松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2013年6月の法話

[6月の法語]

  仏智(ぶっち)に照らされて 初めて愚鈍(ぐどん)の身と知らされる

出典 : 信國 淳 『いのちは誰のものか』

[法話]

信國先生のこの言葉は、法然上人の『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』(=法然上人が死の直前(1212年2月27日)に自身で遺言を記し弟子の勢観房源智に授けたもの。)の御領解(ごりょうげ=仏の教えを聞いてさとること)を受けとめられた言葉です。

念仏を信ぜん人は、たとい一代の法を能(よ)く能(よ)く学(がく)すとも、一文不知(いちもんふち)の愚どんの身になして、尼入道(あまにゅうどう)の無ちのともがらに同して、ちしゃのふるまいをせずして、只一こうに念仏すべし (真宗聖典九六二頁)

法然上人は、念仏を信ずる人は、「智者」のふるまいをせずに「一文不知の愚鈍の身」の者として一向(=ひたすら)に念仏すべきであると語ります。一見すると、そこでは「智者」と「愚者」が対比され、念仏する人は「愚者」になるように勧めているように見えます。

そのことについて先生は、相対されるような「智者」や「愚者」は、共に自分の知識的立場に立っていることで言えば、「何ら質的な相違はない」と著書の中で語られ、「ただ文化的な開きがあるだけ」で、「本質的には人間はだれも知識する身であることに変わりがない」と明かされています。法然上人の「一文不知の愚鈍の身になして」とは、「すべて人間が依(よ)って立つところの知識的立場そのものを問題にして」、知識的な立場から「仏智」の立場への転換が、念仏に依(よ)ることで行われることを明かしたものであると語られます。

他人と比べなければならない「智者」も「愚者」も、「わしはわかっている、わしはちゃんと心得ている」という知識的な立場にあるからこそ、思い上がったり、落ち込んだり、苛立(いらだ)ったりしながら、自損損他(じそんそんた=自分も損ない、他人も損なう)の苦しみを繰り返しているのでありましょう。その「知識的な立場」を生きざるを得ない我が身を、念仏を通して、大悲摂化(だいひせっけ=阿弥陀如来の大慈悲により衆生を救い導くこと)の仏智の願いに照らされることで、他ならぬわたしこそ「馬鹿な奴だ、あわれな奴だ」と知らされるのが「一文不知の愚鈍の身」ということなのです。先生は、そう知らされることの中にある「否定と憐愍(れんびん=あわれむこと、情けをかけること)は仏智から来る」とも教えてくださっています。

親鸞聖人の『教行信証』「信巻」の中に、人間の知識的な立場では、常に「貴賤・緇素(しそ=出家と在家)」「男女・老少」「造罪の多少」「修行の久近(くごん)=修行期間の長短」をあげつらっているのに対して、

おおよそ大信海を案ずれば、貴賤・緇素を簡ばず、男女・老少を謂わず、造罪の多少を問わず、修行の久近を論ぜず(真宗聖典二三六頁)

現代語訳:「総じて、この他力の信心についてうかがうと、身分の違いや出家・在家の違い、また、老若男女の別によってわけへだてがあるのでもなく、犯した罪の多い少ないや修行期間の長い短いなどが問われるのでもない。」

と示され、さらに、

行にあらず・善にあらず、頓にあらず・漸にあらず、定にあらず・散にあらず、正観にあらず・邪観にあらず、有念にあらず・無念にあらず、尋常にあらず・臨終にあらず、多念にあらず・一念にあらず、ただこれ不可思議・不可説・不可称の信楽(しんぎょう)なり。

現代語訳:「自ら行う行(ぎょう)でもなく、自ら行う善でもない。速やかにさとろうとする教えでもなく、長い時を費やしてさとろうとする教えでもない。心静かな観想によるものでも、普通の心で行う善でもなく、正しい観想でも間違った観想でもなく、姿・形あるものを観想するのでも姿・形ないものを観想するのでもない。平生のきまった作法によるものでも臨終の作法によるものでもない。数多く念仏するのでも一回の念仏に限ったものでもない。これはただ、思いはかることも、口にも文字にもあらわすことのできないすぐれた信楽(=教えを信じ喜ぶこと)である。」

と計十四の「非(あらず)」を連ねた上で、

如来誓願の薬は、よく智愚の毒を滅するなり

現代語訳:「阿弥陀如来の誓願は自力のはからいである智慧の毒も愚痴(=おろかさ)の毒も滅するのである。」

と、わたしたちに明かしてくださってあります。それは「智者の毒」も「愚者の毒」もというよりも、「智者」「愚者」ともに立っている知識的な立場そのものが「毒」であるのだと明かしているのではないでしょうか。

井上 円(いのうえ まどか)
1956年生まれ。新潟県在住。高田教区淨泉寺住職。

東本願寺出版部(大谷派)発行『今日のことば』より転載
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◎ 先月は当寺の「春の法要(永代経)」に多数ご参詣下さりましてありがとうございました。鎌田先生のご法話の中にもありましたが、数え切れないほどのご先祖のご縁・つながりの中で生かされている今に感謝したいものだと思います。合掌