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今月の法話

2014年7月の法話

[7月の法語]

本当の相(すがた)になる これが仏(ぶつ)の教えの目的である

 

暁烏 敏(あけがらすはや)

 編集:福嶌和人/太田清史 『魂萌ゆ』より

 

[法話]

『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』(註1)「教巻」の冒頭で親鸞聖人は、「それ、真実の教を顕(あらわ)さば、すなわち『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』(註2)これなり」と、真実の教えとは『大無量寿経』であると仰(あお)いでおられます。そして『大無量寿経』とは、お釈迦さま(釈尊)が、この世に出られた事の意義(出世本懐(しゅっせほんがい))を説かれる経典です。

 

『正信偈』のなかに、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と親鸞聖人が讃(たた)えておられるように、釈尊が私たちの濁世(じょくせ=濁り汚れた世、人間の住む世界)にお出ましになられた理由は、唯(た)だ阿弥陀仏の本願のはたらきを知らせるためなのです。つまり、釈尊個人の能力や人格がどれほど優れていようとも、それは仏教の教えとは関係なく、釈尊を釈尊たらしめている本願のはたらきこそが、私たちにとって尊い教えであることを、親鸞聖人は繰り返し私たちに明らかにしてくださっているのです。

『大無量寿経』では、それが阿難(あなん)という弟子の問いから説き起こされています。阿難は、釈尊の直弟子であり、同時に従兄弟として最も身近で釈尊の説法を漏(も)れなく聞き、すべてを覚えるほど勉強した人でした。しかし、その能力では、決して本当の意味で、釈尊の教えの核心にふれることがなかった人であると言われています。その阿難が、あるとき釈尊の姿がこれまでとは異なって、「光顔巍巍(こうげんぎぎ)」と光り輝いていると感じ、その理由を釈尊に「なぜ今日はそんなに輝いているのですか」と問い尋ねることから『大無量寿経』は出発します。その問いに対する釈尊の応答は、それは私が「如来」であるからだというものでした。これは何を示しているのでしょうか。

私たちであったら、あなたは光り輝いているなどと持ち上げられると、「それほどでもないですよ」と謙遜(けんそん)するか、あるいは「そういうあなたこそ結構輝いて見えますよ」と逆に相手を持ち上げるかどちらかではないでしょうか。しかし、そのどちらでもない。阿難が感じて投げかけた問いは、そういう世間的な社交辞令ではないことを釈尊は、すぐに感じ取られ、その上で私が輝いているのは、私が如来であるからだと応(こた)えるのです。

釈尊には、阿難の問いが、人間の理性の殻(から)、つまり知的関心を破って、問われた問いであるという確認があり、その上で私の輝きは、私の人格から出ている輝きではなく、私を通して、阿弥陀如来の本願がはたらき出ている、その輝きであると応じるのです。この釈尊と阿難のあいだで確かめられたことは、私たちにとってどういうことを教えているのでしょうか。釈尊が、突然光を放ち輝いた。そんな神秘的なことを言おうとしているのではありません。釈尊自身はそれまで通りです。しかし阿難には、それまでと異なって「光顔巍巍」と輝いて見えたのです。大切な視点は、釈尊の姿の方ではなく、それを見た阿難の側にあったのです。受け取る側、教えを聞く側、自分のところに問題の所在があったことが明らかにされているのです。

 

仏法を聞き、学ぶということは、自分の都合に合わせて仏法を求めることではなく、自分に都合の良い仏法を求めていた、宗教さえも、自分の関心で利用しようとしていた、「本当の相(すがた)」を知らされることに他ならないのではないでしょうか。それを親鸞聖人は、「真実教」と示してくださっているのでしょう。

藤原 正寿

1963年生まれ。京都府在住。 大谷大学准教授。金沢教区浄秀寺住職。

 

東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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「暁烏 敏(あけがらすはや)」:1877~1954 真宗大谷派僧侶、宗教家。

 

(註1)『教行信証』

正式名称を『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』という。浄土真宗の教義が整然と示されている。師法然上人の十三回忌にあたる1224(元仁元)年、親鸞聖人52歳の時、著したといわれる。全6巻(教・行・信・証・真仏土・化身土(けしんど))からなり、浄土の真実を明らかにしようと試みている。親鸞聖人は生涯をかけてこれに補訂を続けた。

 

(註2)『大無量寿経』

『仏説無量寿経』『大経(だいきょう)』とも呼ばれる。浄土三部経の一つ。阿弥陀如来は長い時間をかけて四十八の誓願(四十八願)をたてた。なかでもすべての人に「南無阿弥陀佛」の名号を与えて救おうと誓う第十八願が根本とされる。その名号を聞き信ずる一念に往生が確約されると示される。お釈迦様(釈尊)は仏法がすたれてしまう時代が来ることがあってもこの教えだけは長くとどめて、人々を救い続けるであろうと結んでいる。