2013年9月の法話
[9月の法語] み仏をよぶわが声は み仏のわれをよびます み声なりけり 出典:甲斐和里子『草かご』 |
[法話]
甲斐和里子さんは、1868(慶応4)年、広島県の勝願寺で、父・足利義山、母・早苗の五女として誕生されました。義山氏は明治時代、本願寺を代表する学者(勧学(かんがく=浄土真宗本願寺派等で授ける学階の最高位))さんでした。このようなお念仏の薫(かお)る恵まれた環境で育った和里子さんは、生涯をお念仏を中心とした生き方をされました。若き日の和里子さんに次のようなエピソードが伝えられています。
1893(明治26)年、同志社女学校に入学した時のことです。 周囲の人たちの中に「浄土真宗のエライ学者さんの娘さんが、キリスト教の学校に入学するとは......」と心配された人がいたそうです。その時、父・義山氏は「もし娘がキリスト教に改宗して信者になったら、これまでのお念仏はニセモノであったであろう。しかし、私は和里子を信じている」と語ったと伝えられています。この話は単なる親子関係ではなく、阿弥陀如来のみ教えに基づいた確固たる信頼関係がうかがえます。 和里子さんの95年のご生涯は女性の教育向上に捧げたご一生です。特筆すべきは今日の京都女子学園を、夫・駒藏(虎山と名のる)氏と共にご苦労して創設されたことです。1924(大正13)年、貞明皇后が同学園を行啓(ぎょうけい)訪問された折、学園の教育内容の説明を聞かれて、「心の学園である」という言葉をいただきました。和里子さんにとっては、何よりも嬉しかったに違いありません。「心」とは通常の意味の心ではなく、仏さまの大きなお慈悲の心だったのです。学力優秀な生徒だけが阿弥陀如来のおメガネにかなうことではなく、また成績が不十分の生徒を見捨てることでもありません。すべての存在をそのまま認め、平等に摂(おさ)め取ってくれるあたたかい「阿弥陀如来のお慈悲の心」です。和里子さんが幼い時から父・義山氏より育まれた浄土真宗のみ教えの根幹を教育現場で実践されたのです。以来、今日まで同学園の教育のバックボーンが「心の学園」となっています。 また、歌人としても多くの和歌を詠(よ)まれています。花鳥風月をテーマにしたものもあります。しかし、真骨頂は阿弥陀如来のご本願を聞いたお念仏のよろこびの和歌です。今月のことばもまさにその一首であります。最後に父娘ともどもお念仏のみ教えをよろこばれ、讃(たた)えられた歌をご紹介いたします。
阿弥陀仏たすけたまへる嬉しさを 声にいだしてとなへこそすれ(義山)
み仏の御名をとなふるわが声は わが声ながら尊かりけり(和里子)
藤井邦麿(ふじい くにまろ)
1941年生まれ。浄土真宗本願寺派仏教壮年会連盟活動推進講師、本願寺派布教使、大分県正善寺住職
著書『朋友ー浄土真宗入門のてびき』(仏教壮年会連盟編、共著)等
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
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註:甲斐和里子(かいわりこ)(1868 - 1962)
日本の教育者。京都女子大学の前身、顕道女学院の創始者。旧姓・足利。
◎ この夏は大変な酷暑が続きました。その一方、各地で大雨の被害が伝えられております。地球的な規模で温暖化の影響が露わになってきたように思われます。
今月は秋のお彼岸です。秋のお彼岸は秋分の日をはさんだ前後7日間です。秋分の日を彼岸の中日と呼びます。この日は昼と夜の長さが同じになる日であり、仏教で説く中道の教えにかなうとされてきました。
また、太陽が真西に沈むため、西方極楽浄土を望むに最もふさわしい日とされてきました。西方極楽浄土は阿弥陀如来の仏国土です。仏国土とは浄土のことですから、彼岸とは浄土ということになるわけです。阿弥陀如来はインドの古い言葉で「アミターバ」「アミターユス」と呼びます。「アミターバ」とは「無量光」、すなわち「限りなき光」を意味します。その夕映えの彼方にこそ、極楽浄土があると古来より日本人は考えてきたのです。(『お彼岸を迎えて』開山堂出版より抜粋)