側面があります。そのような価値観の中で発展した現代において、確かに物は豊かになり便利になりましたが、人として生まれた喜びを感じ、「しあわせ」になったのでしょうか。

 

どの時代であれ場所であれ、人間は「しあわせ」になることを求め、努力してきましたが、はたして本当の「しあわせ」を得られたかといえば、大いに疑問です。なぜならば、私たちの求める行為そのものが、自己中心的な欲望にもとづくものに他ならないからです。その自己中心性(我執)に振り回されている人間を「凡夫」というのです。

 

今日では「しあわせ」を「幸せ」と書きます。その「幸(さち)」という漢字は「恩寵(おんちょう=めぐみ、いつくしみ)」を意味するだけでなく、「貪(とん)」と同義で「むさぼる」という欲望をも意図します。自己中心的な欲望によってむさぼり続け、足ることを知らない生活をしている限り、「幸」は「めぐみ」でなく、「むさぼり」となってしまい、足らないことに不平不満をこぼすだけになっていくのです。さらに、自らの欲望を充足させるために他者を傷つけるだけではなく、気づかないうちに自分をも傷つけているのです。「しあわせ」は本来、「仕合わせ」と書いていました。それは、それぞれのいのちの営みに相違がありながらも、それぞれの出合いの縁を認め合い、許し合って育みながら、ともに生きていることを喜ぶことだったのです。

 

それには、凡夫の身勝手な我執(がしゅう=自分だけの小さい考えにとらわれて離れられないこと。我を張り通すこと)の殻(から)が破られる必要があるのです。その我執を破るはたらきこそ、阿弥陀如来の智慧と慈悲であり、「南無阿弥陀仏」の名号の功徳(くどく)なのです。

内藤昭文(ないとうしょうぶん)

 浄土真宗本願寺派司教・大分県法行寺住職

 

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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◎先月は当寺の報恩講法要へ多数ご参詣下さいまして誠にありがとうございました。当日は雲行きが怪しく雨が降ることを心配していたのですが、何とか最後までもってくれてホッといたしました。いよいよ12月(師走)に入り何かとせわしなく落ち着かない時候となりました。毎年思いますが一年一年過ぎていくのが本当に早いです。苦しいこと、つらいこと、楽しいこと、うれしいこと等々、皆さんもいろんな出来事があったことでしょう。時間の流れはそれらすべてを過去のものに変えていきます。慌ただしい日常においては振り返ることもままならないのが現実です。30年以上前のアニメの主題歌の中に「急ぐことは難しいが、時に振り返ることはもっと難しい」という1節がありましたが、最近になってようやくこの言葉の深さ、重さがわかってきました。

 私自身にとっては常に「出直しの連続」を感じる一年でしたが、阿弥陀さまの光の中で生かされていることに感謝し、お念仏とともに歩んでいきたいと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。    合掌。