松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2014年1月の法話

[1月の法語]

み仏の み名を称(とな)ふるわが声は わが声ながら たふとかりけり

出典:甲斐 和里子 『草かご』より

[法話]

運転席脇の窓ガラスの外側に、一匹のやぶ蚊がしがみついています。時速はおよそ40キロ。「死んでいるのか?」とも思いましたが、よくよく観察すれば、自分の置かれている状況も見えず、しがみつくだけで精一杯。苦しいであろうに、しがみついている手を離すことをしないのです。自分には自由に飛んでいける羽があるのに。

そんなやぶ蚊の姿に重なる私がいます。人も突風に煽(あお)られそうになれば、しがみつく物を探します。関係性を生きる私たちの人生には、突風のごとく思いもかけないことが起こり、周りが見えなくなる程の状況に陥(おちい)ることがあります。どうして自分はこんなに辛い思いをしなければいけないのか。 自分では、良かれと思ってすることが、思いと真逆に悪いほうへ流れて行ってしまう。「何故だ?どうしてこうなるんだ?」。 暴風が強まれば、ますます周りが見えず、しがみつく物への執着が強くなり、手にも力がこもるようです。そうまでして、しがみついていたいもの、それは、自分の心です。自分を守るため、一心不乱に自我にしがみつき続けるのでしょう。

お念仏の教えはそういう私自身を破り、生きる勇気と喜びを与えてくださるのだと教えられます。しかし、現実の我々は、破られることを恐れ、なかなか生きる勇気も喜びも得られず、満たされない心から、「本当にお念仏で救われるのか?」と疑問を抱くときがあります。

親鸞聖人の門弟の唯円(ゆいえん ?~1288『歎異抄』の著者と推定される)は、「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜(ゆうやくかんぎ)のこころおろそかにそうろうこと」

(念仏しておりましても、躍(おど)り上がるような喜びの心がそれほど湧(わ)いてきません)(『歎異抄』真宗聖典629頁)と訴えます。すると親鸞聖人は、自分も同じだとお答えになります。750年以上も前から、今の私たちと同じ悩みを悩んでおられた人々がいた。その悩みが繋(つな)がってきた事実に私は驚きと真実を思います。誠に力強い親鸞聖人のお言葉です。

また曇鸞大師(どんらんだいし 476~542 七高僧の一人、北魏時代の中国、山西省の人)は「しかるに称名憶念(しょうみょうおくねん)あれども、無明(むみょう)なお存して所願を満てざるはいかん」(『教行信証』信巻 真宗聖典213頁)と自問自答されています。「念仏申しているのに、どうして無明の闇が破れないのか。そして所願が満たされないのか」、と。それは「不如実(ふにょじつ)修行」と「名義不相応(みょうぎふそうおう)」であるからと自答されます。つまり、「念仏が救ってくださるということを信じきれず」、「その念仏に応じきれない」というのが、私自身の元々の姿なのだよ、と教えてくださっているのではないでしょうか。

この、今を生きる私にまで伝わってきたお念仏の歴史には、自分の思い計(はか)らいをはるかに超える、無数の念仏申して生きてきた方々がおられます。迷ったり、悩んだりしながら、「南無阿弥陀仏」の道を歩んでこられた人々の歩みが繋(つな)がってきたという事実に、自分だけで称えているお念仏ではないのだな、と思わされます。誠に、わが声ではあるけれども、わが思いを超えた尊きお念仏であるのだと。

お念仏への疑いが深ければ深いほど、自分の心にしがみつくわが身が照らし出され、そして、そこに尊きお念仏のご恩を感じていくのかもしれません。

赤信号で停車した束(つか)の間に、やぶ蚊は軽やかに飛び去っていきました。迷い、苦しみの世界を恐れず、自ら踏み出していくときを知ったかのように。

武樋和嘉子(たけひわかこ) 

1971年生まれ。新潟県在住。 三条教区蓮光寺衆徒。

東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載

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◎  平成年間に入り、四半世紀を過ぎてしまいました。昭和という時代が本当に遠い過去になりつつあります。若い頃は歳をとることは、様々な経験を積み重ねた結果、落ち着いた心境や風格といったものが自然に備わってくるものだと浅はかにも思っておりました。実際は全く違っていて、体力の低下とともに忍耐や我慢が続かなくなってがっかりする現実に直面する毎日です。しかし、そんな自分だからこそ「南無阿弥陀佛」のお念仏が20代の頃よりは多少素直に(?)口から出てくる気がします。これは負け惜しみなのでしょうか。(笑)