2019年9月の法話
[9月の法語] わがこころよければ 往生すべしとおもうべからず You should not think that you deserve to attain birth because you are good. 『親鸞聖人御消息』(『親鸞聖人血脈文集』) |
[法話]
アメリカのロサンゼルスに本願寺の別院があります。30歳になる頃まで開教使(かいきょうし=アメリカ、カナダ、ブラジルなど日本国外の寺院・仏教会において、国際伝道活動に携(たずさ)わっている僧侶)としてお世話になっていました。まだまだ若かった私に、開教使として僧侶として、いや念仏者としてさまざまにお育てくださった先輩の先生がいてくださいました。
日本に帰国してからのことです。お世話になった先生が、久しぶりに日本に来てくださいました。お世話になった方ですもの、ご馳走(ちそう)をしておもてなしをさせてもらおうと一大決心しました。
アメリカでも、すでに「スキヤキ」は定番のメニューとなっています。でも日本で本場の美味しいすき焼きをお腹いっぱい食べてもらおうと、すき焼き屋さんにご招待いたしました。
御礼も申しあげたいと思ってのおもてなしです。特上のすき焼きをトントンと注文して、お肉もドンドンお替わりしてもらって...。もう美味(おい)しいのなんのって。お腹いっぱいで大満足!
さて、問題はここからです。美味しくたくさん頂戴(ちょうだい)しました。
すると、帰り際にニッコリと微笑んで待ってくださっている方がいます。そうです。お会計をしてくださる方です。
特上すき焼きをたっぷりと頂戴したんです。それはそれは、お支払いもたっぷりでした。
美味しいものをたくさん食べれば、当然お支払いも大きい。お支払いを小さくすると、それなりにしか食べられません。
すき焼きのお話をしたかったのではありません。私たちの心は、自分のしたことに比例して、得したり損したりすると考えるほかはないのです。
損得勘定をして、これだけやれば大丈夫と思い、これだけしかできなかったらダメだろうと考える。結局は自分の心で物事を判断していくしかないのが私たちです。しかもその心はコロコロと移り変わっていく。そんな私の心で、これで良しと思ってみても、たいしたことはありません。
阿弥陀さまのお救いは、私たちの元々の考え方を翻(ひるがえ)させて、この阿弥陀如来(あみだにょらい)の救いを受け入れさせてみせると、至り届いてくださいました。
私たちは、もともと持っていた「自分の心を頼りにする」思い、つまり迷い続けていくしかない私の心を、自分で翻すことができません。
その迷い続ける私を翻させるのは阿弥陀さまです。
いまこの阿弥陀さまによって、私の心が翻されて、必ず救うという、阿弥陀さまの救いの確かさが、私の救われる安心となるのです。
これが浄土真宗・阿弥陀さまのお救いです。
葛野 洋明(かどの ひろあき)
龍谷大学(大学院)実践真宗学研究科教授。本願寺派布教使。
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
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◎本文の著作権は作者本人に属しております。
[註]『親鸞聖人御消息(ごしょうそく)』
親鸞聖人が関東の同行(門弟)などに宛(あ)てた書簡(手紙)を収録・編纂した書。浄土真宗の肝要(非常に大切なところ)がいたるところに示されている。