松樹山、西善寺。大阪府大阪市福島区、真宗興正派のお寺です。

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今月の法話

2023年9月の法話

[9月の法語]

「まこと」のひとかけらもない私に 仏さまから差し向けられた「まこと」

The Buddha directs Truth to me,
someone who does not possess even a shard of it.

石田慶和(いしだよしかず)

[法話]

私の古くからの友人Bさんは、今六十八歳。彼は、おじいさん、おばあさん、そしてご両親のお育てで、幼少の頃からお寺参りをしていました。その後進学、就職、結婚と順風満帆(じゅんぷうまんぱん=物事がすべて順調に進行することのたとえ)の生活でしたが、五十代のはじめにお連れ合いの重い病気、ご両親の往生(おうじょう)といったことが続きました。彼は、悲しみは大きかったけれど、すべてお聴聞(ちょうもん=法話、説教など耳を傾けて聞くこと)の中で聞かせてもらった「諸行無常(しょぎょうむじょう=世のすべてのものは、移り変わり、また生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないものはないということ)」のことわり(=物事の筋道。道理)だったと受けとめ、乗り越えてきました。

お連れ合いの病気もほぼ全快しましたが、六十三歳のとき、今度は彼自身が脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、一命は取り留めたものの左半身に麻痺(まひ)が残り、歩くには杖(つえ)が必要な体になりました。そんな彼に、今月のことばを読んでもらい感想を求めました。

しばらくの沈黙の後、「自分はまことのひとかけらもない凡夫(ぼんぶ)であるということが今はっきりした。今までのお聴聞の中で凡夫ということについて、聖徳太子や親鸞さまのいくつかのお言葉を聞いてうなずきはしていたけれど、直接に自分とは結びついていなかった。まことのひとかけらくらいは持っていると思っていた。

歩くのが不自由になった頃は、外出するのがいやで家の中ばかりで過ごしていた。そんなとき妻はしきりに外出を勧め、励ましてくれたが、そんな妻に感謝するどころか当たり散らしてばかりいた。ようやく重い腰を上げ、外出するようになると、さまざまな人たちが手伝ってくれる。ありがとうと感謝の気持ちを伝える。しかし、少し慣れてかなりのことが自分でできるようになると、手伝ってくれた方にありがとうとお礼は言うものの、心の中では、少し時間はかかるがこれくらいは自分でできる、もう少し見守ってほしい、と反発している。ときには、余計なお世話だと心の中で叫んでいる自分がいる。ありがとうの言葉と裏腹に、相手を非難している」というような返答でした。

また、随分前に次のようなことを聞きました。その人は、若いときから部落解放運動に熱心に携(たずさ)わり(=ある物事に関係する。従事する)、私たち真宗僧侶に、「今のままの社会でいいですか?親鸞さまの同朋精神(すべての人びとは平等であるという考え方)に立ち返りましょうよ」と、熱く訴えてくださる方でした。その彼があるとき、沈んだ声で「私は人を差別する人間を最低と言ってきたし、自分は人を差別などしないという自負があった。その私が周囲の女性に対して、女のくせに、女だてらになどと女性を蔑視(べっし)することばを投げかけ、傷付けていたのです」と言われました。

お二人は、ご自身の心の底をちゃんと見据(みす)え、言葉にしてくださいました。そして、その仏さまから差し向けられた「まこと」の言葉が私の誤った姿勢を教えてくださいます。

私自身を振りかえってみると、自身の発言や行動を、常に状況や相手の言葉が「そう言わせた。そうさせた」と言い訳ばかりしていたことが、恥ずかしくなります。

差別の現実と向き合い、「仏さまのまこと」をもっと、もっと学んでいきたいと思います。

中川 清昭(なかがわ しんしょう)
本願寺布教使、仏教婦人会連盟総会講師、福岡教区御笠組願應寺前住職

本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載

※ホームページ用に体裁を変更しております。
※本文の著作権は作者本人に属しております。

[註]石田慶和(1928~)
日本の哲学者、宗教学者。親鸞思想の宗教哲学的解明を研究した。

 

◎今年の猛暑は本当に長いですね。また先月は台風による被害が各地で見られました。地球環境の変化が懸念されます。そんな中、先日お参り先で赤トンボを見かけ虫の音を聞きました。知らないうちに季節は秋に向かっているのだなあと感じた次第です。
とはいえ日中の気温は35℃前後の日が続き(8/31現在)、夏の疲れも出る頃です。何卒ご自愛下さいますようお念じ申し上げます。

合掌