松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2013年10月の法話

[10月の法語]

 世の中が便利になって 一番困っているのが 実は人間なんです。

出典:浅田正作『骨道を行く』

 [法話]

 私たちはより便利で快適な生活を追い求めてきました。時間に追われ、効率を求め、自己中心的な我が身を満足させてきたのではないでしょうか。そしてその様な社会や自己を問うことなく、結果として新たな問題を引き起こしてしまいました。

 2011年、福島第一原子力発電所で事故が起き、放射性物質が拡散しました。私は事故が起こるまで、放射性物質が「いのち」に与える影響を考えることはなく、それはごく自然に私の身近に存在していました。原爆、核実験、原発事故などを耳にすることはありましたが、何を聞いても他人事として聞き、その先を考えることはありませんでした。

 被ばく国に暮らし、原爆が投下された歴史を学びながら、「核の平和利用」という言葉を受け入れてきました。今思うと、被ばく国の歴史を学ぶ中で、放射性物質による苦しみや怖さを知るべきでした。核を利用する原発は次々に造られ、「平和利用」という言葉を使うことで、それは安全で私たちの生活に必要なものであるかのように考えてきました。私は「平和利用」というきれいに聞こえる言葉に納得し、放射性物質が身近に存在する環境に対して疑いの目を向けることはなく、結果としてそれらが「いのち」の傍(かたわら)にあるという事実を永い間黙認してきました。そして今回、原発で事故が起こり放射性物質が拡散し、「いのち」が脅かされる状況を自らの手で作り上げてしまいました。

 私たちは放射線を出し続ける大地の上でこれからずっと生活し、また放射性物質を体内に取り入れてしまう状況を避けることは難しくなっています。拡散した放射性物質は今も確実にさまざまな形を通して私たちの傍にあり続けます。

 最近「これからの時代は放射性物質とうまく付き合っていく時代です」と耳にすることがあります。うまく付き合っていけば、放射性物質は「いのち」の傍にあっても大丈夫なのだと言い聞かせている言葉にも聞こえます。これは「核の平和利用」という言葉と一緒のように思えます。とても恐ろしい発想だと思いました。

 「平和利用」や「うまく付き合っていく」と表現し、放射性物質は変わらず私たちの傍に存在し続けています。事実を受けとめられなくする言葉を使い、放射性物質と共に生きることを認め、これから先も利用し続けようとしています。一体この先に何が待っているのでしょうか。

 親鸞聖人は、「劫濁(こうじょく)のときうつるには/ 有情(うじょう)ようやく身小なり/ 五濁悪邪(ごじょくあくじゃ)まさるゆえ/毒蛇悪龍(どくじゃあくりゅう)のごとくなり」(『正像末和讃』真宗聖典501頁)(=「時代の濁りが進むと人間の資質が低下するのです。五濁のために邪悪さが増し、毒蛇や悪龍のようになるのです。」)とのお言葉で、私たちに時代状況の受けとめや、人間を見る眼をお示しくださっているように思います。

 今すでに放射性物質の中で暮らし、大人も子どもも危険にさらされています。親は子どもを被ばくさせている事実に毎日泣き、怯えながら生活しています。育まれるべき「いのち」が放射性物質の中で生きなくてはならない環境はすでにできあがっています。動物も植物も人間も同じ「いのち」を生きています。その中で人間がまき散らした放射性物質によってすべての「いのち」が脅かされています。私に今できることは何でしょうか。私が今すべきことは何でしょうか。

八幡祥子(やはた しょうこ)

1981年生まれ。福島県在住。 仙台教区正西寺。

 東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載

◎ホームページ用に体裁を変更しております。
◎本文の著作権は作者本人に属しております。

  註 : 「浅田正作(あさだしょうさく)」

大正8年(1919)、松任市に生まれる。
昭和23年(1948)、浅田家へ結婚により入籍。農業に従事し、そのかたわら、市内の軽合金鋳造加工工場に勤める。
昭和60年(1985)、京都大谷専修学院入学、本誓寺衆徒として得度。現在、本誓寺において法務につく。

 「五濁(ごじょく)」

五つの悪い現象。劫濁(こうじょく)(飢饉・悪疫・戦争など時代の汚れ)・衆生濁(しょじょうじょく)(身心が衰え苦しみが多くなること)・煩悩濁(ぼんのうじょく)(愛欲が盛んで争いが多いこと)・見濁(けんじょく)(誤った思想や見解がはびこること)・命濁(みょうじょく)(寿命が10歳まで短くなっていくこと)。いつつのにごり。