松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2013年7月の法話

[7月の法語]

「まかせよ まかせよ」如来の声 「おまかせします」私の声

出典:鈴木章子 『癌告知のあとで』

[法話]

 北海道斜里町、真宗大谷派西念寺坊守の鈴木章子氏著『癌告知のあとで』(1989年)が出版されるや、大きな反響が起きました。今月は同書の一部分をそのままご紹介して共々に味わいたいと思います。

(以下 『癌告知のあとで』より抜粋)

 私は四年前乳がんの手術をうけ、三年後の昨年夏、左肺転移という事で左肺切除し、更に今夏、右肺に転々移という事で手術不可能ということです。喩々(いよいよ)名残り惜しき人々とお分れしなければならぬかと寂しくも思えますが、三度目の癌告知も自分でも信じられぬ程平(たい)らかに(=やすらかに)聞くことができました。佛智(=阿弥陀如来の智慧の光)にてらし出されてみれば何も以前と変っていない「死ぬ身」でありましたと肯(うなず)けまして、死ぬ身が死んでゆけるという充足であります。昨年の暮、実家の父が、この一月(には)母が相次いでお浄土に還(かえ)ってゆきまして、私の最も恋しい順次生(じゅんじしょう=この生の次の生)の佛となりまして、力強く、温かく呼びかけて下さっていますので、私もまた別れの悲しみとは別に彼の土(=極楽浄土)にて父母と同じく南無阿弥陀仏の諸仏となって、愛する愛する子供達・主人や有縁(うえん)の方達のお浄土への道案内をさせていただけるという如来様の摂取不捨(せっしゅふしゃ=念仏の衆生をおさめとって捨てないこと)の御利益(ごりやく)にあずかりましての満足であり、安心(あんじん)でございます。寺に生まれ、寺に嫁し、荘厳(しょうごん=本堂内のお飾り)の功徳に身をおかさせていただいている坊守の座と気づかず、忙しいとやら、何とやら、勝手な理屈をつけて愚痴三昧、自分の都合でお仏飯あげたりあげなかったり、お勤めも同様でございましたが、ふと「満ちたりたお浄土に何故お仏飯を」と疑問に思いました時、私こそ現に荘厳の功徳の身であったことに気づかせていただきました。私一人を救わんが為の神通方便(じんづうほうべん=自由自在な力をもってする衆生救済のてだて)の坊守の座でございました。知らず知らずお育ていただいて、不思議としか言いようのない身にさせていただき嬉しい事でございます。佛恩報謝のお念仏申すばかりでございます。お念仏いただいて、こんな嬉しい身にさせてもらいました。浄土に先に還(かえ)られました父母のおかげでございます。私もまた近く父母と同じく愛する愛する子供達のお父さんの南無阿弥陀仏になって、この喜びの中に導く身にさせていただけますこと(は)無上の喜びです。ナムアミダブツナムアミダブツどうぞどうぞお念仏の相続(=受けつぐこと)、どうぞどうぞお念仏ひとつでございます

藤井邦麿(ふじい くにまろ)

1941年生まれ。浄土真宗本願寺派仏教壮年会連盟活動推進講師、本願寺派布教使、大分県正善寺住職
著書『朋友-浄土真宗入門のてびき』(仏教壮年会連盟編、共著)等

 

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。

 

 

註 : 鈴木章子 (1941~1988)  

北海道の寺院に生まれ育ち、4人の子どもの母親として47年間を生き抜く。

『癌告知のあとで-なんでもないことが、こんなにうれしい-』(探究社)では、斜里大谷幼稚園を創設し自ら園長も務めるが、乳癌の宣告を受け入院。熱心な仏教徒で僧籍も持つ著者が、死の間際まで書き続けた、自身にまつわるエピソードや数々の詩を収録している。

 

 

◎ 阿弥陀さまは「まかせよ まかせよ」とおっしゃて下さるのに、「おまかせします=南無阿弥陀佛」と素直に言えない私がいます。口ではお念仏を唱えながらも心から「おまかせします」と思っていない私がいます。ご法話の鈴木さんのような境涯にならないと気づくことができないのかとさえ思ってしまいます。しかし、このような私こそを救いの目当てとして阿弥陀さまはいつもそばにいて下さるのです。

 梅雨も後半になってから雨が降り続くようになってきました。高温多湿のこの時期、体調不良になりがちですが、呉々もご自愛下さいますようお念じ申し上げます。

合掌