松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2014年8月の法話

[8月の法語]

 

拝まない者も おがまれている 拝まないときも おがまれている

 

東井 義雄(とういよしお) 『東井義雄詩集』(探究社)より

 

[法話]

今月は東井義雄(とういよしお)氏の言葉です。氏は、1912(明治四十五)年に、兵庫県の本願寺派東光寺の長男として生まれました。教員を目指して師範学校に進み、卒業後は地元の小中学校に教員として勤めます。その戦前戦中の時代の中で、「いきているつもりがいかされている」といういのちの教育に目覚めていき、多くの教育関係の書物を出版していきます。終戦の時から約10年ほどは沈黙していますが、44歳以後、多くの出版物を通して、終生子どもとともにありたいと願う氏の教育への考えを伝えていきます。その理念は「一番より尊いビリだってある」という信条にもとづくものです。

そのような氏は、貧しい子どもたちのために学校を建設し「すべては他がためにし、おのがためには何事もなさず」という教育理念の親であるスイスの教育家ペスタロッチ―(1746~1827)の名を冠にする賞を、初等教育関係の現場教師としては初めて贈呈されています。以後数々の教育関係の業績で賞を受け、教育界に広く名を知られるようになり、1990(平成二)年にNHKテレビの「心の時代」で「仏の声を聞く」というテーマで話をしてから、全国的な大反響を呼びました。そして、1991(平成三)年に79歳で往生されています。

 

今月のことばは、氏の「墓そうじ」という詩の中のものですが、東光寺近くに建てられた氏の顕彰碑(けんしょうひ)に刻まれた代表的な言葉です。氏には、「妻」と題した詩があります。

 

「何もしてあげることができなくてすみません」 ポツリとそんなことをいう 妻

「なんにもしてあげることができなくてすまん」のは こっちだ

着るものから たべるものから パンツの洗濯まで してもらってばっかりで

「なにもしてあげることができなくて」いるのは こっちだ

 しかも 妻に 「すまん」といわれるまで

「すまんのはこっちだ」ということにさえ

気がつかないでいた こっちこそ ほんとに すまん

 

今月のことばには「拝む」と表現されていますが、この「妻」という詩で「すまん」と表現されている思いと同じです。それはまた、阿弥陀如来の「願う」というはたらきを受けとめているから味わえる心なのです。願われている身であることを知らしめられて、初めて自己の傲慢(ごうまん)さと、その愚かさに気づかされるのです。そしてそこで、やっと頭が下がるのです。

 

人間は、いつも自分中心のまなざしでしか見ることができません。その身勝手な姿を知らしめるものが、阿弥陀如来の智慧と慈悲である「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう=仏・菩薩の名)なのです。それは、阿弥陀如来があらゆるいのちをめでるものであるとともに、私たちがその智慧と慈悲に感謝する言葉でもあるのです。

 

内藤昭文(ないとうしょうぶん)

 浄土真宗本願寺派司教・大分県法行寺住職

 

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

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◎ 今月はお盆です。お盆は正しくは「盂蘭盆(うらぼん)」といいます。古いインドの言葉の「ウランバナ」の音訳で、「倒懸苦(とうけんく)」、つまり「逆さ吊りの苦しみ」を意味します。『盂蘭盆経』というお経には、わが子ゆえに餓鬼道に落ちて倒懸の苦しみにあえぐ母親を必死に助け出そうとする目蓮尊者(もくれんそんじゃ=十大弟子の1人)がお釈迦様の教えに出遇って救われたという因縁が説かれています。

 浄土真宗では盂蘭盆会(うらぼんえ)のことを歓喜会(かんぎえ=よろこびのつどい)とも申します。またお盆に仏前に供物・果物等を供えることは致しますが、他宗のように特に精霊棚を設けたり、供物や灯ろうを流したりは致しません。浄土真宗では一切の仏事は「聞法」と「報恩」の営みだからです。故人のご縁によってお盆を迎え、尊いみ教えに出遇うことのできた身のしあわせを喜び、御先祖に感謝のまことを捧げるのが、真宗門徒のお盆なのです。(真宗協和会「お盆のしおり」より抜粋)

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